⑥ 心残りと約束を

 時は少しだけ遡り――暴風が晴れる、その少し前。

 

 燈火は自らの手首を切り、血を流す。

 彼女はその血を――僕の口元へ運んだ。

 

 吸血鬼の血。

 その効果は諸説あるが――その中で最も有名なのが、「飲むと吸血鬼の眷属となる」というものだろう。

 

 眷属――お互いの血と血で繋がるえんえん

 紅いくさび二重螺旋にじゅうらせん

 

 それはまさに、僕たちの関係を象徴しているようだった。

 出会った瞬間から、血まみれの関係を築いた僕たちのような。


「――とはいえ、既に私は死んでいますからね。肉体としての血は既に滅び去っています。この魂の血が、一体どこまで影響を及ぼすか分かりませんが――試す価値はあります。というか、もうそれしか手段がありません」


 燈火は、そう言いながら血まみれの手を僕の口内に突っ込んだ。

 ――温かい、燈火の血液がゆっくりと喉を通る。普通の人間の血の味と、何も変わらない。


「後悔してませんか? 私と関わったせいで、こんなことになってしまうなんて」


「そんなことはない」と言おうとしたが、口に指が入っていたので、もごもごしか言えなかった。それでも、燈火には伝わったようだった。


「そうですか。では、その優しさに付けこんで、もう一つだけお願いがあるのですが」


 燈火の指を噛まないように、僕はゆっくり頷いた。

 彼女の血を受け入れた時点で、僕の覚悟は決まっている。今さら望みが一つや二つ増えたところで、何も変わらない。


「もしあなたが、私の血で復活できたら――そして都合よく、吸血鬼の力とか、殺傷症候群の力を解放することができたら――私の父を殺してあげてください」


 ――息を呑む。

 もしかすると彼女は、やはり父を恨んでいたのだろうか。

 いや、恨んで当然のことを強要されていた。僕はそう考える。だから、燈火が父の死を望むのは何もおかしいことではない。

 ただ、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた燈火。

 彼女が腹の底でそんなことを考えていたのかと、勝手に驚いただけ。


「それは違いますよ、あなた。別に今さら、父を憎んでいるわけじゃありません。……死にたがりの母や、祖父母の自殺を手伝わされたのも、それほど恨んでもいません。見ている方が辛くなるくらい、どうしようもない人達でしたから。だから――言い方は悪いかもしれませんが、私は彼らがしっかり死ねて、よかったなと思っているくらいなんですよ。……ただ一人、父だけ残してしまったのが心残りなんです」


 それだけで、燈火の言わんとしていることが伝わった。

 吸血鬼の死因の九割は、自殺。

 


「もし、撃退や説得なんて方法で父を生かしてしまったら――後々、父は激しい無力感と喪失感に襲われるでしょう。家族は既に一人残らずこの世を去り、自殺を手伝ってくれる人もいない。――死ぬ方法を求めて、彷徨うことになるでしょう。吸血鬼である以上、父もその呪縛に囚われているんです。いくらどうしようもない人であるとはいえ、そうなってしまうのは、あまりにも「救いのない話」だと思いませんか?」


 燈火は、穏やかに微笑みながら、言った。


「どうか、私の父も救ってあげてください」



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