③ 果ての藍色
ぐらりと、地面に倒れ伏す。
いくら吸血鬼の力があるとはいえ心臓に、血を司る器官にダメージを受けては、再生力が極端に低下してしまう。
流した血が即座に消滅しないのが、いい証拠だ。
「ぐっ……ぐぅぅぅっ……」
どうにか首をひねって背後を見ると、僕に馬乗りするような形で、黒装束がまたがっていた。
両手に握った二本の包丁で、僕の背中を突き刺しながら。
「…………………」
黒装束の表情は、暗闇に包まれて窺い知れない。
殺意も敵意も感じない。
何を考えているか分からない。
あまりにも――あまりにも、静かすぎる。
だからこそ今まで彼の接近に、存在に、気がつかなかったのか。
「……ぐっ!」
僕の右手の甲に、ステッキが。
左手の甲に日本刀が。
そして両足には、それぞれ金色の三節棍が突き立てられた。
完全に身動きを封じられた。
詰み。
もはや手の打ちようがない。
死。
抗いようのない絶望。
「ぐっ……く、くそ!」
こんなところで、死ぬわけにはいかない。
さっき燈火と約束したばかりなのに、早速期待を裏切るのか?
そんな真似は、死んでも出来ない。
早くこんな状況を打開して、燈火を安心させなければいけない。
死んでいる暇など、ありはしない。
そう思った瞬間――
どこからか、眠たそうな声が聞こえてきた。
(……やれやれ。休む暇すらなく戦闘か。お主よほど運命に愛されておるようじゃのう)
(……晴禍! 覚醒したのか!)
(これだけ派手に死にかけたら、流石にの。しかし余の休息も十分ではない。故に、羅刹の力を十全に引き出すことは叶わん。お主よ、ここは短期決戦で決めるのじゃ。速攻で潰さねば逆に狩られてしまうぞ)
(速攻――短期決戦か)
望むところだ。
上手くいくか分からないが――出来なければ、死ぬまでだ。
ならば、やってやる。
その瞬間、全身に力が湧き上がった。
傷は一斉に塞がり、肉体に刺さる武器という武器が、恐ろしい力で跳ね除けられる!
「な……なんですの!? 一体何が――」
さしもの遊撃隊長達といえども、大きく体勢を崩し、動揺していた。
咄嗟に武器こそ構え直してはいるものの――
今の僕にとっては十分すぎるほどの、大きな隙だ。
(まずは一人……!)
全身を駒のように回転させ、後方の黒装束に向かい合う。
「――!」
黒装束は危険を感じたのか、咄嗟に包丁を交差させガードの姿勢を取る。
(……! 思っていたより反応が早い)
しかし、その行動は無意味だ。
僕は裏拳を放つフリをして――黒装束の頭をがっちりと掴み、そのまま地面に叩き付けた!
「――――――!」
くぼんだ地面の中で数回を腕を痙攣させたのち、黒装束はぐったりと力を失った。
――残るは五人。
「翻野が一撃!? くっ……化物ですわ!」
女は吠えながら三節棍を振り回し、再び金色の嵐を発生させた。
その端で、淡々と機会を狙う長身痩躯の紳士。
そして、傾奇姿の老人――
ちょうどいい。
まとめて片づけてしまおう。
「……あ、あら?」
金色の嵐――二つの三節棍が織りなす打撃の嵐。
その棍の切っ先を掴み、金色の女を引き寄せる。
女は咄嗟に棍を手放し、逃れようとしたがもう遅い。
僕は彼女の手首を掴み、長身痩躯の紳士へと投げつけた。
「――――!」
長身痩躯は咄嗟に身を捩じり、難なく回避するが――
彼女が片手に持っていた、金色の嵐だけは避けようが無かった。
長身痩躯の紳士と金色の女は、まとめて絡めて吹き飛ばされて、壁に大きくめり込んだ。
――残るは、三人。
(……来た!)
視線――死線!
後方回避した僕の眼前で、空間がごっそりと削られる!
「また避けるか――! さては貴様にも聴こえているな、「世界の音」が! その旋律と美しい調べが! ならば次の一撃、我が必殺の奥義にて――」
「残念だけど、それは無い」
僕は、片手に持っていた三節棍を、ぐいっと引っ張った。
そして――大振りの日本刀が、すっぽりと僕の掌に収まった。
「な……!?」
驚愕に染まる老人の表情。
見れば刀の刀身には、金色の棍と棍を結ぶ鎖が――絡みついている!
……何、大したことじゃない。
金色の女が振るっていた武器のうち一本を拝借し、先の斬撃に合わせて仕込んでいただけのこと――!
「いくら強力な斬撃を放とうと――刀を奪われちゃ、何もできないだろ!」
僕は老人の懐に潜り込んで、柄を腹部に押し付けた。
そのまま老人は小さく呻き声を上げ――呆気なく昏倒した。
(――あと二人!)
半裸の大男と、龍宮院 沙杯夜!
その内、大男が急に笑い声をあげた。
「ガッハハハハハハ! 愉快、痛快、大爽快! 見ていて気持ちが良い! 良い強さだ小童! しかし、まだまだ戦い方が粗いと見える――どぅれ、いっちょこの俺が胸を貸してやろう!」
のそり、のそりと僕に近づく大男を――沙杯夜が制止した。
「控えなさい、
「ん……。お嬢がそう言うやら、仕方ねぇやな」
ず、と後方に下がる大男と。
つ、と前に進む、龍宮院 沙杯夜。
十字軍の総司令――藍色の少女。
「さて、先手を譲って差し上げましょう。どうぞ、どこからでも」
沙杯夜は、にこりと微笑み両手を広げた。
まるで僕を向かい入れるような体制――全くの無防備。
にも関わらず――
どう仕掛けるのも間違っているとしか思えないほどの威圧感。
(……油断するでないぞ。あの女、只者ではない)
晴禍ですら、そんな風に警戒するほどだ。
しかし――
だからといって、このまま睨みあっているわけにもいかない。
グズグズしていれば、先ほど倒した連中が、復活してしまう。
(くそ……考えたところで埒が明かないか!)
結局僕は、沙杯夜のプレッシャーに押し負けた。
闇雲に突っ込むのは危険だと分かっていても、そうせざるを得なかった。
僕は沙杯夜に肉薄し、右手を振りかぶったが――
しかし、沙杯夜は微動だにしない。
指一本すら持ち上げず、不動。
泰然自若と、僕の攻撃を待ち構えている。
そして――くすり、と小さく笑う。
「……私は知っているのです、魔王様。貴方が優しすぎるということを。だから私のような、無抵抗な少女とは戦うことが出来ないことを――」
沙杯夜の藍色の眼が「どろり」と。
より深く、より一層強い藍色へと染まった。
その瞬間。
世界が反転した。
何が起こったのか把握する暇もなく、僕は背中から思い切り地面に叩き付けられる。
がら空きになった胴体に、ずしり、と沙杯夜の足が乗った。
「ですが、手加減は不要ですよ。むしろ早く本気を出さなければこのように――」
沙杯夜は一瞬だけ足を浮かせ、そしてドンッ!!!! と。
踏みつぶす――その衝撃は、肺の空気を押し出すだけにとどまらず、両側の肋骨を三本ずつ、まとめて砕いてへし折った。
「がっ……!」
「次は、心臓を潰します」
ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
それは、恐怖。
「うっ……! ぐうう……!」
僕はみっともなく地面を転がりながら、沙杯夜と距離を取った。
その間、沙杯夜は追撃を仕掛けることもなく――
静かに、小さな微笑みを湛えていた。
「どうしました? 貴方の力はこんな程度ではないでしょう。吸血鬼、陰陽師、そして羅刹。魔の数々を肉体の一つに閉じ込めた混沌、魔王と称されるべき災厄が、この程度で根を上げるはずはないでしょう?」
にこやかに、一歩ずつ――
沙杯夜は、近づいてくる。終始笑顔を浮かべるその表情が、不気味ですらある。
怖い。
やらなければ――やられる。
気が付けば、僕は再び沙杯夜に肉薄していた。
そして手加減なしで、全力で――沙杯夜に、掌打の嵐を繰りだす。
――しかし。
あろうことか沙杯夜は、僕の攻撃を紙一重で回避し続けている。
両手の手をだらりと下げて、応戦すらしない。
ただ、僅かな足さばきだけで――次々に、掌打を潜り抜けていく!
(なんだ……一体、なんなんだこれは……)
僕の動きを見切っている、なんてものじゃない。
まるで、どこから攻撃が飛んでくるか、事前に把握しているのかのような――
未来でも、視えているかのような。
「その通り」
沙杯夜は、僕の心でも読んだかのように呟いた。
「私には、貴方の行動が百手先まで視えています。貴方が攻撃することを、どこに攻撃するのかを、私は生まれた時から知っていました。そして――どの部位への攻撃が、最も効果的であるのかも」
どすん、と。
今までに感じたことのない感触が、胸を穿った。
見ると――沙杯夜の右手が、僕の胸に突き刺さっていた。
ゆっくりと這い寄るかのように――熱が。
どくどくどくどく、と。
ゆっくりと――心臓に近づいていく。
その感触はひたすら不気味で、気持ちが悪くて。
「そう驚くことでもありませんよ。人体というのは所詮、肉と皮膚でしかありませんからね――肋骨さえ避けて刺突すれば、私のような非力な少女でも、人体を貫通することは容易です」
「……………」
理屈でいえば、その通りかもしれない。
しかし――それはあくまで理屈に過ぎない。
理屈を実現させることが、一体どれだけ難しいことか。
「言ったでしょう? どの部位に攻撃するのが最も効果的なのか――どのタイミングで攻撃すれば、非常識を実現できるのか。知っていればそうそう難しい業ではありませんよ――ああ、動かないでくださいね」
沙杯夜は、ぐちゅぐちゅと音を立てて血肉を掻き乱す。
「今、貴方の心臓を掴んでいます。抵抗の素振りを見せたら、即刻握り潰させていただきます」
沙杯夜は、薄氷の笑みを浮かべながら僕の瞳を覗いた。
「――ふむ。吸血鬼の力を完全に殺すには、心臓を潰して首を刎ねる――でしたね」
ゆっくりと、僕の首筋に。
もう片方の手が――添えられる。
「――ひ」
それは最早、少女の非力な腕ではない。
死神の鎌。
人体を知り尽くし破壊への最適解を辿る、絶無の一撃。
それが今――
僕の命を狩り尽そうとしている。
「さて。何か言い残すことはありますか?」
龍宮院 沙杯夜は、薄氷の笑みを浮かべながらそう言った。
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