② 四面楚歌
空気が淀む、四面楚歌。
一触即発の空気。血なまぐさい死闘の予感。
ひょうきん丸に向けられた殺意の比ではない。
単純に五倍以上の圧力を、僕は正に体験していた。
なんせ、彼に匹敵する五人もの怪物に取り囲まれているのだ。
(一難去ってまた一難……どころの話じゃないな)
ひょうきん丸との死闘など、まるで比較にならない死闘の予感。
あの戦い自体、僕が生き延びられたのは単に「運が良かった」からだ。
彼女の覚醒という幸運に恵まれなければ、僕は今頃とっくに死んでいただろう。
滅鉄砲【種子島】の聖なる銃撃。
本来、戦いはそこで終わっていたはずだった。
あんな絶望的な状況を打開できたのも、戦闘を有利に運べたのも、晴禍の力あってこそ。
彼女が羅刹の力を制御してくれたからこそ、ひょうきん丸の怒涛の攻撃を凌ぎ切ることができたのだ。
言うなれば、偶然に次ぐ偶然の連続。
幸運と幸運の綱渡り。
そんな晴禍といえば、ひょうきん丸戦が終わってからというもの、未だに眠り続けている。
晴禍の協力が無ければ、羅刹の力を十全に引き出せない。
であれば、結果は既に見えている。
吸血鬼の血を摂取しただけでは、この四面楚歌を打開することは到底不可能だ。
「遊撃部隊の隊長は、それぞれ一国の軍事力に相当する力を持っています」
と、沙杯夜は言う。
「なんなら世界を滅ぼす程度、彼らの内二人もいれば事足りるでしょう。そうでなければ、世界中の化物なんてとても相手にできませんからね」
「…………」
そんな冗談みたいな話――
などと、笑い飛ばす事はできない。
十字軍の持つ圧倒的な戦力は、この身で嫌というほど味わっている。
例えば、第三遊撃隊長のひょうきん丸狂死郎。
鬼の力と二丁の魔滅鉄砲を操る彼ならば、戦車の十台や二十台、鼻歌混じりに破壊してみせるだろう。
例えば、第三遊撃隊 副隊長のアイアン・メイデン。
高圧電流を纏い、全身を無理矢理パワーアップさせて戦うあの少女なら、百人や二百人の武装勢力、簡単に蹴散らしてしまうだろう。
異常とも呼べる戦闘力を有する十字軍。
それは世界を滅ぼせる、なんて話も真実味を帯びてくるほどに――
「そんな遊撃隊長の一角、それも
だからこそ、と。
沙杯夜は続ける。
「だからこそ、貴方を魔王と呼ぶのです。その身に吸血鬼と鬼を宿し、地上最強と呼ぶに相応しい、絶無の戦闘力を誇る貴方を――魔王と呼ばずして、一体誰を魔王と呼びましょう?」
「……魔王、か」
確かに、そういう見方も出来なくはない。
吸血鬼と共に歩み、鬼の力を従え、陰陽師に力を借りるという一連の所業が、すべてこの身に宿っている。
混沌の
魔を統べているとも、言えなくない。
「魔王は古来より、滅ぼされるために存在します。そして私は、貴方という魔王が覚醒することを、生まれる前から知っていました」
沙杯夜は、にっこりと微笑んだ。
「今日のために、私は最高のパーティを用意しました。即ち彼ら、遊撃隊長たち――通称、五大地獄の死天王。さぁ、果たして貴方に撃破できますか?」
その瞬間――
化物達が、蠢いた。
真っ先に飛び込んできたのは、長身痩躯の紳士だった。
スーツ、ネクタイ、つば広帽――
そしてカラスのような嘴が印象的な、不気味な仮面。
紳士はぬらりとステッキを構え、躊躇なく突撃してくる。
(……くッ!? なんて疾さだ!)
なんとかステッキの軌跡を見切り、回避しようした刹那――
ぎゅんッ! と。
ステッキのリーチが、急激に伸びた。
(仕込み刃――!?)
刃の切っ先は既に、心臓を突き破らんとする位置にまで迫っている!
「くっ!」
無理矢理に体を捩じり、軸をずらす。
辛うじて、刃は僕の脇を掠めた。
服を引き裂かれはしたが、肉体へのダメージは負っていない。
しかしあと一瞬反応が遅れていれば、心臓を破壊されていた。
暗器による奇襲もなることながら――踏み込みの疾さも脅威的。
『…………………』
長身痩躯の紳士は立ち尽くし、追撃もせずに真っ直ぐに僕を見つめている。
代わりに背後から、「しゃこん しゃこん しゃこん しゃこん!!」という爽快な金属音が鳴り響く。
振り向いた途端――
金色の棒が、空気を切り裂きながら迫っていた!
「がっ!」
咄嗟にその場で大きく仰け反り、回避するが――
金色の棒はまるで意思を持ったかのように追尾し、そのまま正確に顔面を打ち抜いた!
「おーっほっほっほっほっほ!! 愉快、痛快ですわ! 地上最強だか魔王様だか何だか知りませんが、黙ってさっさとくたばりなさい!」
背筋が凍るような高笑い。
その主は、全身を黄金のドレスに身を包んだ少女。
金色の棒は嵐のように激しくのたうち、しつこく僕を追尾する。
三節棍。
彼女が無茶苦茶に、無軌道に振り回しているのは――
黄金に輝く、三節棍だった。
(ぐっ……! まるで身動きが取れない!)
縦横無尽に飛び回る金色の棒。予測不能の攻撃。
直撃を逃れるように、回避と防御を繰り返すだけで精一杯だ。
逃げ回る暇すら与えてくれない。
固定。
気が付けば僕は、その場に張り付けられていた。
(まずい――! この状況で、立ち止まるのは――!)
多対一という、ただでさえ不利な状況で一か所に留まるのは、どこからでも殺しれくださいと言っているようなもの。
心臓を差し出しているのと同義。
そして、そんな隙だらけの僕を黙って見逃してくれるほど、地獄の包囲網は甘くない!
『―――――!』
再度、長身痩躯の紳士が動く。
再度、ステッキによる刺突の構え。
その一撃は正確無比。
針の穴を通すような正確さ。
金色の嵐を潜り抜けた仕込み刃が――
再度、僕の心臓に迫る!
「っくそ……!」
なんとか瞬時に軸をぶらし、紙一重でステッキの一撃を回避する。
仕込み刃の切っ先が、脇の肉を抉り取った。
更に――三節棍。
金色の嵐が、回避後の無防備な僕を、滅多打ちにする。
「おーっほっほっほっほっほ! それで防御しているつもりですの!?」
ばこん、と。
聞いたことのないような音が響き、脇腹に鈍い痛みが走った。
(っ……! たった一撃、貰っただけでこの威力――!)
何度も死にかけたからこそ分かる――肉体が負ったダメージ。
肋骨が五本。
まとめて一気にヘシ折れている。
いくら吸血鬼の力が憑いているとはいえ、痛いものは痛い。
いくらすぐに傷が治るとはいえ、痛みがあれば怯んでしまう。
その一瞬のスキが、命取り。
「……あ」
あと一秒後に僕は死ぬ。
戦慄――
或いは、直感か。
その気まぐれが一歩だけ、僕をその場から後ずさらせた――
瞬間。
目の前の空間が抉れたと思った。
(――――!)
結果から言えば、それは一筋の斬撃に過ぎなかった。
しかし空を裂いた軌道、威力、速度。
避けてなお、いま僕が生きていることに納得できない。
死んだ後の光景すら目に浮かぶ様な、あまりにも完璧な斬撃だった。
戦慄せずにはいられない。驚嘆せずにはいられない。
「……ふむ。確かに「音」が聴こえたはずだが――?」
呟くのは、僕の眼前に立ち尽くす老人。
桃色の着流し、サングラス、ヘッドホン。
そして左肩にスピーカーを乗せた、余りにも奇抜な老翁。
まるで三文芝居に登場する役者の恰好でありながら――纏う覇気は本物。
達人、怪物、異形。
触れれば斬れそうなほどの雰囲気をその身に纏う、厳粛さ。
その腰に「じゃきり」と音を立てて仕舞われたのは、大振りな日本刀。
(ぐッ……! くそ! くそっくそっくそっ! いくらなんでも捌ききれるわけがない!)
仕込み刃、三節混、そして日本刀。
三重殺の包囲網。
こんな連続攻撃、あと一巡だって耐えられるか分からない。
にも関わらず――攻撃に参加しているのは未だに三人。
(……見立てが甘かった! 油断していた! こんなもの、僕にどうにかできるレベルじゃない――!)
後悔しても、もう遅い。
逃げ場などどこにもない。
絶無。
驚く暇も、
「おーっほっほっほっほっほ! 手ぬるいですわね、地上最強!」
金色塗れの少女が吠えると同時に、金色の嵐が吹き荒れる。
更に、虎視眈々と狙いを澄ませる気配。
刺突の構えと、斬撃の構え。
戦慄と恐怖の挟み撃ち。
気が狂いそうだ。
こんな連中と同じ空間に存在し、あまつさえ戦いを繰り広げている異常な事態――最高峰の悪夢に地獄、その空気に晒された僕は、明らかに冷静さを失っていた。
迫りくる死が、もうそこまで迫っている。
吸血鬼の再生力など、不死性など気休めにもならないほどの、圧倒的な戦力。
僕は、冷静でいられず――死を恐れた。
死を恐れる感覚から、一刻も早く逃れたいと思った。
思ってしまったが故に――
短期決戦の文字が、脳裏に浮かび上がってしまった。
このままでは埒が明かない。
そう考えた僕は、沙杯夜に向かって突撃した。
指揮系統を潰せば、終わりだという安直な思想。
ただひたすらに、この戦いを終わらせることだけを考えていた単純さ。
そんな僕の足元を掬うのは、実に容易かったことだろう。
沙杯夜は、何の感情も零さずに、ただにこり、と笑った。
そして呟く。
「――仕留めなさい、翻野」
どん、と。
まるで背中を叩かれたような、呆気ない衝撃。
じわり、と湧き上がる熱――
息を呑もうとした瞬間、呼吸の仕方を忘れていることに気が付く。
あれ?
何かがおかしい。
視線を下げた先に映るのは、胸を貫く二つの包丁。
その位置は――ちょうど、心臓と肺がある位置に。
「……がぼっ」
僕はその場に倒れ込み、自らの血の中に沈んだ。
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