⑨ 嵐の幕開け

 燈火の言葉を真意を確かめる前に、異変は起こった。


 窓がガタガタと揺れ始める――どうやら、風が強くなってきたようだ。

 外を見ると、雨も勢いを増していた。屋根を叩く、激しい雨音が聞こえてくる。


 確か週間天気予報では、今週ずっと小雨のはずだった。

 まぁ、最近の天気予報なんてアテにならない。勿論、外れる時だってあるだろう。


 僕は、その程度にしか考えていなかった。

 燈火が、あんなことを言いだすまでは。


「……何か、気配を感じませんか?」


「気配?」


「そうです。何かが遠くからこちらを見つめているような――こちらに狙いを定めているような、そんな視線」


 燈火は両耳に手をあて、目を閉じている。

 まるで、迫りくる獲物の痕跡を辿ろうとする狩人のようだ。

 

 その一方で、僕は何も異変を感じていなかった。普段通り、いつも通りの寝室だ。

 強いていえば――突然天候が変わったのが気になるくらいか。


「……まさか。……そんな。……こんなことって」


 鈍感な僕とは裏腹に、燈火の表情はどんどん青ざめていく。

 今まで燈火は、いつも穏やかな微笑みを浮かべていた。

 自分の手首に、カッターを突き刺している時ですら表情を変えなかった。

 そんな彼女が豹変するほどがここに迫っているのか……?

 この悪天候に紛れて、


「何なんだ、一体……」


 居ても経ってもいられなくなった僕は、外の様子を窺おうと窓に近づいた。


「危ない!」


 燈火の悲鳴が上がったのは、一瞬後のことだった。

 

 彼女は僕の手を掴んで、強い力で引き寄せた。そのせいで僕は尻もちを付いてしまう。

 見た目によらず、力があるな――と驚いたのも束の間。


 ――

 ――

 


 その一か所とは――言わずもがな。

 一瞬前まで、僕の立っていた場所である。


「――――ッ」


 背筋が凍る。

 もし燈火が手を引っ張ってくれなければ、今頃僕は全身をズタズタに引き裂かれていただろう。


 咄嗟に、燈火へと視線を向ける。


 彼女の表情に浮かんでいたのは、確固たる恐怖心と、嫌悪感。


 燈火のそんな感情を引き出せる人間は、恐らくもうこの世に一人しかいない。

 襲撃者の正体を察するには、それだけの情報で十分過ぎる。


「……そうだよな」


 どれだけこの世界が間違っていて。

 救いも教訓もない物語に満ち溢れていようとも。


 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る