⑦ 殺戮
そして時は戻り――僕の目の前に、恐怖の表情を浮かべた白炎がいる。
――殺してあげてください、か。
最初はそんなこと不可能だと思った。吸血鬼とただの人間、その実力差を思い知らされたばかり。まして相手は、死んでも死なない怪物だ。彼女の願いは、むちゃくちゃなように思えた。
だけど、どうだろう。
いま、僕の身には溢れそうな程の力が宿っている。
体中に満ち、解き放たれるのを今か今かと待つような、爆発寸前の力。
いまの僕に、出来ないことはない。そう思ってしまうほどの、圧倒的な力。
数十人の人間を一瞬で重体にすることも、人体を手刀で貫き通すことも、吸血鬼を殺すことも出来るだろう。
嗚呼――
万能感に酔い痴れるとは、このことか。
「ふざけるな――ふざけるなよ人間風情が!」
白炎の慟哭。突風が吹き荒れる。そして、瓦礫の間を縦横無尽に駆け巡った。
瓦礫の中からふわり、とガラス片が舞い上がる。それはやがて、空を覆い尽くさんばかりの数となり、白炎の周囲を取り囲む。
風の盾でも作る気か、と考えたがその予想は外れる。
風に舞う鋭利な刃は、僕を目掛けて真っ直ぐに飛んできた。到底、目で追える速さではない。ガラス片とはいえそんな速度で直撃されたら、皮膚を食い破り肉を貫通されるだろう。要するに、銃弾となんら変わらない。
だが――それも。
全て、生身の人間であったらの話なのだが。
「な――」
絶句する白炎などお構いなしに、僕は一歩一歩、彼に歩みる。
飛翔するガラス片など気に留めるまでもない。その程度の攻撃は、考慮するに値しない。蠅が止まった程度のものだ。時折血が流れこそすれど、すぐに再生して元通りになってしまう。
白炎の懐まで悠々と歩きおおせた僕は、逃げようとする彼の腕を掴んだ。
他愛のない。
攻撃というのは――こういうことを言うのだ。
掴んだ腕を、力を込めて引っ張る。
すると――ぶちん、という音と共に、信じられないほどの血液が噴出した。
「――――」
声にならない声を上げ、苦悶の表情を浮かべる白炎。だがどうでもいい。僕は千切った腕を放り投げると、まだ残っている方の腕を掴んで――引っ張った。
「馬鹿な――馬鹿な! ただの人間に、こんなことできるはずがない! 貴様、一体何をしたのだ!」
「人間を辞めることにしたんだ」
両腕を千切られバランスを失った白炎を転ばせ、馬乗りになる。
僕は特に深いことを考えず、右、左、右、左のリズムで拳を振り下ろし続けた。狙いは顔などではなく、心臓。
いかな殺されても死ねない吸血鬼とはいえ、不死身の根源たる血、その大本を司る器官にダメージが蓄積すれば、少なからず生命力に影響を及ぼすはずである。
そう――再生力。どんなに腕を引きちぎろうが、足をもごうが、その傷はすぐに元通りになってしまう。自己紹介の時、燈火が自らの手首に牙を突き立てて見せたように。
見れば、白炎の肉体もすでに復元しつつある。初撃で握り潰した足首は完全に元通りとなっており、引きちぎった両腕も、肘まで再生していた。
なるほど、驚異的な再生力だ。これでは確かに、正攻法に頼らなければ殺すことはできないらしい。
しかしそれが一体なんだというのだろう。
死なない内は殺さなければいい。
ただ、それだけの話。
「ふっ……ふざけるなこの化物がぁぁぁ!」
激情を露わにした白炎は、再生しきった両腕で僕を振り払おうとした。僕はその腕を掴み、引っ張って、千切った。そして彼が怯んでいる隙に、右、左のリズムで心臓を殴る。
死なないなら、いずれ死ぬまで殺し続ければいい。
問題なんて何もない。
その後は、単純作業のように淡々と殺戮をこなしていった。
燈火は、そんな僕を身じろぎ一つせずに見守っている。
父の最期を見届ける。まるでそれが役目だとでも言うように――目を逸らさず、殺戮を見守る。
「……」
それが燈火の望みであるなら、僕が疑問を挟む余地など何処にもない。
ここで白炎を生かしても、いずれ自殺するだろうことは分かっている。
死ぬ方法を求めて彷徨うくらいなら――ここで殺した方がいい。
――本当にそうだろうか?
「殺してくれ」
と、小さく呟いた声が聞こえる。
僕は両腕を降ろし、白炎の体を見下ろす。腕は、千切られたままだった。再生能力が極端に落ちているのだ。やはり、心臓にダメージを与えるのは正解だったか。
いま白炎は、想像を絶する苦痛の中にいるだろう。
死んでも死ねない苦しみを――存分に味わって死にかけている。
これ以上――苦しむ必要もないだろう。
そう思ってしまうくらい、白炎の表情は悲惨だった。
「私の胸ポケットの中に、銀の十字架がしまってある。それを心臓に打ち込め」
言われた通り胸ポケットを漁ると、確かに銀の十字架が見つかった。小指ほどの大きさしかないが、ずっしりと重い。本当に銀で出来ているのだろう。
「随分と準備がいいんだな」
「吸血鬼として当然の備えだ。死ぬよりも苦しい事態に遭遇した時のためにな。――本来であれば、自分で心臓に打ち込むところだが、両腕がこの通りだ。どうか――私を殺してくれないか」
白炎の視線を真向に受けながら、僕は十字架を握りしめた。
燈火の心残りが、果たされようとしている。
後は白炎の望み通り――燈火の望み通り、銀の十字架を心臓に打ち込めば、それでお終い。
なのに――囁き声は止まらない。
――本当に、これが正しいのだろうか?
僕が燈火に約束した、「救いのある話」とは、こんな程度の結末を許すだろうか?
白炎を殺すことは容易いだろう。しかし――「死んだらそれで終わり」なんて責任の取り方があるだろうか?
殺し、殺されの話で決着を付けてしまうのは――結局、「吸血鬼の呪縛」に対する敗北ではないのか。
血に塗れた悲しい因果に、新たな血を上塗りするだけ。
一体そんな話のどこに、救いなんてものがあるのだろう。
「……そうか」
僕の戦うべき敵は白炎などではなく――吸血鬼の呪縛だったのだ。
燈火が言っていたじゃないか。白炎もまた、呪縛に囚われているのだと。
「どうか、私の父も救ってあげてください」
それこそが、燈火の本当の願いだ。
だとすれば――僕がするべきは、殺戮ではない。
血に塗れた物語に、血を用いずに決着をつける方法など。
そんなもの、僕にはたった一つしか思い浮かばない。
即ち――舌先三寸、口八丁。
長い長い遠回りをして、僕はやっとスタート地点に辿りついた。
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