第30話

ニッサンシーマは、斐伊川下流の大きな橋にさしかかった。ずいぶんと高い天井川であるのがわかる。上流の鉄穴(かんな)流しで砂の土砂が河床に堆積したのもその要因のひとつらしい。大洪水の度にその流路を変え、日本海にそそいでいたのが江戸時代になってからは宍道湖に注ぐようになったという。太古の昔から、そんな暴れ川、ヤマタノオロチとともに、今日までとうとうと、斐伊川の水は流れる。


上空を飛行機が低空飛行で旋回している。ナビを見た。レンタカー乗り捨ての出雲空港まであと30分で着く。地図を辿った。その空港道路に入る手前を左に折れてちょっとだけ、ほんの10分でも寄り道すれば、出雲大社に参拝できるはずだ。所要時間はさほど大したことはなさそう。名古屋l空港へ飛び立つ前にもういっぺん、見ておきたい。


かつての古代の出雲に、空の天井を突き破らんばかりの、96メートルもの神殿が屹立した。出雲は杵築の海辺の風景に、立ちはだかって現れ出た高層社殿。それを古代の私はこの目で見上げたものだった。見上げた瞬間、自分を含む世界もろともが異界に運ばれていった。幻想と現実との逆転。造成した物部氏族や葛城氏族たち末裔らの叡智には、誰もが言葉を失う。


もしあの当時のまま建っていたのなら、出雲大社から10キロほど離れたこの場所からでも、その威容を眺望できたのではないだろうか。しかし長い年月の中でいくたびもの地震や台風にみまわれ、その都度倒壊を繰り返しては造りなおし、出雲大社は少しずつ低くなり、今の24メートルとなった。しかし、現代においてもその大社造りの威容は見る者を圧倒する。全国から多くの参拝者が毎日やってくるのは、今も昔も同じ。その絶大なる磁力は古代だろうが現代だろうが、いっこうに衰えることを知らない。


出雲の大社の大普請。それは出雲の阿国さんこと、アメノウズメさんの念願でもあった。様々な時代を駆けまわっては精力的に巫覡(ふげき)活動と、寄進活動を行って長年の夢を実現させたアメノウズメさん。出雲大社の落成式典、つづいて玉鋼剣の奏上式典のあと、彼女は天津神(あまつかみ)のもとにもどり、そして俺は一人旅立った。斐伊川をさかのぼり、戦国末期のあのなつかしい踏鞴場にまでなんとかとどりついた。果たして、ニッサンシーマに乗れるのだろうか。そして無事に失踪した俺が帰れたとしても、ちゃんと俺のことを俺として認めて迎え入れてくれるのだろうか。浦島太郎みたいなオチが待ってることはないよな。ずっと心にため込んでいた心配、しかしアメノウズメさんが打ち消した。


あなた、浦島太郎の逆なんだからね、心配しなくて大丈夫なのよ。何て言ったって、あちらよりもこちらの方がリアルなのだから。現代というところは遠い空の彼方でこちらの何百倍もゆっくり、時と空気が進んでいるわ。たしかにこの神代(かみよ)の場所では10年以上もの年月がすぎたけれど、多分、あなたの戻られるあちらでは2日か3日間くらいのものでしょうからね。だから帰りはもう、一人で大丈夫でしょ、と背中をたたかれてお別れしたアメノウズメさんだった。


あなたが鳳来寺山のモリアオガエルの古池でオタマジャクシを眺めた時から実は、あなたはずっと別次元を歩いてたのよとも言っていた。サルタヒコさん、全然気づいてなかたでしょ、とちょっとばかり小悪魔的な顔をつくって俺の顔を伺い見上げた。えっ?と俺は思わずあとずさりしたものだった。でも思い当たるふしはあった。初めての単独登山途上、鳳来寺山の1425段もの長い石段を上り切ったところあたりから急にいろんな珍現象が起きたことを想い起こす。モリアオガエルの生息地・・・なるほどそうかもしれないな。


それとあなた、誤解してるようだけど、私、アメノウズメは天孫族なんかではないんだから。これは誰にも話してないことだから、絶対に内緒にしておいてください。アマテラスさまが天の岩屋戸にお隠れになった時にね、オモイカネさんがわざわざ出雲の巫女であった私のところにまでやってきて、困り果てたことが起きたのでどうしても助けてほしいと頼まれて、それで私は天津神のふりをしただけだったのですから。あのう・・・。いつだったかしら、たしかキャバクラの個室であなたに言ったことがあるわよね、破廉恥でもなんでもない、これには大人の事情があったのですと。


借りてたニッサンシーマのところに戻る方法、それはあの、小さな水たまりです、とアメノウズメさんは教えてくれた。じっとしゃがんで、オタマジャクシのしっぽが切れ落ちる瞬間を待つ。切れ落ちるや否や、その水を両掌ですくって顔を洗えばいい。そうすればひとりでにオタマジャクシの蘇生ループに入り込んでいく。ヒトの60兆個もの細胞の中の夥しいミトコンドリアに巻き起こる見えない超高速回転運動。その凄まじい蘇生エネルギーの渦に呑み込まれて、俺は瞬時に時空を超えることができてしまったようだ。


 水たまりから立ち上がると、車は10年以上まえ、いや正確には数日前とめた場所そのままに、現役の顔で待機してた。人の立ち入った気配の全く感じられない、樹林だけが鬱蒼とした初夏の午後。どこからか、にいにい蝉が1匹、か細い声で鳴き始めた。まだ、ドンゴロから成虫にかえったばかりのようだ。そうか、もう夏なのだ。どこの駅だったか、そうだ、四日市の駅のホームでも、同じような場面があったことを思い出す。あのホームのベンチで、仏頂面の男に出会ったのだったな。それがアジスキノタカヒコだったとは。あれからここまで、いったい何十年という歳月が過ぎたのだろうか。いや、ひょっとしたらまだ、やつと出会ったのがほんの昨日の出来事だったのかもしれねえな。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る