⑧ 本当の地獄

 ひょうきん丸の愛銃、魔滅鉄砲まめてっぽう【種子島】は、一見するとオモチャの水鉄砲に過ぎない。


 どう見ても安価なプラスチック製で、銃身もすぐ折れそうなほど細い――実際の威力を知らなければ、化物狩りの特殊装具と看破するのは不可能だ。


 実際、僕は騙された。


 初めて会った時、完全に不意を憑かれて――拘束された。


 理不尽すぎる初見殺し。


 しかし、それは裏を返せば――

 手の内さえ知っていれば問題ないということ。


 まして今回は、吸血鬼の血を摂取している状態である。

 肉体におけるどのステータスも高水準を誇っていることは、ひょうきん丸のお墨付き。


 つまり、はずだ。


 いくらロングレンジの相手と戦うのが初めてとはいえ、いくら相手が十字軍の隊長とはいえ、こちらに有利な状態さえ作れれば、勝算は高い。


 その有利な状況とは勿論――

 鉄砲の射線から逃れ、一方的な肉弾戦に持ち込むこと。


 つまりはインファイト――である。


 掴み合いの、殴り合い。

 作戦も何もない、単純な体力勝負。


 僕には、吸血鬼の力が憑いている。

 生半可な傷はすぐに治ってしまう上に――


 単純であるが故に――効果的。

 

 しかし、所詮それは素人考え。


 僕が思いつく程度の策など、ひょうきん丸にはお見通し。


 いつだって彼の行動は――僕の想像を超えていく。


(……! これは……!)


 あろうことか――ひょうきん丸は。


 一度だけ発砲した後――


 


 一回、二回、三回――四回もの頭突きを終えて。

 遊び飽きましたと言わんばかりに、壁へ向かって放り投げる。


「……ッが、あ――?」


 訳も分からず頭蓋から血を吹きだす僕に、ひょうきん丸は詰め寄る。


 ひょっとこ面は血で塗れており、ねっとりと……地面へ滴り落ちている。


 ひょうきん丸は仮面の血を拭い、自らの口へと運ぶ。その光景に、僕は恐怖を覚えた。


「どうした地上最強? まさかこの俺が、をするとでも思ったか? 馬鹿が。なんで吸血鬼の力を持つ相手にそんな立ち回りしなきゃならねぇんだ」


 ひょうきん丸は近寄るついで、と言わんばかりに回し蹴りを二連続で繰り出した。


 勢いよく空気を切り裂く音が、ヒュンヒュンと耳を掠める。


 僕は地面を転がりながらも、辛うじて回避するが――

 目の前に、ひょうきん丸のゲタが刺さった。


 からん、と――。

 もう片方のゲタが、地面を付く音。


「殺し合いといえば、? 俺の名前は「ひょうきん丸狂死郎」ってんだが知らなかったか? 十字軍 第三遊撃隊長の俺様が「一方的に銃殺する」なんてクソつまらねぇ戦い、仕掛けるワケねぇだろう。せっかく巡り合えた強敵を、で殺すわけねぇだろう?」


 十字軍――遊撃部隊。

 化物狩りでしか個性を発揮できない人間が最後に辿りつく場所。

 その頂点に君臨する男――ひょうきん丸狂死郎。


「あまり俺を侮るなよ、地上最強。潜った死線の数で言やぁ、お前なんぞ生まれる前のヒヨコに等しい」


 立て、とひょうきん丸は僕に促した。


「地獄に叩っ返してやるよ」


 狂死郎は執拗なストンピングで僕の顔面を潰しに掛かる。その度に、地面が激しく陥没する。


 まるで人とは思えない、反則レベルの破壊力。

 頭突きにしても、足技にしても――さながら銀色のヤールン鉄槌グレイプルを彷彿とさせる、一撃必殺の応酬。


 だとすれば――

 彼の履いているゲタや仮面すら、


 それは――非常に厄介だ。


 例えば先のアイアン・メイデン戦。

 彼女の装具、銀色ヤールン籠手グレイプル


 高圧電流を纏い、戦闘力を底上げする強力な特性こそ持っていたが――如何せん、あまりにもかった。


 結局のところ、僕は彼女に手も足も出なかったが――しかし、かといって一方的に打ちのめされたわけではない。


 戦いの素人である僕が、あの疾い掌打に対応できたのは、からだ。


 だからこそ、あそこまで戦闘を長引かせることができた。


 しかし、ひょうきん丸の場合は違う。


 頭突き、蹴り、踏みつけ――そのどれもが反則的な威力を誇っている以上、僕はその全てに対応しなければならない。一点集中は通用しない。


 今でこそ「逃げの一手」でなんとか凌いでいるが――この状況が、いつまで持つか分からない。


 メイデン戦のような装具のオーバーロードも期待できそうにない。


 いくらステータスで大きなアドバンテージを得ているとはいえ――「僕を殺せる」と豪語するひょうきん丸のことだ。もう一度捕まったが最後、肉微塵になるまで暴力を振るわれるだろう。


 まったく――勝算は高いなどと言ったのは、どこのどいつだ?

 僕には一切、勝てる気がしない。


 特に、戦闘経験値と、攻撃手段の多さ。

 この双璧を打ち破らない限り――勝ち目がない。


(……諦めるな。今はとにかく回避に集中して――そこから癖なり、打開策を見いだすしかない――!)


 ストンピングを続けるひょうきん丸の足を掴もうとしたが、虚しく空を切った。

 どころか、その手ごと踏みつぶそされそうになる。


 僕は地面を叩き跳躍し、後方回転しながらひょうきん丸と距離を取った。


 ――ありがたいことに、追撃は来ない。


 その代わり、ひょうきん丸は不満げに首を傾げた。


「……テメェ、やる気あんのか? さっきから「殺そう」という気概を感じねぇ。まるで癖なり隙を見極めた上で、打開策を見いだそうって姿勢――まさかテメェ、なんて考えちゃいねぇよな?」


「……」


 心まで読まれている、とは。


「あんだけ散々煽って追いつめてやったのに、まだ足りねぇか? んだろ? それともありゃ、その場凌ぎの嘘ってわけか」


「嘘じゃない。ただ……僕を、あなたのような人殺しと一緒にしてほしくない」


「あ?」


「あなたは僕を殺す気満々だが、僕にあなたを殺す理由はない。お互いが傷つかずこの場を切り抜けられるなら――そうすることに越したことはないだろう」


「……おもしれぇ冗談だぜ、まったく」


 ひょうきん丸は溜息を吐いて、わざとらしく首を振った。


「しかし、なるほどな。うちの副隊長が生きてたのはそういうわけか。装具と腕を破壊して、それで勝った気になったのか? 舐められたもんだな。俺たちは真剣に命を懸けて戦ってんのに、お前は俺らと対峙してたってわけだ。そいつは失礼だぜ。命と命のやり取りに、礼儀を失していると言わざるを得ない。……まるであの藍色を見ているようで、心の底から腹が立つ」


 ひょうきん丸が――消える。

 視界の果てに辛うじて、右手を大きく振りかぶって迫る残像が映った。

 

 だがそれは――特殊装具の関係ない、生身の拳。

 頭突きでもない、足技でもない――ただの拳。

 ならば、避ける必要もない。ここはガードで十分だ。


 と、思いきや。


 

 


「侮るなといったはずだぜ、地上最強――俺はな、


 空いた手で、仮面を外すひょうきん丸。


 



 さあ。

 本当の地獄は、ここからだ。

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