敗北者の頓悟
その暗闇に、一体何が見えている?
「ああ、起きたかい」
目を覚ますと、そこはよくよく見慣れた手術台の上だった。
もう何度、ここで目を覚ましたか分からない。
それほど多くの戦いで傷ついてきたし――死にかけてきた。
無茶な戦いに身を投じては、命を捨てるような戦いを繰り広げては、その度に文字通り、体と魂を削ってきた。
だけど、どんなことがあっても私は蘇った。
どんなに深い傷を負っても、どんなに激しく肉体を損傷しても――目を覚ませば、必ず元通りになっている。
その度に、私は彼女の顔を見る。
「今回はまた酷くやられたね。あの面白い名前の男の子――なんていったけな? まぁとにかく、あんな化物と戦ってよく生きてたもんだよ」
油にまみれたタンクトップに、黒縁の眼鏡。ボロボロのジーンズ、足元はこれまた無骨なワークブーツという、女子にしてはあまりにも色気のない服装。髪は伸び放題、荒れ放題のぼさぼさした長髪。歳の位はおおよそ二十代後半といったところか。
工場に勤める女整備士みたいな風貌をしている彼女こそが――十字軍 空架町支部 研究室長。
「
その名を――
「私は……また生き延びたんですか」
「その口ぶりだと死にたいみたいだけど、やめてよね。私、あなたがいなくなったら哀しむよ」
「……どうせ、大事な研究材料としてでしょう?」
「勿論だよ! なんせ君は、欠陥装具の
「……」
概念殺し《ルールブック》。
常識も良識も持ち得ない、知識と好奇心の怪物。
メイデンにとっては、パラケロッサ程度――異常でも何でもない。
自らの隊長に比べたら――遥かに正常。
「それにしても「あの子」の肉体は凄まじかった。私も今までいろんな怪物を視てきたけど、あんな完璧な生命体を視るのは初めてだ。いやはや、世界は広いねぇ。まだまだ私の知らないもので満ちている。あの子といい、我らが総司令といい――私の興味は尽きることがない。幸福だよね」
「彼……あの、吸血鬼に組みした男のことですか」
メイデンは思い出すだけで、怒りが込み上げてくるのを感じた。
それは自分自身への不甲斐なさであると同時に、あの男の戦い方に対する怒りだった。
確かに私は、あの男をギリギリまで追い詰めた。
しかし――それは、あの男に戦う意思がまるで無かったからだ。
私程度なら一撃で殺せるほどの実力があったにも関わらず、彼の戦い方には覇気というものが感じられなかった。
「絶対にお前を殺す」という明確な意思がまるで無かった。
むしろ、「どうにかして戦わずに事を済ませることができないか」という意思が感じられたほどだ。
逃げの一手、防戦一方。
挙句の果てに、
まるで、私のことなど相手にしていないかのような。
私と戦う一方で、別の何かと戦っているかのような。
その態度に、私は何より腹が立つ。
こちとら本気で戦ったのに――あの男はそれに応えなかったのだ。
思い出しただけで、彼と吸血鬼に対する怒りが沸々と湧き上がるのを感じる。
だけど――その一方で、彼の言葉に心を囚われている自分もいる。
「難しい顔をしてるね、メイデンちゃん。まるで恋に恋する乙女みたいだ」
「馬鹿げたことを。そもそも貴女に、恋なんて感情が理解できるわけないでしょう」
パラケロッサの戯言を一笑に付す一方で、図星を突かれたという想いがあった。
そう、私は今、困惑しているのだ。
『たとえ君が吸血鬼を殲滅したとして――その先に、一体何があるんだ? そんなことをして両親が生き返るのか? 血の上に、新たな血を上塗りして、一体何になるって言うんだ?』
「……」
何を今更、迷うことがある。彼の言葉こそ、戯言に過ぎないじゃないか。
だけど――考えずにはいられない。
吸血鬼を殲滅した後、自分がどうしたいのか。
両親の流した血の上に、新たな血を上塗りしたところで。
その先に――自分自身に対して、一体どんな救いが待つというのか。
考えれば考えるほど――虚しくなる。
今までどんなに、手酷い敗北を喫しても。
死ぬより苦しい戦いを経ても。
一度だって――そんな疑問を持ったことはなかったのに。
あれだけ深い憎しみと怒りに突き動かされながら、今となってはそれが、絶対に正しいことだとは言い切れない自分がいる。
そんな自分に困惑していた。
今まで重ねてきた決意と覚悟に、小さな揺らぎが生じている。
いくら僅かな揺らぎでも――揺らぎは揺らぎ。
そんな曖昧な気持ちで、戦場に望むことなど許されない。
だとすれば――
これから私は、一体何のために戦えばいいのだろう。
「悩んでいる時はね、自分のルーツを思い出すといいんだよ」
パラケロッサは、メイデンの頭に手を差し伸べながら、そう言った。
「自分の……ルーツ?」
「そう。自分が今、どうして「ここにいるのか」。自分はどこから来たのか。本当に行きたい場所はどこなのか。それを突き詰めていくことで、自分が何の為に生きているのか再確認できる。怠った奴から自分を見失い、闇に沈んでいく――特に、私たちみたいな人種はね」
「……貴女もそうなんですか?」
「そりゃそうさ。概念殺しなんてやっていると、自分なんて簡単に見失う。真理っていうのは、暗くて冷たい海の底に沈む秘宝みたいなものでね。知識の深淵まで降りるには、強い意思が必要なのさ。だから、目を閉じれば浮かんでくる。私の理想とする世界、そのために何をすべきかという目的がね。――ほら、君も目を閉じてごらん」
君はその暗闇に、一体何が見えている? と。
パラケロッサは、メイデンの頭を撫でながら、優しく言った。
「私の……ルーツ……」
吸血鬼に両親を食い殺され、瀕死となった自分の姿。
血に塗れ、恐怖に溺れ、死んでいくだけの自分の姿。
そんな私に、手を差し伸べてくれたのは――
まだひょっとこ面を付ける前の、ひょうきん丸狂死郎。
その瞬間――私は不意に理解した。
「お? どこに行くんだい? まだ傷が塞がったばかりだから無茶はいけないよ」
「いえ。――行かなければいけない場所がありますから」
私は、手術室を飛び出した。
吸血鬼に何もかも奪われた空っぽの私に、生きる理由をくれた人。
戦い、復讐という、辿りつく場所を教えてくれた人。
一度は死ぬ運命に立たされた私を救ってくれた彼こそが、今の私、アイアン・メイデンのルーツなのだとしたら――
狂死郎様の傍に控え、お仕えすること。
それが私の、本当に生きる意味ではないのだろうか――
「……はは。若いというのは素敵だね。ちょっと焚きつけただけで、すぐ戦いたがる――」
手術室に響いたパラケロッサの声が、メイデンに届くことはなかった。
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