ビッグデータ解析は情報の『優生学』になる?
ビッグデータに限っての話ではないが、昨今の消費者動向データの解析やパーソナライゼーションの過度な(と自分には思える)濫用状態を見るに、そうしたユーザー動向の解析は、見えないところで「情報に対する優生学的な振る舞いをしてしまう」のではないだろうかと不安に思った。
言うまでも無く、人間に対する優生学が倫理的に好ましくないだけでなく、進化と生存戦略という、純粋に科学的な視点〜つまり種としての競争力維持の観点〜からも望ましくないことは周知の事実だ。
なぜなら、優生学は「今、目の前に見えている問題」だけに対処しようとするものであり、それは同時に「まだ未知の問題を悪化させる可能性」を大きく孕んでいるからだ。
近視眼的な判断で『不要』とされ、取り除かれた要素が、遠い将来になってから『なにかを実現するために不可欠な要素だった』と後でわかっても手遅れだ。
それは、遺伝的なことだけでなく、社会的、文化的なものに対しても同様だと言える。
デジタル雑誌の読者データを集めて、どのページを何秒開いていたか?のデータを分析すれば、人気のある記事、テーマ、ライター、グラビアモデルなどを高精度に特定することができ、短期的には売り上げの向上を実現するだろう。
そして、資本主義社会においては、それは絶対的に正義であり、「行うべきこと」とされる。
だが、それは逆にロングテールどころか、まだ熟成途中の、表層化していないニーズや才能を、早い段階で切り捨ててしまう危険を孕んでいる。
AIやデータ分析を扱う人間は、決して『水平線の向こうが見えていないこと(水平線効果)』を忘れるべきでは無いと思うのだ。
文化や情報の『遺伝子』を目先の利益で排除してしまうことは、将来に向けて大きな『特定分野の欠損』という危険を生み出してしまうかもしれない。
特に、本当に複雑系と言って過言でないほどのビッグデータ処理を(なんらかの未知の方法で)行えるならばともかく、そうでないならば、それ単体では大きな影響を与えていると見えてこない「触媒」的な存在を発見したり、重要な存在だと認識することは難しいと思える。
もちろん程度問題ではあるのだが、どんなものでも同じように、「度を超した最適化は優生学に陥る」と言うことができると思う気がした。
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< AIの水平線効果に関しては多くの人が論じているが、『効率』という概念にとらわれた人々は、AI以下の近視眼的な意思決定を行いがちだ。むしろ、人間の方が駄目なんじゃないかと思ったりすることも多い。>
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