ケーブルとコネクタというトラップ


ジュール・ルナールという作家の書いた「博物誌」と言う本があって、自然の諸々について感じた事などを記しているのだが、その中の「蛇」と言う項目の内容は、ただこれだけ。


「長すぎる!」


もちろん、この人は自然科学者ではなく小説家なので、こういう洒落た記述が出来るのだが、これを真似て言うならば、私の場合は、IT機器のケーブル類に関して似たような事を言いたい。


「多すぎる!」


それと、付け加えるならば、「絡まり過ぎる!」というのも。


ワイヤレスはワイヤレスで、電磁波がどうしたとか、帯域が足りないとか、セキュリティホールがとか様々な事が言われるが、まあ、それは置いておく。


朝起きると、まずは枕元に置いてあるスマホから充電ケーブルを外す。

出かける時は、ノートPCの充電ケーブルを外し、帰ったら繋ぎ直す。


また、小物類を充電するUSBケーブルのコネクタという存在も地味に面倒だ。

いまざっと数えても、充電などで頻繁にケーブル接続の必要な小物が、机の周りだけで8台もあった。


多くの人が言っていることだが、USBのタイプAコネクタを挿すときには、まず、コネクタを受け口に押し当てても入らずに、「ああ、逆だったか」と思ってひっくり返して当ててみるが、やっぱり入らない。「なんだ、最初の向きで良かったんじゃないか!」と思いつつ、もう一度ひっくり返して挿す、という儀式が必要とされる。


これを設計した人は、いったいどういう思考回路なのかと小一時間考えてしまいたくなるが、もちろん誰か一人の責任ではない。

こういうメーカー横断的な規格策定が、最終的におバカなアウトプットを生み出す原因は、大抵の場合、『組織と政治と委員会制度』だ。


ちなみに私の使っているワイヤレスヘッドフォンはマイクロUSBコネクタで、別のワイヤレス機器はミニUSB。

最近ではタイプCコネクタが少しずつ増えてきているが、iPhoneとiPadは変わらずライトニングコネクタである。

そして古いアンドロイド端末と、最近購入した充電式LEDライトは、どちらも異なるメーカー独自規格のコネクタだ。


MacBookの電源コネクタも以前はマグネット式の利便性の高いものだったが、これはUSB-Cに変わり、ケーブルに足を引っかけるとPC本体ごと床に引きずり落とす仕様に変更された。


無論、ACアダプタにも数種類あって、iPhone用とiPad用のACアダプタは出力側がUSB-Aタイプのコネクタだが、MacBook用のアダプタはUSB-Cである。

変換コネクタや両用ケーブルもあるが、まあ、案の定そういったガジェットにも最悪はハード本体を壊しかねない色々なトラップが存在している。


とは言え、昨今はイーサネットケーブルやマウスやキーボードのケーブルからは解放されているので、それだけでも有難いことではあるし、結論から言うと、あれこれ文句を言ったところで、テクノロジーが進化すれば、それに合わせてモノの形は変わって行かざるを得ない。


仕様を統一しろ、規格を統一しろと口で言うのは簡単だが、それを強制すると未来の可能性を狭めることにもなる。


これからも変わり続けるだろうコネクタ形状と、給電および通信規格に関しては、ネジの規格などと違って、衣服の流行が変わるのと同じ程度の『重み』しかないと捉えておくとちょうどいいかもしれない。


そう考えると、電子機器の規格って意外と『儚いはかない』なあ・・・



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<ちなみに、ルナールの代表作は「にんじん」で、舞台を始め、映画化やアニメ化もされている。>

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