エピローグ

誰の眼にも映らないけど

 ひょうきん丸とメイデンは、お互いを支え合うようにして執務室を後にした。


 どちらも激しい怪我を負い、血に塗れ――すぐに意識を失いそうなほどの、重体だった。


 悪態を吐きながらも退室していく二人だったが、しかしその表情は、どこか晴れやかだった。


 まるで、憑き物が堕ちたかのような。


 そんな二人の後ろ姿に――声を掛けるのは野暮だろう。

 茶番の後に、言葉は不要。


 トドメを指す理由もなければ――追いかける理由もない。


「というか……できれば、もう二度と会いたくない」


 僕は地面にどっかり腰を下ろし、大の字に寝転がった。


 吸血鬼の力によって、僕の体力は無尽蔵だが――

 だからとって、疲れないわけでは無いらしい。


 しばらくは、何もしたくなかった。


(何事も、思う通りにいかぬものじゃな)


 頭の中で、晴禍の声が響き渡った。


(ひょうきん丸というあの男――てっきり、鬼に呑まれた狂人だと思っておった。どこにでもいる、孤独な修羅なのかと思っておった。しかし――そんな堕ちた存在にも、ああして手を差し伸べる人間がいるのじゃな)


 驚いいたような、呆れたような――疲れたような、声だった。

 どうやら彼女も、メイデンの行動に毒気を抜かれてしまったらしい。


(いやはや、人の子というものは随分と――まぁ、これ以上言うのは野暮じゃな……くぁぁぁ~)


 晴禍は、大きな欠伸をした。


(千年ぶりの運動にしては、ちと強烈じゃったな。余は少し眠るぞ。……その間に、ずっと後ろで控えておる、あの女子おなごに声を掛けてやれ。随分と心配そうに、お主の戦いを見守っていたからの――)


 少しづつ、晴禍の声が遠ざかっていく。


(吸血鬼だろうと、鬼だろうと、人間だろうと――独りで生きられるものなど、在りはせぬ。それは逆に言えば、、ということかもしれんな。お主が独り、怪物共を背負って生きているようにな……)


 その言葉を最後に、晴禍の声は消えた。


「あなた」


 と。

 入れ替わるように、燈火が僕の元へと近づいてきた。


 燈火はそのまま、ゆっくりと僕の背後に両腕を回し――

 ぎゅっ、と。

 強い力で、僕を抱きしめた。


「燈火?」


「……」


 彼女は何も言わず、ただ僕の胸に顔を埋めた。

 そのまま何も喋らない。

 やがて――微かな嗚咽が聞こえてくる。


「あなたは……優しい人です。でも、優しすぎるんです。そのくせ妙に強いから、どんどん危ない戦いに首を突っ込んで、誰かを助けようとする――! それでもあなたは絶対に諦めず、何度も何度も同じ方法で、困難に向かっていくんです! その姿を、いつもいつも見ているだけの、私の気持ちが分かりますか!?」


 言葉が重なるたびに、燈火の嗚咽はどんどん激しくなる。


「今回だって、たまたま上手くいったからいいものの――あなたは一度、死にかけているんです! 阿倍野あべの 晴禍はるかとかいう陰陽師の協力でどうにか事なきを得たものの――あんな都合のいいことが起こらなければ、貴方は今頃、殺されていたところです! 私があなたと関わったせいで、こんな……! こんな、危険な目に遭うことも無かったのに、私は――!」


「燈火」


 僕は、そっと彼女の頭に手を差し伸べた。


「ありがとう。そしてごめん」


 いくら、茶番の後に言葉は不要とはいえ――

 それだけは、何があっても伝えなければならなかった。


 僕はずっと、独りで戦っているつもりだった。

 だけど、それは大きな間違いだった。


 ずっと、燈火が見守ってくれていたのに。

 それすらも――僕は忘れて。

 

 何のために戦っているのかも、忘れて。

 燈火を殺し、そして燈火に助けられた命だということも、忘れて。


 いつもいつも――心配ばかりかけている。


(……そうだ。僕は、独りなんかじゃない)


 『私も一緒ですからね』と。


 戦いが始まる前に、燈火は確かにそう言った。


 その言葉の意味が、ありがたさが、優しさが――

 今になって、ようやく理解できるとは。


 愚かすぎるにもほどがある。


 生きている限り、本当に孤独になることはできない。

 本当は、支えてくれる人がいることを、忘れているだけ。


 僕には、優しい吸血鬼が憑いている。

 どうしようもない鬼が憑いている。

 僕を信じて力を委ねた、頼もしい陰陽師が憑いている。


 誰の眼にも映らないけど――確かに、僕は支えられている。


「救いのある物語よりも魅力的ですが――あなたはもっと、自分を大切にするべきです。本当に死んじゃったら、どう責任を取ってくれるんですか? ここまで期待させておきながら、中途半端のまま何もかも終わらせるなんて……そんな約束の破り方は、酷すぎます……」


 燈火は、嗚咽に何度も突っかかりながら、そう言った。


 こんなに僕を大切に想ってくれる人がいるのに――どうして今まで気が付かなかったのだろう。


 忘れてはならない。

 一番守りたいのが、何なのか。


「ごめん。もう心配をかけるような戦い方は、しない」


 燈火はぐしぐしと顔を擦り、ゆっくりと顔を挙げた。


「……出来ない約束は、しない方がいいですよ。そもそもあなた、約束の内容なんて覚えてるんですか?」


 燈火の皮肉に、思わず僕は笑ってしまう。

 忘れるわけがない。


 自分探しの旅――

 僕は、殺傷症候群の謎を解くために。

 燈火は、肉体を手に入れるために。


 僕の目的は、思いがけず達成されたけど――燈火の方は、先が長そうだ。


「一体、いつになるんだろうな。燈火に相応しい、可愛い女の子の身体が見つかるのは」


「別に、可愛くなくてもいいんですよ。……ほら、やっぱり忘れてるじゃないですか」


 燈火は真っ赤に腫らした目で、きっと僕を睨みつけた。

 そして、くしゃくしゃの顔に、出来の悪い笑顔を浮かべた。


「見せてくれるんでしょう? 救いのある物語。……ちゃんとハッピーエンドまで面倒を見てくれないと、嫌ですよ」


 ――ああ。

 どうやら僕は、とんでもない吸血鬼に憑かれてしまったらしい。


(だけど――決して、悪い気はしない)


 ……僕は、メイデンほどに強くない。

 日宮に誓った約束を護れるほど、優しい人にもなりきれない。


 だからこそ――

 約束の一つくらい、護れる人間にはなりたいと思う。


「ああ。約束だ、燈火」


「嘘にしないでくださいね、その言葉」


 涙を拭って笑顔を浮かべたのち、燈火は「さて」と呟いた。


「たくさん戦って疲れたでしょうから……今日は特別に、私が枕になってあげましょう」

 

 燈火はゆっくりと僕の頭を持ち上げ、空いたスペースに自分の足を入れた。

 俗に言う、膝枕の体勢だ。


 こいつは――とんだご褒美だ。

 疲れなんて、どこかに吹っ飛んでしまう。

 

「……何を笑っているんですか? 腹立たしい。ほら、さっさと目を閉じてゆっくり休みなさい」


「……はいはい」


 誰の眼にも映らないけど――

 確かに、僕は支えられている。


 眼を閉じてしばらく経つと、小さな手の平が、僕の頬を撫でた。

 柔らかくて、心地よくて――どこか懐かしい。


 その温かさに身を委ね、僕はゆっくりと意識を手放した。

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