第32話

出雲國風土記の記述通り、三澤の郷で言葉の垣根を取り払うことのできたアジスキノタカヒコ。葛城族末裔らが、石見の物部神社で物部族末裔らと合流し、戦国末期の最新ふいご踏鞴(たたら)で作られた、随一の純度を持つ玉鋼(たまはがね)。それを観光バスに載せ、古代出雲のここ杵築(きずき)の地に降り立ち、唯一無二の霊剣、玉鋼の十拳剣(とつかのつるぎ)が、ついに完成したのだった。。しかし、皮肉にもアジスキノタカヒコの脇にそれを携えることは叶わなかった。


今、祭壇に飾られるこの木箱の中で、炎に包まれた玉鋼剣が未来永劫に、鍛冶師たちの手で鍛錬されていくかのようだ。カーン、カーン、と振り上げる槌に玉鋼剣(たまはがねのつるぎ)は割れることもなければ折れることもなく、鍛冶師たちの持つやっとこでぐにゃりと曲げてはまた叩いて延ばし、鍛錬に鍛錬を加え、さらに美しく、強靭に育っていく。出雲の地で生まれた玉鋼、決して後世のいかなる高度な科学技術の粋を集めたとしても、これ以上のものを作り出すことはできない・・・


アジスキノタカヒコは、その木箱からまだ目を話そうとしない。その剣で、なんとしてもタケミカズチと決闘したい。1500年もの長かった怨念が燃え盛る。まさに今、やつは目の前の木箱の蓋をあけ、その玉鋼の長い十拳剣をかっさらって、200メートルもの長い階段を駆け下り、稲佐の浜へとおどり出んとしているかのようだ。


杵築(出雲)の大社(おおやしろ)建立の大普請に、何万人もの人手を供出してくれた条件のひとつとして、大和物部氏族のレガリアとして献上するはずの玉鋼十拳剣。出来上がってみれば、それはそれは、見事な美しさであった。そして出雲のお社も、十年の年月を経て、竣工間近にまできていた。

しかしただ一人、アジスキノタカヒコだけが首を縦に振らなかった。我の手元から一時たりとも離すことはせぬ、と言ってゆずらなかった。そのかわりに、これまで使ってた青銅の十拳剣を、布都御魂(フツノミタマ)ということにして、大和物部の宮中に献上すると言い張ったのだった。いやそれはないだろ、玉鋼の剣こそが、物部王朝のレガリア(大王を象徴する物品)にはふさわしいと、物部の頭はアジスキノタカヒコに対して憤慨する。


夜が更け、夏の早い朝がうっすらと縁側の障子を明るくした。葛城族、物部族らの重鎮の集まった会議はとうに深夜を越していた。葛城の祖、アジスキノタカヒコのこれからの活躍場所についての話し合いだった。出雲出身の野見宿弥(のみのすくね)を配下に持った大和の垂仁(すいにん)帝のところにまで赴き、ホムチワケと名乗って鉄器農具を広め、大和の荒れ地を開墾して美しい田畑にするという役目だった。


しかし、相変わらずやつは吠え続ける。まるで言い訳のきけない駄々っ子のようにして。もしおれが大和の垂仁帝のもとで出雲の鉄鋤(すき)、鉄鍬(くわ)を持って行ったとしても、大和にいる他の豪族らが蜂起して勝手に田畑を荒らし、挙句にこれらの鉄器を全部奪い去り、その鉄を溶かして弓矢、槍、剣などの強力な武器に仕立て直してしまったらどうするつもりか!そう威嚇して、どこまでも葛城や物部らの頭首に食い下がった。


近くの集落で飼っている鶏の第一声が戸外の青田にとどろいた時だった、これまで部屋の隅で静かに聞いていたアメノウズメさんが突然、大声で一喝したのだった。


「かつらぎぞくの、えいち(叡智)というのは、そんなちっぽけなものではない!」


皆が見守る中をアメノウズメさんがおもむろに立ち上がり、アジスキノタカヒコに向かってきっぱり諫言(かんげん)する。


「わたしはなんどもいってるではありませんか。かつらぎぞくの、えいちとはなんですか?それは、このひろいだいち(大地)とのきょうぞん(共存)ですよね。いずものオオナムチさまのち(血)をうけつがれているあなたが、いちばんよくしっていることではありませんか!」


アメノウズメさんが、あの踏鞴場でみせた出雲阿国の、真っ赤に逆立つ隈取(くまどり)の顔に燃え上がる。


「わたしたちはこだい(古代)から、おくいずも(奥出雲)で、たくさんのき(木)をきって、てつ(鉄)をつくりつづけてきました。しかし、これまで、はげやま(禿山)にしたことがありますか?はげやまにして、こまったことがいちどとして、ありましたか?」


大和から来たばかりの新顔らしき物部族の重鎮が、ふむふむと髭を撫でながら頷いている。


「たはた(田畑)をたがやすてつ(鉄)のすきが、ぶき(武器)にかわる?アジスキノタカヒコよ、そんなよわごし(弱腰)でどうするか。おまえのちからは、そのようなちっぽけなかんがえをも、しのぐおおきなものでなくてはなりません。やまと(大和)にいって、ほこり(誇り)たかき、かつらぎの、どこにもまけない、えいちをみせつけられろ!」


そう言うと、茶袴の長い裾を蹴り上げた。勇ましく四股を踏んだアメノウズメさんが、両肩の大きな袖を振りかざす。燃える緋色の亀甲柄。全員の瞼の前を身じろぎせずに立ちはだかる。亀甲文様、それは原始から続く、我々すべての祈り・・・・・。



・・・玉鋼剣(たまはがねのつるぎ)奏上もつつがなく終了した。まず、物部神社の長(おさ)が先頭に降りていく。そのあとをアジスキノタカヒコ、そして葛城氏族と物部氏族の大王の側近連中らが続く。アメノウズメさんは、「わたしのしめい(使命)は、ここまでです。これでひとをあや(殺)める、てつ(鉄)はふういん(封印)されました。わたしはオモイカネさんのおられる、あまつかみのところへと、おいとまします」と言い残して、この出雲から立ち去られていった。もうアメノウズメさんはいないのだ。

そういえばあの三澤の郷での葛城族末裔のかしらであった、毛皮の男の姿も見えない。彼は出雲大社大普請の出だしの心御柱(しんのみはしら)を掘っ建てた際、何十人もの下敷きになって死んだうちの一人だったから。


こうして出雲大社における大和物部氏族の大普請協力とひきかえに、アジスキノタカヒコが千丁(せんちょう)もの鉄器農具を大和の地に持ち込むこととなった。そして玉鋼の剣についてはこの部屋に集まった者だけで隠密に決められ、生まれ育ったこの出雲の大社で、布都御魂剣(フツミタマノツルギ)として永劫にまつられることとした。


俺は最後列につきながら、彼ら重鎮らの降りていくうしろ姿を見る。比較的横広の階段とはいえ、100メートルちかくもあるこの高みでは目も眩み、思わず足元が揺らぐ。だから誰も慎重に足をひとつずつ下に運ぶ。


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