⑧ 彼女にも、バッドエンドが憑いている
燈火の血を呑み込んだ瞬間、得も知れない力の
全身が躍動する期待に満ち溢れ、心は激闘の予感に震える――そんな快楽のような激情を、僕は寸でのところで抑え込んだ。
――深淵に飲まれるな。
引きずり込まれたら、それでお終い――
「……何やら雰囲気が一変しましたね。まるで別人のようです」
メイデンはバックステップで距離を取り、ずっしりと身を屈めた。まるで、見えない脅威を警戒しているようだった。
「一体何をしたのですか? 何かを舐めとるような仕草が見受けられましたが――」
「そんなことを気にしている場合か?」
言うが早いが、僕は彼女の懐に飛び込んで一撃を見舞った。
「――ッ!」
しかし、流石は副隊長というべきか。
彼女の肉体にダメージは通らない。
ならばと僕は、反対の腕で
彼女の肉体にダメージは通らない。
一撃、二撃で通らないなら三撃、四撃を追加するまで。
僕はメイデンのガードを崩壊させるべく、猛打を繰り出す。右、左、右、左のリズムでテンポよく
しかし――どんなに追撃しても、鉄壁の防御を崩すことはできない。
堪えて、堪えて、堪え続ける――。
彼女の肉体に、ダメージは通らない。
どころか、ダメージを負っているのは僕の方だった。
数度触れることで分かったが――どういう原理で生じているか不明だが、どうやら
ともすれば、腕を黒焦げにするほどの威力を持つ理由にも納得がいく。
吸血鬼の力を借りた今、僕には再生能能力がある。とはいえ、殴打の度に傷を負っていたのでは、いずれ再生が間に合わなくなる。
打ち合いが続けば続くほど、僕が不利になるということだ。
だが――いつまでもそんな展開が続くものではない。
今、僕の全身が化物なのに対して――メイデンは、籠手以外、生身の人間に過ぎない。
付け入る隙など――吐いて捨てるほどある。
僕は上半身を屈めて捻り、回し蹴りを放った。
すると、メイデンの腹部に面白いように直撃。
今度は、彼女が吹っ飛ばされる番だった。
それも当然の話。
彼女は今、僕の両腕に対応するだけで手一杯なのだ。
足元に気を配れる余裕などあろうはずもない。
単純に考えて、僕はメイデン比べ二倍の攻撃手段と手数を持っている。
ともすれば――均衡が崩壊するのは、そう遅くない。
追撃を恐れてか、メイデンは瞬時に立ち上がった。そして警戒なステップを踏みながら僕を見据えた。
勘がいい。どうやら、闇雲に打ち込むのでは不利だと察したらしい。
それならそれでいいだろう。
踏み込んで来ないなら――舌先三寸で刺激し、口八丁で焦燥を煽るのみ。
「もう終わりか? ――少し本気を出した程度で、逃げの姿勢。全く十字軍の副隊長様は随分と勇敢なことだ。もっと遠慮せずに打ち込んできてもよいのだぞ?」
「……急に口調が変わりましたね。それが貴方様の本当の姿、というわけですか?」
メイデンに指摘され、僕は初めて違和感を覚えた。
しかし――そんなことなど、気にならない。
――今はこの戦いだけを楽しめれば、それでよい。
「貴様も、ある意味では吸血鬼の呪縛に囚われし者よな。――血と血に塗れた運命に囚われ、紅い
「あなた」
と。
燈火の鋭い一言が、僕の鼓膜に刺さる。
「弁舌は結構ですが――自分を見失ってはいけませんよ。確かにここであなたが死ぬのは私の本意ではありませんが――かといって、あなたが深淵に呑み込まれるのも私の本意ではありません。目を覚ましなさい、この愚か者」
その瞬間、僕の中の邪悪はすっと消え去った。
――残されたのは、強い恐怖と後悔だった。
燈火の前で、僕は何を口走っていたんだ?
彼女が止めてくれなければ、僕は間違いなくメイデンを殺していた。
深淵に飲まれ、力に溺れ――取り返しの付かない過ちを犯すところだった。
燈火に「救いのある物語」を約束しておきながら、彼女と共に歩む道を、自ら進んで血に汚してしまうところだった。
それは――僕の望むところではない。
先ほど僕自身が言った通りだ。
メイデンもまた、形は違えど吸血鬼の呪縛に心を囚われている者の一人。
両親の血に塗れ、その上に吸血鬼の血を上塗りしようとしている。
復讐によってのみ突き動かされて生きている。
果たして――彼女の両親は、そんな生き方を望んだだろうか。
正直いって、僕には両親を失う悲しみが分からない。最初からいないも同然の人が死んだところで、今更何とも思えない。
しかし――だからこそ思う。両親のためにそこまで強い気持ちを持てるのなら、その気持ちを復讐などで上書きしてほしくないと。
家族を思う心。僕には理解できない、僕には在りようのなかった選択肢。
だからこそ彼女の真っ直ぐな気持ちが、眩しく見える。
僕程度がそんなことを思うのは、彼女に対する冒涜かもしれない。
復讐したい一心のみで十字軍の遊撃部隊まで辿りつき、副隊長の座にまで上り詰めた彼女にとっては、綺麗ごとにしか聞こえないかもしれない。
しかし――『生きてさえいればいくらでもやり直せる』のだ。
吸血鬼の呪縛。忌まわしき過去。失われた両親。
彼女にもまた、バッドエンドが憑いている。
吸血鬼の関わった物語には、バッドエンドが憑き物だ――なんて言葉が似合うくらいに、被害者だ。
だとすれば――僕のするべき戦いは決まっている。
視界の端で、燈火が楽しそうに笑った。
「節操がないですね、あなたは。誰彼構わず、自分勝手に救い出そうとする。……そういう優しいところが好きですよ。惚れてしまいそうです」
そんな燈火の冗談に、僕も釣られて笑いかける。
自分が殺した女の子相手に惚れられるなんて、悪い冗談もいいところだ。
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