⑦ 腕試し、銀色の鉄槌
「どうか私を人間などと思わず、ボロ雑巾のように痛めつけて下さいませ」
彼女の予備動作を悟った僕は、反射的にその場を飛び退った。
轟音。そして振動。遅れて、石礫が飛んでくる。僕は咄嗟に腕を交差させて顔の前で構え、飛来する石礫から身を護った。
腕の隙間から窺った光景に、驚愕する。
メイデンの拳は、先ほどまで僕が立っていた床を穿ち、大きく抉っていた。
「な――」
いくら鉄の籠手を装着しているとはいえ、こんな馬鹿げた破壊力を発揮するなんて在り得ない。
一体、何が起こったんだ?
「破ッ!」
掛け声と共に跳躍したメイデンは、真っ直ぐに拳を振り下ろそうとしている。
疾い。回避も防御も間に合わない。
吸血鬼の力を借りていない今、あんな速度の拳を喰らったら――
僕の脳裏に、ひしゃげたトマトが思い浮かぶ。
しかし――
メイデンの拳は、僕の顔を捉える寸前でぴたりと静止した。
そして息を吐き出しながら、一言。
「どうして回避なさらないのですか? 死にますよ?」
「回避も何も――僕とメイデンさんの間で、戦う理由はないでしょう。どうしてこんな事を」
「『僕に出来ることなら何でも』と仰ったのは貴方様では御座いませんか。ですから私は、貴方様に腕試しを申し込んでいるのです」
静止させた拳を降ろすことなく、メイデンは淡々と言った。
僕にはそれが、「いつでも試合を続行できる」という意思の顕れのように感じた。
「……単純な力比べであれば、隊長さんを頼ればいいのでは?」
「確かに理屈の上ではそうでしょう。ですが、私はそういった理屈を抜きにして、貴方様と戦ってみたいのです。吸血鬼を二人も死に至らしめたその手腕。その実力を、私自らの肉体で知りたいのです。私が目指す力のお手本を、貴方様にお示しいただきたいのです」
メイデンの口調は淡々としていた。しかしその瞳に映る決意の強さは、毅然として揺るがない。
琥珀色の輝きは、吸血鬼に対する怒りか。それとも純粋に強さを求める故の渇望か。
どちらにせよ、戦いを避けられる雰囲気ではない。
脅しも虚勢も舌先三寸も、通用するとは思えない。
「腕試しは結構ですが、上手く手加減できる自信はありません。辞めておくなら今の内ですよ」
「その一言を、承諾と受け取らせていただきます」
時間が動き出した。
メイデンが素早く拳を振り抜く。
旋風が頬を撫でる。数舜後、思い出したように伝う血。
まともに打ち合って勝ち目などない。
僕はバックステップで距離を離そうとするが、そんな安直な戦いを許すメイデンではない。連打に次ぐ連打で、逃がすまいと追従してくる。
やがて体勢を崩した僕を、狙い撃つように拳を大きく振り上げるメイデン。
僕は両腕を交差して防御態勢を取るが――その受け身な考え方が甘かった。
メイデンの拳が振りぬかれる瞬間、僕は迸る青白い光を見た。
次の瞬間――轟音が鳴り響く。
続いて――衝撃。
一瞬、気を失いかける。
しかし、壁に叩き付けられた衝撃ですぐに目を覚ました。
「がッは……」
肺の空気が圧縮されるようだった。骨が軋む。
眩暈を感じてしまう程の衝撃で吹き飛ばされたのだと知る。
両手を付いて、どうにか倒れ伏すのを堪えた。
しかし、ふんばれない。僕は無様に地面に崩れ落ちた。
腕を見ると、まるで焦げ跡のような黒い煤に、赤いひび割れが生じていた。肌が灼熱された跡。その下を通る血と肉の光景。
いくら彼女が籠手付きの拳で僕を殴っているのだとしても、この破壊力は規格外すぎる。摩擦熱の生じるほど強力な殴打? 馬鹿げてる。
とすれば、彼女の籠手に何か秘密が隠されていると見て間違いない――
「気が付かれましたか? 私の拳は、ただの拳ではありません」
僕の思考を見透かしたように、メイデンは呟いた。
「
メイデンは一歩、また一歩と僕に近づいてくる。
これが本当に腕試しならば、とっくに決着が付いているところだが――そこは十字軍、遊撃部隊の副隊長。僕の惨状を見てすら尚、まだ戦えるという判断を下したらしい。
不本意ではあるが――吸血鬼の力を借りないことには、話にならない。
策を練るにも、この実力差ではどうにもならない。
僕は咄嗟に燈火を探す。
「あなたの考えてることなんてお見通しですよ」
という燈火の声。見ると彼女は既に、手首から血を流しているところだった。
「私とあなたは魂を共有しています。もしあなたが死ねば、私もただでは済まないでしょうね。……これでも、やる気は出ませんか?」
ここで「出ない」と答えたら、僕の生きている意味がない。
僕は燈火の腕を引き寄せ、白い手首に食ついた。
――吸血鬼の呪縛を否定しておきながら、困った時は血に頼り、か。
これではどっちが吸血鬼か分かったものじゃない。
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