第29話
なんとまあ、天秤ふいごではないか!
アメノウズメさん一人だけで、大きな2枚のふいご板を陣取り、その割れ目を両の股で挟むようにして出雲阿国の踏鞴をふんでいる。そのたびに吸気と排気の弁が交互にヒュツ、ヒュッと、身もだえ、土嚢の隅々から煙が立ち上る。まるで煙に包まれた3D立体ゲームの中の、ストリートファイターのようだ。幻想とリアルが俺の目の前の舞台に放り出されている。ふいご板のど真ん中で、おんな大関の四股(しこ)踏み。それもスクワット体勢の厳しい動きで・・・。
巫女(みこ)さんの装束といったら、上は白衣に千早、そして下は緋袴というのが定石なんだろうと思うのだが、真逆の、とんでもなくド派手な色合いのエキセントリックないで立ちだ。さすがは歌舞伎の元祖と言われた出雲の阿国さん。女だてらに武士の装いとはな。男装女子のストリートパフォーマンス。歌舞伎の語源が、奇妙な身なりや常識外れを表わす「傾く(かぶく)」から生まれた意味がよくわかるよ。
金銀の刺繍に覆われた華やかな衣装。肩から伸びた巨大な袖には、白地に誇り高き紫の亀甲柄が揺れる。茶色の長袴を両手でつまみ、足で大きく蹴り上げる。そのガニ股の裾がめくれあがって、ふくらはぎが異様に白い。たおやかなふくらみが妙に不釣り合い。
顔は真っ白のドーラン。これは半端ない。筆で丹念に塗り込んである。幾筋もの真っ赤な隈取(くまどり)が逆立っている。ベンガラの酸化鉄粉?はたまた纏向(まきむく)古墳の地底から見つかった、ベニバナ花粉の紅化粧なのか?
俺は歌舞伎の回り舞台上手の大心柱(だいしんばしら)から、そのラディカルな常同運動を見守った。花道のところにはアジスキノタカヒコが、ぽかんと驚いた顔を戻せずに突っ立っている。奈落では上半身裸の男たちが、炉の風穴調節をしている。そう、阿国の行う踏鞴踏みのリズムに合せながら風穴を神業のように調整しなくてはならないのだ。リズムが次のリズムを呼び、徐々に旋律線を形作っていく。炉の中で燃える玉鋼(たまはがね)に、男装の巫女が天空からの旋律線を注入する。
「や、や、こ、」
「や、や、こ、」
突如、ゆったりとしたテンポがやってくる。静止と躍動。「ややこ」の言葉のひとつひとつを、ていねいに手渡しする。手渡ししながら徐々に、言葉のループが次のループを加速する。こういうのって、新皮質の奥にある、昔からの脳幹を直に揺さぶってくる感じ。ドーパミンがバンバン飛んでいくのを覚える。なんとも心地いい。
ああそうだ、これ、能楽堂で見たことがあるぞ。ブラームスのハンガリー舞曲第5番だ!あれはバイオリンとピアノの二重奏だった。もし蒸気の押し上げる踏鞴がピアノのリズムだったとしたなら、阿国さんの動く身体はバイオリンの旋律だ。
たしかハンガリーの民謡というのは我々、日本人のDNAをなぜか揺さぶるところがあると聞いたことがあるしな。リストのクラシック曲も然り。ハンガリーと日本か・・・。赤ちゃんのお尻にできる蒙古斑が遠く隔てた国であるのにかかわらず示すように、名字のあとに名前がつく、あと、言葉の文法も似てるらしい。ハンガリーのハンは、フン族のフンからきていると、ゲルマン民族の大移動の社会科の授業で教えてもらったな。もしそのフン族というものが、さんざん中国を悩ませた匈奴、つまりスキタイ人だったとしたなら面白いな。そうすれば、ハンガリー舞曲だけでなく、剣を大王のレガリアとした古代日本人の気持ちも理解できるような気がしてくる。だってそこにはヒッタイトの鉄器文明が介在してるから。世界最古のメソポタミア文明を制覇したヒッタイトの鉄器文明。それを継承した古代騎馬遊牧民のスキタイ人。そのスキタイ人のDNAを遠い過去に持つ、古代の渡来弥生人。帰化人。タケミカズチ。土着縄文人との混血・・・。
しかし、いま舞台で踏鞴踏みをしてるアメノウズメさんはアジスキノタカヒコに言ってたよな。あなたがこれから古事記に飛び入り参加し、タケミカズチと剣を交えるなんていうことは、絶対にやめなさいと。
「なぜ、タケミカズチと決闘してはいけないのですか!」
「かつらぎぞくの、えいち(叡智)というのは、そんなちっぽけなものではないはずですから」
葛城族の叡智って何のことだ?アメノウズメさん、あなたは古代葛城族の大王アジスキノタカヒコを出口のない暗闇から助け出しましたよね。助け出した以上、アジスキノタカヒコの言葉を聞いてあげる責任があるのではないでしょうか。
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