本当に情報は「共有」されていくのだろうか?


大昔のことで、もはやその時代のことを語れる人も少なくなっているだろうけれど、1960年代のコンピューターの黎明期には、「情報は無料だ」という信念があったという。


全ての情報は共有するべきであるという、その考え方は、例えるならば情報化社会における『原始共同体・原始共産社会』のようなものだったと思う。


その後、情報は(ある側面では)最も貴重で高価なものになり、資本主義の波に飲み込まれた。


今後、AIによる情報分析が台頭していく中で、再びプリミティブな情報『そのもの』は無料で共有し合うものになっていく可能性がある、とは思う。


しかし、それは決して優しくハッピーな意味では無く、『素のデータ』が山のようにあっても、それを分析し、使いこなすための能力、すなわち、『非常に高価なAIを保有しているかどうか』が、生み出す価値を決めるからであって、ビッグデータの山『そのもの』が直接価値を生み出すことは少ないからだ。


いうなれば、ビッグデータは国土における「地理情報」みたいなものかもしれない。


かつての共産主義国家のように閉ざされた社会や軍事行動においては、地理情報が非常に価値の高いものであったとしても、オープンな自由市場と資本主義がベースにある社会においては、それ自体を売る様なことは難しくなってきている。


それと同じようなことで、そこに何を載せるか、という付加価値(これもすなわち情報だが)の組合せ方で価値が変わり、その組合せ方を編み出せるのは、人間を超えたAIにしか出来なくなっていくだろう、ということだ。


いずれ、そう遠くない未来に、情報から新しい価値を生み出すのは、もはや人間にできることではなくなり、完全にAIの仕事になるだろうという気がする。


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< 分かっている人にとっては釈迦に説法だが、念のために言っておくと、ここで地図情報をあげたのは比喩であって、この論旨は電子地図の市場価値とは関係ない。また、ソーシャルネットワーク用語で言うところの『共有』という不思議な概念とも無関係だ。>


< ちなみに、20世紀初頭からのコンピューター黎明期を描いたストーリーに関しては、スティーブン・レビーの書いた『ハッカーズ』が圧巻。個人的には、いまだに、これを越える熱気と逸話を収めたレポートに出会っていない。>

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