② 逃走――闘争
「あなた、一つ提案があるのですが」
燈火が僕の耳元でこそり、と囁いた。
彼女の提案は、果たして起死回生の案となるのだろうか。
「意識を失う、というのはどうでしょう」
意味が分からない。白炎の前でそんなことするのは、自殺行為でしかないだろう。
「いいえ、諦めろと言っているのではありません。……あなたが潜在的に持っているその力。吸血鬼の私すら一撃で死に至らしめた、殺傷症候群の力を解放すれば――」
なるほど、そういうことか。
確かに、僕はそういう特殊体質を持っている。
だけど、それを自在にコントロールできるなら苦労はしない。
クラスメイトを重症に陥れることもなかったし。
燈火を殺すこともなかった。――だから。
その案はあくまで最終手段である。積極的に狙うものじゃない。白炎との戦いで、意識を失った時、僅かに期待が持てる程度のもの。
起死回生の策と呼ぶには程遠い。
「……! あなた、避けて!」
燈火の声に反応し、その場から飛び退る僕。
「何をゴタゴタと独り言を並べている。気でも狂ったか?」
白炎は、どうやらまだ燈火の存在に気が付いていないらしい。
僕は白炎を背にし、寝室を後にした。とにかく、今は白炎から距離を取らなければ話にならない。あのギロチンのような握力を誇る手に捕まったら、一巻の終わりだ。
「逃げても無駄だ、人間」
白炎の声を背後に聞きながら、僕は思考を回転させる。
とりあえず、現時点では作戦も何もあったものじゃない。力の差が大きすぎる。吸血鬼 対 ただの人間。こんな図式は成り立たない。破綻している。
同じ理由から、不意打ち、逃亡も通用しないだろう。相手は人間ではない。その上位に位置する存在。夜の王、不死身の怪物、吸血鬼。
真向から挑んでも、変則的に戦っても勝率はゼロ。
となると僕が持つ選択肢は、限られる。
即ち――舌先三寸、口八丁。
舌戦、口上、事実、虚実、甘言、詭弁――そして、説得。
それを制するしか、生き延びる道はない。
やるしかない――か。
「人の家を好き勝手に壊しやがって! もしこれで僕が無責任なら、どう責任を取ってくれるんだ?」
全力で走りながら、白炎の耳にも届くよう大声で叫ぶ。
「私としても貴様の家を破壊するのは心苦しいのだ。だがそれも、貴様が中途半端な言葉を残し、姑息にも逃げまわる内は仕方がないことだ――なんせ、こちらも娘の安否が掛かっているからな」
白炎の声が、背後から聞こえる。
――ひとまず、対話は通用するらしい。
さて、ここからどうするか。
悩んでいる時間すら惜しい。
「もしかするとアンタが言っているのは、昨日僕の目の前で自殺した女の子のことなのかな」
「――なに?」
白炎は、ピタリと足を止めた。
「そのまんまの意味さ」
弁解の意思を見せるためにも、僕は逃げる足を一旦止め、白炎に向かい合った。
――食いついた!!
引っかけるには少し大きすぎるカマだったが、上々の立ち上がりだ。
今まで燈火から聞いた話を繋げれば――やってやれないことはない。
「そう。僕が雨の中、人気の少ない路地裏を歩いていると、目の前からセーラー服姿の女の子が歩いてくる。その子は、僕の前で急に立ち止まったかと思うと、ポケットから突然――あれは銀の十字架かな? とにかく、それを取り出して僕に差し出した。そしてその子、僕になんていったと思う? この十字架を、私の心臓に埋め込んでくださいって言ったんだよ」
「ば――馬鹿な」
白炎はまんまと僕に騙されて、茫然とした表情を浮かべている。……まさかここまで揺さぶりが効くとは。
どうやら相当、子供を大切にしてきたらしい。
或いは――大切な道具として、か?
「僕は全く意味が分からなかった。だけど、少女の表情は真剣そのものだった。僕よりも小さな体に、一体どんな決意が漲っているんだろうと思った。……今思えば、その決意に気圧されたのかもしれないな。気が付くと僕は、十字架を受け取っていた。少女は言った。「ここで私が死なないと、お父さんを殺さなくちゃいけなくなる。それは嫌だ。だからここであなたに殺してほしい――」ってさ」
「燈火が……そんなことを」
「娘さんの名前は燈火というんですね」
わざとらしく、僕は付け加える。
「僕も人殺しになるのはゴメンだから、最初はその申し出を断ろうとした。だけど、少女は不思議なことを言い始めた――人間でないから、殺しても大丈夫だということ。自分が死ねば、死体は灰になって消えてしまうこと。それらを説明した上で、彼女は――僕にある道具を手渡した。パイルバンカーという道具らしい。「あなたがそれ使って十字架を心臓に打ち込んでくれたら、私は自分で首を刎ねますから」と言い、彼女はそのまま自分の首を」
「もういい! 沢山だ、聞きたくない!」
白炎は、僕に背を向けた。
……人を殺した際の描写など、好き好んで聞きたいものではない。ましてそれが自分の家族のものとなれば、尚更だ。
咄嗟の思いつきだったが、どうやら上手く白炎の戦意を削ぐことができたようだ。
だけど――このまま、見逃すことはできない。
僕は、白炎に対する強い怒りを感じていたのだ。
「……彼女を失ってそれだけ悲しめるなら、どうしてもっと早く、燈火に優しくしてやれなかったんですか」
「なに?」
「あの子、言ってましたよ。今までに祖父母と母を殺した、もう疲れちゃいましたって。だけど――よく考えれば、彼女が背負った罪は、本来あなたが背負うべきなんだ」
「な――なにを」
「あなたが選んだ妻で、あなたを産んでくれた親だ、違うか。最期を看取るのはあんたの役目じゃないのか。――そんな辛いことを燈火に押し付けておきながら、今さら悲しむなんて。そんな資格があなたにあるのか」
白炎は、茫然とした瞳で僕を見つめていた。憔悴しきったような、抜け殻みたいな、いずれにせよ、最初の姿からは想像も出来ないほど惨めな姿だった。
「あんたがもっとしっかりしていれば、燈火だって死を意識することはなかったかもしれないんだ。本当の意味で、燈火を殺したのはあんただ」
「う――うるさい、うるさい! 戯言をほざくな! お前だろうが、燈火を殺したのは! 燈火の自殺に加担したのは! 全部がお前のせいなのに、何を偉そうに――」
そう。
つまるところ、そういう話。
白炎にそういう話をするのであれば――僕だって責められるべき。
結局のところ、 彼女を殺したのは僕だ。
僕が一番悪い。
だからこの場合――責任を取るべきなのは、僕だろう。
「お前さえいなければ――お前さえいなければ! 確かに私は間違いを犯したかもしれないが、それだって生きていればやり直せたはずだ! 違うか、この殺人鬼が!」
白炎の咆哮に呼応するように、家中が大きな振動に襲われた。
地震か、と思ったけれどそうじゃない――風だ。
吸血鬼の怒りに同調するように、風が強さを増しているのだ。
「殺す! 貴様だけは――娘を殺した貴様だけは、絶対に殺す!」
その一言をきっかけに、僕の家は木っ端微塵に崩壊した。
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