⑲ エクステンデットの噛ませ犬
殺す。
そう決意した僕は、ひょうきん丸の頭蓋目掛けて最後の一撃を振り降ろす。
そうだ。救いなど不要。戦え。殺せ。殺せ。殺せ。
――殺せ。
想いに駆られるまま、体の動くままに、拳を振り下ろすが――
意識の果てに。
僕は、鉄と鉄の擦り合う音を聞いた。
「――
次の瞬間――鮮やかに迸る青白い電撃の果てに、
アイアン・メイデン。
第三遊撃部隊の副隊長、ひょうきん丸狂死郎の従者。
口から夥しい血を吐きながらもなお、彼女は僕に立ちはだかる。
琥珀の瞳に、溢れそうなほどの雫と強い意思を湛え。
弱々しい声で――懇願する。
「貴方様。どうか、どうか……ご容赦ください」
「ググ……ぐっ……どうして……」
どうして――そこまで。
そこまでして、ひょうきん丸を庇えるのか。
容赦なく蹴り飛ばされ、罵倒を浴びせられ、進言すら跳ね除けられ――挙句、半殺しにされたにも関わらず――なぜ。
(こ――この、たわけが!)
僕が困惑している隙に、晴禍の声が乱入した。
(一時の感情に流され、力を暴走させるでないわ! よいか!? 怒りや憎しみに引きずられ拳を振るうのは、ひょうきん丸と同じだぞ! その女子が間に割って入らなければ、今頃お主の魂も羅刹に引きずられておったところじゃ!)
晴禍の叱責により、僕はようやく冷静になった。
一瞬だが――確かに羅刹の意思を感じた。
晴禍の言う通りだ。
もしメイデンの行動に呆気取られていなければ、今頃僕はひょうきん丸の頭蓋を粉砕していただろう。
その運命を変えたのは――メイデンだ。
僕じゃない。
また僕は――何も出来なかったというわけだ。
僕は拳を降ろし、地面にゆっくりと腰を下ろした。
それを停戦の合図と受け取ったのか――メイデンは僕に目もくれず、ゆっくりと体を引きずりながら、ひょうきん丸の元へ近寄っていった。
「狂死郎様……大丈夫ですか?」
ひょうきん丸はぐったりとしているが、未だに意識は保っているようだ。
メイデンの問いかけに応じるように、ゆっくりと頭を持ち上げる。
その額に生えていた角さえも、今や折れ。
もはや虫の息。
辛うじて生きている、という状態だった。
「クソが……余計な真似を、しやがって――がふっ」
「狂死郎様……!」
メイデンが差し伸べた手は、振り払われた。
「言っただろう。助太刀なんざ頼んじゃいねぇ」
ひょうきん丸は――止まらない。
地面に転がっている二丁の銃に手を伸ばし、尚も立ち上がろうとする。
「狂死郎様――もう、いいんです」
銃に向かって伸ばすひょうきん丸の手に、メイデンの掌が重なった。
「戦う愉しみも遊撃隊長としての責務も、命あってこそ。どうしても彼をここで殺すというのであれば――ここからは私にお任せを」
「馬鹿が。テメェはさっき負けたばっかりだろ」
「仰る通りです。しかし、狂死郎様のご命令とあらば、私は――」
「……ふん。今日はやけに冷静じゃねぇか。普段なら吸血鬼の力を持った奴を目の前にした途端、化けの皮が剥がれるというのに――こいつは一体どういう風の吹き回しだ?」
「吸血鬼を滅することよりも、狂死郎様の方が大切ですからね」
メイデンは、苦笑を浮かべた。
「両親の流した血の上に、吸血鬼の血を上塗りする。そんな生き方をするよりも――私は、私の命を救ってくれた人のために生きたい。吸血鬼に何もかも奪われた私に、生きる理由を与えてくれた狂死郎様に、地獄の底までお仕えしたい。私が本当にしたかったのは、狂死郎様に着いていくことだったんです。ですから、こんなところで殉職されては困ります」
ひょうきん丸は最初、メイデンが何を言っているのか本当に分からなかったが――じっくりと時間を掛け、それが言葉通りの意味なのだと理解した。
アイアン・メイデンは、自らが抜き身の刀であることを知っていた。
そして――刀には、鞘が必要であることも。
「本来なら失っていたはずの命を救ってくださったのは、狂死郎様です。ならば私の命は、狂死郎様のために使うのが道理です。それが私の生きる理由です。……地獄だろうと、世界の果てだろうと、傍にいろと仰って頂ければ――そこが私の生きる場所です」
メイデンは丁度近くに転がっていた、ひょっとこの仮面を手に取った。
彼女はそれを――ひょっとこの仮面を、自らの顔に当てがった。
「決して退屈などとは、言わせませんから」
ですからどうか、生きてください――と。
仮面を外し、メイデンは静かに微笑んだ。
その場にいる誰もが――呆気に取られていた。
僕も、ひょうきん丸も――
何も、言葉を発することができなかった。
やがて、ひょうきん丸の頬が――少しだけつり上がった。
「……やれやれだ」
それだけ呟いて、ひょうきん丸は静かに笑った。
乾いた笑い。
溜まりきった毒気を、ドス黒い何もかもを吐き出すような――芝居を演じきった道化のような笑い方。
油断すれば、僕も同じように笑ってしまいそうだった。
だってそうだろう?
こんな状況を作り出されてしまっては――笑うしかない。
こんな時に、殺意や敵意を抱いても――滑稽でしかないだろう。
茶番もいいところだ。
「やれやれ、か――」
全くもってその通りだと僕は思った。
噛ませ犬、勘違い、取り越し苦労、杞憂――その全ての言葉をもってしても、僕の愚かさを表現するにはまだ足りない。
今回もまぁ、見事と言えるくらいに――何の役にも立っていない。
一体どの口が、ひょうきん丸を救わなければならない、などと言えたのか。
暴力で暴力を制そうとした僕と違い――メイデンは、言葉の力でひょうきん丸を制したのだ。
全く――どう足掻いても敵わない。
出会う度、格の違いを思い知らされる。核の違いを思い知らされる。
みっともなく懇願し、無様に体を引きずって、血に塗れ――
護るために自らの力を使い。
全身全霊、全力投球で真っ直ぐに生きる彼女の姿は――
とても格好良かった。
思わず見惚れてしまうくらいに。
「…………やれやれだ」
何はともあれ――これにて決着。
ひょうきん丸狂死郎 対 僕。
茶番と化して、これにてお終い。
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