長門有希文学とラテン中世

johnsmith

第1話 銃・病原菌・長門有希

 ローマ帝国(imperium Romanum)について想いを馳せると、西に別れたり東に別れたり、その後カロリング朝フランク王国と神聖ローマ帝国がそれぞれの帝国の後継者を称したりで、結局のところどこまでがローマでどこからローマじゃないのか、と言うことが大変気になるのであるが、その版図は西はモロッコ、スペインから東はトルコ、イラク、北はグレートブリテン島南部、南はエジプトやリビアまで広がっていたと言うから、これは大変な大帝国である。しかも結構早い段階で首都がローマからコンスタンティノープルに移動していたりするので、実質オスマン帝国である。と言うか、オスマン帝国は征服した東ローマ帝国の首都、コンスタンティノープルをそのままオスマン帝国の首都にしているので、お前らプライドとかないのか、と言う気持ちになる。


 ローマ帝国がローマからコンスタンティノープルへ遷都した時、長門は一体どうしていたのかと言うと、言うまでもないが本を読んでいたのである。

 この時代にはまだローマ帝国の版図に含まれるエジプトはアレクサンドリアの大図書館もキリスト教徒による大規模な攻撃にさらされておらず、なんとか存在しており、まさしく長門にとっては天国のような環境であったと言えるだろう。キリスト教の教義との親和性を持たないアリストテレスの著作はこの後、キリスト教によって焚書に附されイスラム世界にしか残っていなかったらしいので、新たに触れる哲学に、長門は歓喜から滂沱の涙を流したと言う。

 残念なことに50年ほど後にこの莫大な書物を蔵する図書館は灰燼に帰してしまうのであるが、長門は残された時間を惜しむかのように、パピルス紙に記された文字を次々と読み進めていくのだった。


 俺と古泉はと言うとすごろくの本場であるエジプトでバックギャモンのルーツとも言われるセネトに興じながら、朝比奈さんの入れてくれたお茶を飲んでいる。


 ハルヒはパソコンで2ちゃんねるを見て何か不思議なことがないかを探しているようであるが、その「2ちゃんねる」もやがて「5ちゃんねる」になると言うことは、俺の心の中だけにしまっておく方が良いのだろう。


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