③ 人間を辞める理由

 あの時、燈火が言っていたのはこのことか――と思い至る。


 高坂こうさか 白炎びゃくえん。吸血鬼としての能力は末裔レベルだが、特殊な能力スキルを持っている。


 そしてそのスキルの正体こそが――風を操る能力。


 思えば、最初に窓ガラスが割れたとき。

 その破片が不自然なほど一か所を目掛けて飛んできたのも、彼が風で操作していたからだ。


 しかし――その能力スキルが、これほど強力だとは思わなかった。

 彼の力に比べれば、僕の家など子豚の作った藁の家に等しかった。

 

 白炎が本気を出した後、僕の家は木っ端微塵に吹き飛んだ。

 かつて家の一部だった瓦礫は、僕を中心として渦を巻き、やがて大規模な竜巻となった。僕は、暴風と瓦礫によって閉じ込められてしまったのだ。


 それだけならまだよかったのだが――徐々に上昇した瓦礫は、風の力が及ばない点まで到達すると、自由落下を開始する。

 標的は、もちろん僕だ。

 一つや二つの瓦礫ならなんとか回避できるが、大きな柱や鉄筋などは避けようがない。


 無数の瓦礫が僕を襲い、また上空に吹き上がる。その繰り返し。

 もう何度、激痛に襲われたのか分からない。


 燈火の叫び声が聞こえたような気がした。だけどすぐ、風の音にかき消された。

 

 また瓦礫が降ってくる。気絶する間もない。痛覚はとっくに麻痺している。どこからが自分の体なのか分からない。うっすらと感じるのは、血の温もりだけ。


 どうしてまだ生きているのか、自分でも不思議なくらいだった。

 燈火の言う通り――僕は本当に「人ならざる何か」なのかもしれない。


――ちょっと煽り過ぎたかな。


 そう呟こうとしたが、口の中が血反吐塗れだったせいで、ごぼごぼと咳き込んでしまった。


 吸血鬼の力がこれほどとは、完全に想定外だ。

 どうにもならない。手詰まり。打つ手なし。

 こんなことなら、余計なことを言うべきでは無かったのだ。

 せっかく上手く口車に乗せたのに――全てが台無しだ。

 白炎から逃げるチャンスを――説得の道を、僕が潰した。


「…………」


 意識が朦朧とする。


 これで終わりなんだろうか。

 燈火に何の救いも見い出してあげられず、僕はここで死んでしまうのだろうか。

 僕が死んだら――彼女は一人きりだ。

 誰にも手を差し伸べられず、救われることもない。

 そしていつか、人知れず消滅する。


「それは……嫌だな」

 

 死にたくない。

 彼女と出会った偶然を、救いのない物語のままで終わらせたくない。

 吸血鬼が関わった物語にはバッドエンドが憑き物だ――なんて。

 穏やかな笑みを貼りつけながら――そんなことを言ってほしくない。

 一度でいいから、彼女の笑った顔が見てみたい。

 吸血鬼の呪縛から解放された安堵がもたらす笑いじゃなくて。

 心の底から楽しくて仕方ない――そんな幸福に満ちた笑顔を。


「燈火……」


 思いがけず、僕は彼女の名前を口にしていた。


「はい。ここですよ」


 次の瞬間、僕の手は強く引かれた。

 そして竜巻の中心部から端っこへ――僕を運ぶ。それだけで、落ちてくる瓦礫に当たることは無くなった。


「やっと見つけました。……こう瓦礫ばかり舞っていては、視界が悪くて仕方ありません」


 視界は真っ赤で、聴覚も暴風せいでとっくに馬鹿になっている。

 だけど、確かに僕の目の前で、燈火が微笑んでいるのが分かった。

 穏やかに――優しく。

 それだけで、どうしてこんなに温かい気持ちになるのだろう。


「……酷い状態ですね。ちゃんと生きてます? まさか死んでませんよね? 「もっと救いのある物語を目指してみないか」なんて大見得を切っておきながら、まさかこの程度で終わらせるつもりですか? 。物語というには酷すぎる結末です。こんなものが――あなたの言う、「救いのある話」だったんですか?」


「……そんなわけないだろ。ちょっと休憩してるだけだよ」


「ならいいんです。……どころであなた、まさかこの期に及んで、「一番悪いのは僕だ。僕が責任を取るべきだ」なんて馬鹿なことを考えていませんよね? あわよくば「死んで責任を取ろう」だなんて甘い考えを持っているわけじゃないですよね?」


「……燈火」


「止めてくださいよ、そんなこと――あなたが無駄死にしたところで、私を殺した罪を償った、なんて思いませんからね。――「自分が死ねばそれで終わり」? そんな責任の取り方がありますか? そんな自己中心的な解決が、あなたの言う「救いのある話」なんですか?」


 燈火の声は涙ぐんでいて、なのに罵声は止まらない。


あなたが償うべきは――「私をちょっとでも期待させてしまったこと」です。こんな気持ちを知ってしまうくらいなら、あなたに会いに来るべきじゃありませんでした。死んでからあなたのような優しい人に――私を救ってあげたい、なんて思ってくれる人に会えるなんて――神様は、どれだけ私を惨めな気分にさせたら気が済むんですか」


「……」 


 結局のところ、彼女を殺したのは、僕だ。

 淡い期待を持たせてしまったのも、僕だ。

 だとすれば――責任を取るべきなのは、僕だろう。


「燈火。……僕は、何したらいい?」


「簡単な事です。生きて、やり遂げなさい。……「救いのある話」、でしたっけ? 

 

 そういうと、燈火は自らの手首に爪を突き立てて、掻き毟った。

 ――どろりとした鮮血が、掌を伝い、指先に滴る。


「私のために、人間を辞めてください」


 彼女の望む形で、彼女の望む未来を。

 それこそが、燈火にとっての救いなら。


「お安い御用だ」


 可愛い女の子にそんなことを言われてしまったら――

 それだけで、人間を辞める理由には十分すぎる。

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