第2話 長門有希史
1941年12月12日、日本が対米、対英宣戦を行い始まった太平洋戦争を東條英機内閣が閣議で支那事変も含め「大東亜戦争」と呼称することを決定した日である訳だが、その頃ドイツはバルバロッサ作戦から始まる対ソ戦の真っ只中にあり、ミュンヘンのギムナジウムでハルヒの作ったSOS団の部室にいた俺たちは、まさに寝耳に水、と言った感覚であった。ドイツがヒトラーの主張するように、東方に生存圏(レーベンスラウム)を求めることについては、ハルヒも賛成の意向を示しており、これはハルヒの願望通りドイツは晴れて腐った納屋ことソビエト連邦を倒し、大ドイツ帝国として首都ベルリンをゲルマニア(welthauptstadt Germania)と改称するのも秒読みだろうと思っていた矢先であった。当面アメリカは二正面作戦を強制される訳であるから、バトルオブブリテン以降劣勢となっている西方の制海権に関しても、いくばくかの猶予が与えられるのではないかという希望もあったが、とは言え、正式なアメリカの参戦を招いてしまったのはドイツにとって窮地であるとしか言いようがない。ハルヒはアメリカを侮っているようであるが、あの国は世界で最も早く自家用車を普及させた国である。その生産力、そして世界有数の埋蔵資源、人的資源を甘く見てはいけない。
というか、当時は一般に情報が出回ってはいなかったようではあるのだが、1941年12月ごろというのは、実はソ連戦線は完璧な膠着、あるいは撤退が開始され始めた時期でもある。イギリス軍部でさえもソ連は今後一ヶ月もたないだろうと推測していた状況であるから、日本が「バスに乗り遅れるな」のスローガンをもとに米英に対して開戦してしまったのも、仕方ない側面があるにはあるのだ。
長門はゲルマニア(タキトゥス,98)を読みながら、今後起こるであろうゲルマン民族の凋落を憂いていたのであるが、気を取り直してアングロサクソン年代記(大沢 一雄,2012)を読み始めたのだった。
長門有希文学とラテン中世 johnsmith @johnsmith14
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