第33話
俺は立ち止まる。そしてこの高台からぐるりと、古代情景の夥しい色彩の襞(ひだ)を楽しむ。遠くところどころで煙が上がってるのは野踏鞴の炉が鉄を作っているのだろう。浜の砂地に小麦畑が被さって広がり、パッチのように布を縫い合わせたような畦ごとの萌黄色が、もやっとけぶりながらも、あたり一面に金の粉をまき散らしている。この時季、麦の穂が随分伸びてる証拠だ。内陸の山裾へと連なる開墾田の早苗は、もうとっくに田んぼの水の色を隠すまでに伸びている。一斉の青田だ。たたなづく青垣からやってきた風が畝をつくって駆け抜けていくのが見える。脇には茅葺き屋根の小さな集落が佇んでいる。
オオナムチ(オオクニヌシノミコト)、そして子孫であるアジスキノタカヒコが鉄の鋤(すき)で開拓した田園だ。人力の鍬(くわ)や、牛馬を使ってを掘り起こす牛ぐわ。それら、出雲の野踏鞴でつくった、鋤(すき)や鍬(くわ)の刃先はどれも鋼色に輝いていて美しい。この出雲の人々の誇り。
檜皮葺き屋根の鍛冶場では、その鋤と鍬の量産体制に入っていた。忙しそうに朝から晩まで、人々が鍛冶場を走り回っている。今日、これからアジスキノタカヒコが出向き、大和の地において、ここ、出雲で培われた魂と技術が少しずつ頒布されていくのか。アジスキノタカヒコよ、タケミカズチのことはもう、諦めがついたかい。アメノウズメさんの言われた古代葛城一族の深い思い、それを胸の奥に畳んで、がんばってきてほしい。
ただ、せっかくの鉄器農具と稲作技術も、大和の地のよこしまな奴らによって、乱離拡散しなければいいのだがと、俺は思う。
ちょうど自分と同じ高さのあたりで、ひばりが先ほどから鳴いている。空中でクチュクチュと、大パノラマのど真ん中を我ここにありとでも言わんばかりに声をはり上げ、自らをうたっていた。この時季になると、会社帰りのウォーキング中にいつも麦畑の狭間から大空を仰いでは、その小さな羽ばたきの点を見失わないように顔を上げたまま焦点を定めたものだったが、こうやって同じ高さで見るのが不思議であり、愉快でもあった。
からだが違うのを感じる。地上にいた時と明らかにからだのどこかが違っているのを感じるのだ。全身の皮膚をきゅっときつく、わしづかみされているような・・。ああそうだとも、、全身の皮膚が痛いのだ。それでいて心地よい。五感を通りこした心地よさ。まるで異界の世界。空間と視界が大きくリフレイムし、皮膚感覚ともども細胞の隅々が異常に覚醒してる。
俺は階段のまん中あたりにまで下りた。すでに八雲山はずっと頭の上、国引きの海岸線も日御碕あたりは日本海の切り立った岩に隠れて見えなくなっていた。稲佐の浜がすぐ真下くらいに、その岩の造形美の細部までがよく見える。あの小さな弁天島はずいぶんと沖に位置している。ということは、かつて古代の稲佐の浜は、この杵築(出雲)の大社とほとんど、隣接してたことがわかる。
タケミカズチは、オオクニヌシの住む宮のすぐ、近く、伊耶佐(いなさ)の浜に下り立ちました。
タケミカズチ、ただちに十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き放ち、気合(きあい)もろとも柄(つか)を白波に突き刺し、刃先を天に向けて突き立てた。と同時にまた、「えい、やっ!」とばかり、今度はその鋭い刃先の上に、タケミカズチが大あぐらをかいて坐った・・・
古事記より現代語訳抜粋
・・・・・参道を歩きながらの追想から我に返ると、出雲大社の拝殿の前に俺はいた。財布からお賽銭を出そうとして、十何年かぶりに、ズボンの膝横のジッパーを開けた。ポケットからなつかしい財布と一緒に何やら紙片のしわくちゃになった紙が一緒に出てきた。うん?なんだ?それを広げる。どこかで見覚えのある字だった。キャバクラ?たしか、あの待合室でやつが書き残したメモ書きだ。
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