第2章-2 精霊?動物?妖怪?
「さ、ここが投書の主の住所だ」
榊が車を止めた所は東大宮駅から少し離れた住宅街であり、所々に畑や緑地もある閑静なところだ。
やや大きめの庭付き住宅に「山中」と表札が掛けられている。
手紙の住所には「山中方 中津川ミサヲ」とあったから多分、「山中」は一緒に住んでいる姪の名字なのだろう。
「あらあらあら、先ほどお電話いただいた環境省の方ですね。まさかこんなに早く調べていただけるなんて。ちょっと散らかってますが気にしないでくだされ」
腰の曲がった老婆が、恐れ入ったように挨拶をしてくる。確かに電話してから来たとはいえ、掃除が間に合わなかったのだろう。廊下には様々な通販会社の段ボールが重ねて置いてあった。ついつい、桃瀬はそれをチェックしてしまう。自分も通販でお取り寄せをするから気になってしまうのだ。
(年配の人でも通販会社を活用する時代になったのね。ママゾンに楽市、ヤハーはうちも使ってる。食品会社の箱もあるなあ。クレソン坊やは実家が使ってたな。高いけど品がいいとか。あとはアース農家の会にジビエ・キッチン? 聞いたことないな。……まあ、グルメなのかな?)
「外来種対策課精霊部門の榊と言います。こちらは部下の柏木と桃瀬です」
「「よろしくお願いします」」
榊が自分も含めて紹介する声に我に帰って慌ててお辞儀をした。
通された居間は広めで、床の間に飾られている調度品も高級な物で揃えられていることから裕福な暮らしが伺える。
(なんかぬるいお茶ですね、主任)
柏木がこそっと耳打ちしてくるのを榊はギロっと睨んだ。
(柏木さん、これ、玉露です。高級なお茶ですよ)
桃瀬がそっと柏木へフォローする。
(余計なことは言うなよ、柏木。公務員としての威厳は保て)
こそこそ話していると、老婆と中年の女性が入ってきた。
「ようこそいらっしゃいました。改めて紹介します。私が投書をした中津川ミサヲです。こちらは姪の山中芙美子です。姪の夫はあいにく単身赴任で不在でして」
「本当にもう、叔母さんったら心配性なんだから、あれは悪質なイタズラでしょう。警察にも届けたのだから、わざわざ環境省まで投書するなんて……。き、吸血鬼なんて、そんな恐ろしいものがこんな所にいるわけないじゃないですか」
芙美子は叔母をたしなめようとするが、ミサヲはぴしゃりと封じた。
「何を言ってる。あれは血を吸うコウモリの仕業じゃ。ただの動物だとしても、吸血コウモリは日本にはいないからどちらにしても大変なことじゃ」
どうやら、吸血コウモリ云々はこの老婆の推理から来ているようだ。
「まずはお話を聞かせてください。吸血鬼疑いのコウモリがいると思ったのは何故ですか?」
「ああ、投書にも書いたが、周辺から野良犬や野良猫が急に見えなくなった。保健所が働いてるかとも思ったが、人事異動の四月からというならわからなくもないが、今は六月。半端なのじゃ」
確かに保健所に限らず人事異動で担当者が変わった途端にガラッと方針が変わることがある。例外は五月異動の税務署くらいだが、税務署の人間が野良犬対策などするはずがない。しかし、この老婆はこんなことまで頭が回るとは意外だ。
「それにな、あれはひと月くらい前のことじゃった。奇妙な猫の死骸が庭先に転がっていた」
「奇妙とはどのように?」
「ああ、首が大きく切られていた。それが致命傷じゃったのだろう。さすがにかわいそうだから庭の隅に埋めようと拾い上げた時、いやに軽いことに気づいた」
「軽い? でも、猫は元々軽いのでは?」
柏木が疑問を挟む。
「いや、なんというのか見た感じよりかなり軽かった。それだけではない、首の切断面は切られたての肉の色そのものだった。ほれ、スーパーで売ってる肉のあの色じゃ。しかし、周辺に血痕はおろか、切り口からも血が一滴も出なかった。前日までは死体は無かったから、言い方はなんだが、死んで間もない死体なはずなのにな。それと、二週間前にやはり首を切られているのに血が出ていない鳩の死体があったな」
「叔母さん、そんな恐ろしいこと言わないでください。それは警察も言ってたけど、きっとナイフを持った変質者の仕業ですよ。吸血鬼ならナイフは使いませんよ。吸血鬼だなんてそんな、恐ろしい」
芙美子が再びおろおろしたように口を挟む。
「わからないぞ。ナイフで切ってから傷口を啜ったかもしれぬ。牙があってかぶり付くとは限らないじゃろうて」
猫の死体を見てもたじろがない、冷静に吸血鬼の存在を示唆するあたり、このミサヲという老婆はなかなか肝っ玉据わった人のようだ。対して姪の芙美子は過剰なくらい吸血鬼を恐れているようにも見える。
「いくらなんでも現代に吸血鬼だなんて、ば、馬鹿馬鹿しい」
恐怖を打ち消すように、芙美子が吐き捨てる。しかし、それは怯えている者が発する空元気のように見えた。
「芙美子、町中のフェアリーやシルフを見てもまだそんなことを言うのか?」
「そ、それは……」
「加えて動物でも外国からおっかない物もたくさん来ておる。現に岩槻に外国の毒蛇が現れたそうじゃないか。ただのコウモリでも外来種だったら危険じゃぞ」
だんだん二人が口論じみてきたので、榊が慌てて話を逸らすためにも話に割り込む。
「他に何かおかしなところはなかったのですか?」
「ああ、そうじゃな。コウモリが夕方やたらと出没するようになった」
「ああ、そういえば確かに」
芙美子はその点には同意したようで、頷く。
「ひどい時には夕方の空が一面コウモリだらけということがありますね」
「今まではそんなに大量発生しなかったのですね?」
「ええ、それまではムクドリがすごかったのですけどね。そう言えば、ムクドリも見かけなくなりました。縄張り争いに負けたのかしら?」
「犬猫とムクドリの所在不明に、奇妙な猫や鳩の死体、と」
榊は冷静にメモを取る。柏木達もそれを見て慌てて各自の手帳にメモを取り始めた。
「お話は大体わかりました。ただ、まだ情報が不足しているので慎重に調査をしなくてはなりません。次からは電話で結構ですので、名刺のところへ連絡をお願いします。柏木君、桃瀬君、そろそろお暇しよう」
そう言って立ち上がりかけたその時。
「おおーい!叔母さんはいるかあ⁈」
玄関口から酔っ払ったような男の大声が響いてきた。
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