④ こんな場所では終われない
「……言い残す、ことだと?」
「そうです」
ゆっくりと、沙杯夜は頷いた。
その顔には、相変わらず穏やかな笑みが浮かんでいる。
まるでこれから人を殺そうという顔には――とても見えない。
「貴方は見事、類稀なる決意と覚悟で私の前まで辿りついて見せましたが――快進撃もここで終わり、ということです」
と――
沙杯夜は、僕の心臓を掴むに手に、僅かながら力を加えた。
「だって生かす理由がありませんもの。吸血鬼の因子と羅刹が絡み合い、この世に復活を果たそうとしている? そんな異常事態を、黙って見過ごす方がどうかしています。ひょうきん丸を打破するという力があるのなら尚のこと。悪い芽は早々に摘み取らなければいけません」
ぐっ、と。
首に添えられた手刀に、力が籠る。
「呪うなら、貴方の運命を呪いなさい。恨むなら、生まれたことを恨みなさい。祈るなら、来世のことを想いなさい。この世に思い残すことがあるのなら――私が聞き届けて差し上げましょう」
「…………」
体が、動かない。
口が震えて、まともに言葉が紡げない。
心臓を鷲掴みにされるリアルな感触。
手を伸ばせば届く場所に、死が迫っている。
僕は死ぬ。
何も出来ないまま、死ぬ。
燈火との約束を護れないまま、死ぬ。
燈火の笑顔を見ることもなく、死ぬ。
燈火を泣かせたまま、死んでいく――
「…………ふざけるな」
そんなことは――出来ないだろう。
こんなところで死ぬなんて、認められるわけがないだろう。
「……ふざけるな? ふざけているのは貴方でしょう? 私との実力差が分かっているのですか? 状況が分かっているのですか? 言ったでしょう、私は貴方の千手先すら見えている――それなのに、一体どうして諦めないのです」
「いくら実力差があろうと、状況が悪かろうと、そんなことは関係ない」
「じゃあ一体、何が関係あるのです?」
「こんな終わり方じゃ、いくら死んでも終われねぇってんだよ!」
僕は沙杯夜を突き飛ばし、その勢いで右の拳を振り上げた。
沙杯夜の腕が、胸から抜けて――血が、噴き出る。
血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血、血。
視界いっぱいに広がる真紅の嵐。
血と一緒に、意識も吹き飛びそうになった。
骨が軋んで、肉の裂ける音が聞こえた。
だけど、そんなことは関係ない。
ここで僕が死ぬということは、燈火も死ぬということだ。
それだけは、絶対に許せない。
認めない。諦めない。
僅かでも可能性が残っているのなら――手を伸ばさなければいけない。
「僕はまだ、こんな場所では終われない。こんな結末で終わるなんて、認めるわけにはいかないんだ。だから――」
ありったけの力を振り絞って、拳を振るう―
精彩を欠いた、勢いに欠けた、悪あがきのような攻撃。
蠅の止まりそうな一撃。
ぱし、と。
沙杯夜は、いともたやすく僕の拳を止めた。
「……私はね、魔王様。生まれた時から、この世の全てを知っていました」
沙杯夜は淡々と、僕の瞳を覗きながら言った。
「だから、貴方の未来も知っているんです。どんなに頑張ったところで、貴方に救いのある物語は、掴めません。無念のままに死ぬことが運命づけられているんです」
「……………………」
「吸血鬼と関わった時点で、貴方の運命は決まっています。……それを聞いてもまだ、生きたいと思いますか?」
「………あんた、運命が視えているってわりに肝心なことが分かってないな」
「なんですって?」
「例え最初から運命が決まっていたとして――はいそうですか、と簡単に諦める程度なら、僕はとっくに死んでるんだよ」
燈火と出会った時、既に僕の運命が決まっていたとしよう。
燈火を殺し、白炎を殺し、彼らの約束が守れないままに、死ぬ運命に囚われていたとしよう。
ハッピーエンドなんて、最初から存在しなかったとしても。
バッドエンドが宿命づけられていたとしても。
それは歩みを止める理由にならない。
諦める理由にならない。
運命が既に決まっているなら、打開すればいい。
今までも、そういう風に足掻いてきた。
どんな時も足掻いてきた。
そうして、今の自分がある。
だからこそ分かる。
運命や未来が、定まっているものではないということを。
それは常に、流動的であることを。
蝶の羽ばたきが、嵐を呼ぶように。
振り回した手の先に、足掻き続けたその果てに、可能性は広がり続けるということを。
「確かに……今は、そういう運命になっているのかもしれない。そういう未来が待ち受けているのかもしれない。だけど諦めない限り、運命や可能性は広がっていくはずだ。だから、可能性はゼロじゃない」
終わってみるまで、分からない。
どんな物語になるのかは。
だから――
「僕は、こんな場所では終われないんだ。お前の言う運命や未来にも従わない!」
「――そうですか」
沙杯夜は、ゆっくりと僕の拳から手を離し――
そして再び瞳を「どろり」と、色濃い藍に染め上げる。
「それが遺言ということで、よろしいですね?」
ぐわぁああん、と。
腕を――真っ直ぐに、振りかぶり。
「さようなら」
沙杯夜が、ぽつりと呟いた瞬間。
「――――――」
燈火の声が聞こえたような気がした。
『――出来ない約束はしない方がいいですよ』
本当に、その通りだと思った。
「――なんてね」
沙杯夜の腕が、頬を掠めた。
ザシュッという音と共に肉が裂け、血が噴き出る。
だけど――
それで、お終いだった。
「貴方が運命に屈しない器であることを、私は生まれた時から知っていました」
「な……なに?」
「こんなところでは死ねないのでしょう?」
悪戯っぽく笑う彼女の表情には、年相応らしい少女の笑みが浮かんでいた。
「ならば最後まで足掻きなさい。そして私にも、救いのある物語とやらを見せて見なさい」
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