第1章ー4 さいたま大震災
「やれやれ、お疲れ様。じゃ、順番狂ったけど、仕事の概要の説明に入る」
榊と桃瀬は事務室へ戻った。時刻は十時半を指している。桃瀬の機転もあって、思ったよりは時間のロスは少なく済んだようだ。榊はレジュメを配布した後、それに沿って読み上げ始めた。
「十年前に、この街を震源とした『埼玉県南部地震』、通称『さいたま大震災』が起きた。君も関東在住だったなら覚えているよね?」
「はい。あの時は高校生で受験と重なって大変でした。身内にも犠牲が出て……」
桃瀬は俯いてしまった。まだ十年しか経っていない。身内を亡くしたのなら尚更だろう。
「知っているとは思うが、死者五千人、負傷者一万三千人、建物の被害は全・半壊合わせて六十万世帯。液状化による被害も広範囲に及んだ。そして、震災直後から精霊や妖怪が突如、至るところに出現した。原因は今も不明だが、人々は震災により現れたと考えている」
「はい」
桃瀬は素直に頷いている。まあ、ここまでは職員でなくても周知の事実だ。震災の痛手に加え、各地で現れた精霊達に国は混乱した。しかし、ほとんどの人が見えるだけでこちらからは触れない、過剰に挑発や攻撃をしない限りはこちらに害を与えない精霊が大半なので、やがて人々はその事実を受け入れた。
集団幻覚だという者もいたが、いたずら好きのピクシーがそう主張する者の顔面にマジックで落書きをするに至っては、認めざるを得なかった。
斯くして、精霊や妖精達は市民権を得たのだ。
「しかし、そうやって過ごしていくうちに気づいたことがある」
「はい、可視化された妖精や精霊は全て海外のものばかりだったと」
桃瀬が言葉を継ぐように答える。これも周知の事実だから当然だろう。
「精霊達が可視化されて十年、見えるのはシルフやフェアリー、ドリアードなどと言った西洋のものばかりだ。日本由来の精霊や妖怪、八百万の神ですら、その姿を確認した話はわずかだ。決してゼロではないが、著しく少ない。
わずかに見つけた日本の精霊たちから聴取した結果、大陸からの精霊が押し寄せて居住区域が狭まっているとの結果を受け、動植物の外来種が繁殖し、在来の動植物が絶滅に瀕している問題と同じことが精霊達の世界でも起きている。そう考えた本省が『在来種精霊保護にかかる外来種精霊に関する対策法』を制定したのが二年前。それを元に、この部門が発足したのが去年の事だ」
「はい」
「まだ新しい部門だから人員の増員が認められて、桃瀬君が配置された訳だ。とはいえ、新しい部門ということや人員が少ないこともあって、何でもやっているのが現状だ。わからないことがあったらどんどん聞いてくれ」
「はあ、掃除終わったあ」
柏木が洗剤の匂いを漂わせ、事務室へ戻ってきた。
「おう、早かったな」
「ええ、洗剤の大半はトイレットペーパーが吸ってたので、まとめて捨てて、水をばあーっとかけて終わりました。俺一人じゃ大変だろうとお掃除のおばちゃんが手伝ってくれて、手際が良かったのもありますが」
柏木はチャラいが、イケメンでもある。きっと掃除のおばちゃんに営業スマイルで助けを求めたな。ちゃっかりした奴だ。
「早く終わって良かったな。その分、顛末書作成に回せるな」
「……はい」
しょげながらも柏木はパソコンに向かって、書類を作り始めた。榊はそれを目視した後、レクチャーを再開した。
「この部門の仕事は外来種精霊の調査、捕獲、本国への送還手続き、在来種精霊の保護だ。それから啓発活動。残念ながらまだまだ市民の意識は低く、たまに精霊を掴める人間によってフェアリーなどを海外から持ち込んだり、街のシルフを捕らえて飼うケースもある。許可を得ていない者は捕獲、飼育は厳しく規制しているのだがな。まあ、そのあたりは税関や警察の仕事だが」
「質問ですが、外来種の送還ってどこへ送るのでしょうか?」
「ああ、シルフやフェアリー、ピクシーなどは決まっていない。これらはヨーロッパの精霊だが、ヨーロッパと言ってもたくさん国があるからな。まあ、生息数が少ない国へ優先的に送ることになるだろう。それまでは一時保護施設へ収容となる。ハッキリ出自がわかる者はすぐに本国へ送還となる」
「でも、場合によっては抹殺もあり、と」
柏木がパソコンから目を離さず、茶化すように口を挟む。
「柏木、余計なことを言うな。それはまた後での説明だ。それより、貸与する服や備品の説明をしろ」
「はーい、はい、と。では、桃瀬ちゃん、備品の説明をするね」
そう言って柏木は棚から備品を取り出し、桃瀬の机の上に置いて説明を始めた。
「まず、屋外の仕事が多いから作業服。予備も含めて二着。悪意ある精霊からの攻撃を防ぐ結界も施してあるから、破けたりしたらすぐに会計課へ修理依頼することになる。その報告は速やかにね。だから普段はこれを着てスニーカーでいること多いから出勤したら着替えた方がいいね」
そう言って柏木は作業服を広げる。地味な紺色だが、背中には環境省の略称と精霊部門の英訳の「MOE Spirit Section」の文字、シンボルマークである八咫烏が描かれている。さらに手袋を取り出し、柏木は説明を続けた。
「これは手袋。これも特殊な加工がしてあって、普通ではなかなか掴めない妖精類が掴めるようになる。悪用される恐れがあるから絶対に無くさないように。それから、調査で捕まえた精霊を持ち運びするための籠と、護身用のエアガン。これは人間には無害だけど、精霊の類いには動きを一時的に封じる効果ある。やっつけるというより、逃げる時間稼ぎだね。弾も無くなったら速やかに申請して補充してね。他にも質の悪い精霊を抹殺するための武器はあるけど、滅多に使わないし、使うときは使用許可の決裁とる。じゃ、この受領証に判子をお願い」
判を押した後、桃瀬は珍しげに服や手袋を手にしてしげしげと眺めた。
「これで精霊が触れたり、動きを封じるなんて、不思議ですね。どんな加工がしてあるのですか?」
「ああ、これのおかげで特殊能力が無くても誰でも触ることができる。これ、手袋や作業服の内側にある“
「へえ、協力って、どこなんですか?」
「それがね……」
柏木が口を開きかけるが、榊がぴしゃりと封じる。
「おしゃべりはそこまでだ。顛末書をさっさと作れ。桃瀬君は午前の残りは実例集を読んでもらうとして、午後はモニタリング地点を一緒にチェックしていこう。じゃ、この実例集に目を通しておいて」
そういうと、榊は柏木をにらみ、桃瀬に新たな資料を配布したため、レクチャーはお開きとなった。
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