⑯ 鬼に堕ちた者の成れの果て

「――狂死郎様を傷つけようとするのは、誰であろうと許さない」


 メイド服を翻しながら、決意に満ちた表情で宣言したのは――第三遊撃部隊の副隊長、アイアン・メイデンだった。


 彼女の奇襲攻撃、「打ち砕くブリッツオブ電撃ミョルニール」によって、僕の両腕は消し飛んでいた。


 ひょうきん丸に意識を取られていたとはいえ、僕の体をこうも簡単に破壊するとは――しかも、その攻撃速度は全く目で終えなかった。


 流石、彼女が必殺技と称するだけのことはあるか――

 なんて、感心している場合じゃない。


 僕の拘束から逃れたひょうきん丸は大きく咳き込みながらも、不機嫌そうにメイデンを睨みつけた。


「メイデン! 俺は助太刀なんて一切頼んじゃいねぇぞ。呼んでもいねぇのにしゃしゃり出やがって。俺ぁ「人様の喧嘩に手を出すな」と口を酸っぱくして教えてきたつもりだったがな!」


「そういう狂死郎様も、わたくしと彼の戦いの際、手を出していたではありませんか――そんなことよりも狂死郎様」


 そう言って、メイデンは狂死郎の前にひざまずいた。


「もう辞めにしましょう」


 その一言に、その空間にいた全ての人間が凍り付いた。

 メイデンが何を言っているか、誰もが理解できなかった。


「な……なに? テメェ、とうとう頭のネジが飛んじまったのか? 何を言ってやがるのか、俺様にはサッパリ分からねぇ……」


 あのひょうきん丸ですら、狼狽している。

 気が違ったとしか思えない副隊長の進言に、理解が追いついていない。


 メイデンだけが、淡々と。

 強い意思を湛えた瞳で、言葉を紡ぐ。


「ですから、こんな無意味な戦いは辞めにしようと申し上げているのです。幸い、彼に戦う意思はないようですし――このまま降参すれば見逃してくれるはず」


「ば――馬鹿かテメェは! 自分が何を言ってんのか解ってんのか!? 遊撃部隊の副隊長の口から出る台詞じゃねぇぞ!」


「お言葉ですが、狂死郎様――私は先刻より戦いを拝見しておりましたが――そこにいる彼は、格が違います。いくら比類なき実力をお持ちである狂死郎様とはいえ、このまま戦いを続ければ敗北は必至――十字軍の副隊長である以前に、私は狂死郎様にお仕えする者。故に、戦術的撤退を進言するのです。私は――狂死郎様に、こんなところで死んでほしくない」


「は……?」


 あのひょうきん丸が、絶句していた。

 そして、それは僕も同じだった。


 あれが――先ほど僕が戦った、高圧電流を纏う化物殺しの少女なのか?

 まるで同一人物だとは思えない。

 あの恐ろしいまでの殺意は、一体どこに消えたんだ?


(それがお主の言葉の持つ力、ということじゃ)


 頭の中で、晴禍の声が響いた。


(吸血鬼に両親を殺された――だったか。あの娘、恐らくずっと戦いに明け暮れる日々を過ごしておったのじゃろう。そこで主のように強く、そして奇特な者と出会ってことで――初めて、考える余地が生まれたということじゃ。果たして、自分のやっていることは正しいのか、本当にそれが自分の命を賭けるに足る理由なのか、とな)


 そんな簡単に揺らぐものだろうか――と僕は思った。


(考えてもみろ。歴戦ではあるが、少女は少女――多感にして揺れ動きやすい時期よ。それに「今までそういう生き方しか知らなかった」のだとすれば、尚更じゃ。知らぬが仏、無垢は強し――他のやり方を知らぬというのは、背水の陣の覚悟で生きると同義。そういうことよ。余が言っていたのは、そのことじゃ)


僕は、晴禍の言葉を思い出していた。


『――そのための伏線は、既にお主が築き上げておる』


 ……まさか、晴禍は最初からこの流れになることを知っていたというのか?


(老いさばらえても陰陽師。人の心の揺れ動き、即ちすなわ陰と陽の機微には長けておる。……しかしまぁ、これであの男も戦う気が失せたじゃろう。せっかく愉しんでいたところに、あんな横槍を刺されたものでは萎え萎えじゃ。これで一見落着とみて――)


「ふっっっっっっざけんなこのアホカス無能副隊長がよ!」


 ひょうきん丸は――メイデンを容赦なく蹴り飛ばした。


 ぐしゃり――と。 

 嫌な音を立てながら、メイデンは壁まで吹き飛ばされる。


 感情任せに、手加減もなく放たれ蹴り。

 そんなものを生身の人間が喰らったらどうなるか――考えるまでもない。


「テメェの仕事は俺様を補佐することだろうが――俺様の邪魔をすることじゃねぇ! 挙句の果てにはだと? テメェにそんなこと言われる筋合いはねぇ! テメェ何時からそんなに偉くなった⁉」


「ぐ……うう……」


 メイデンは、血を吐きながら呻いた。


 どんな形であれ――ひょうきん丸の為を想っての進言だったに違いない。

 勇気のいることだっただろう。

 今まで自分の信じてきたものを覆してまで――ひょうきん丸を護ろうとした。


 


 やはり――人間など、とうの昔に辞めている。

 人の心など、すっかり失っている。


 そう思うと――僕は、僕自身を止めることができなかった。


 

「邪魔が入ったが、続きと行こうじゃねぇか、地上最強! まだまだお愉しみはこれかッ――――」


 もはや声を聞くのも煩わしい。

 もう沢山だ。


 僕は、ひょうきん丸を全力で殴った。


 


 骨と内臓がまとめて砕け散るような破裂音。ひょうきん丸が跳ぶ。

 血飛沫を上げ回転しながら、壁へ大きくめり込む。


 ――それでもなお、どうやらまだ息があるらしい。


(! 待て、早まるでない!)


 制止を呼びかける晴禍の声すらも煩わしい。


 こいつは一度、思い知るべきなのだ――自分が人間でないことを。

 


「うっ…ぐっ、ググ……グフフフ……――!」


 殺す。


 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す――殺す。


 僕は強く決意した。

 

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