第28話

アジスキノタカヒコが俺を見る。

「おい、おまえ、そこでぼさっと立ってないで、おれといっしょに木炭運びを手伝え!」

やつの顔がにらみつけてくる。この顔、初めてのキャバクラで見た教授の相貌と瓜二つだ。

「おまえらの空想物語に、あのタケミカズチをぶち込ませてやったからな」

キャバクラの覗き窓から言ってきた、割り込みコメントがその言葉通りに、やつの全身にとりついているようかのように見える。遠い過去の見知らぬ教授の言ってたことが、まさかこんなところで逆上ストーリーの布石となっていたとは驚きだ。


 炭焼き小屋から木炭を満載し、やつの引く大八車がくだっていく。もうじき、先ほどの踏鞴場に出るはずだ。鉄穴(かんな)流しで剥きだされた花崗岩の崖の向こうに、金屋子神社の鳥居の姿が見えてきた。2018年から400年以上遡った当時でも、やはりかなり高い位置だったのがわかる。あの鳥居の麓、借りてたニッサンシーマは、今頃どうなっているだろうか。きっとパトカーが何台も取り囲んでちょうどあのあたり、鬱蒼としたシダを警官らが棒でかき分けては失踪の手がかりを捜索しているだろうか。ニュースで取り上げられてるかもしれん。


早く帰りたい。停泊中の何台もの逆上行き観光バスはまだこのあと、俺たちを乗せてさらに昔の、西暦300年から500年あたりのところへと向かうはずだ。ホムチワケ伝承から始まったこのバス、旅の行程があまりにも長すぎる。ひょっとしてまだ逆上ストーリーの半分も紡ぎ出してないのかもしれん。いいかげん、やばいから。あとでアメノウズメさんに、頼んでみよう。早く帰りたい。


やつは静かだ。踏鞴の技師長から仕事着としてあてがわれたのだろう、麻の貫頭衣を着てアジスキノタカヒコは黙ったまま、大八車を引いている。髪の輪っかと、背の下にまで垂れ下がる勾玉の長い首飾りが、かつての大王(おおきみ)を物語っている。三澤の郷でスサノオの役を演じたこいつは、ヤマタノオロチを成敗するどころかオロチと一心同体となって、大勢の葛城の末裔らと一緒に斐伊川を上っていった。しかし、オロチを退治しなかったことが、結果的にストーリーをここまで長くさせただなんて思いもよらなかったし。早く帰りたい。玉鋼の十拳剣という唯一無二のレガリアが、このストーリーの中核であることはもうよくわかったから。


・・・十拳剣。斐伊川の上流、三郷の郷でバスから降りた葛城族末裔らが、屋外歌舞伎を演じてる最中だったな。スサノオ役のアジスキノタカヒコが携えてた十拳剣を見て俺は思ったものだった。小学校2年の時、劇の台本を配られる前に先生が読んでくれた「スサノオノミコトとヤマタノオロチ」という紙芝居。そして銀色のチョーク。後にも先にも、この時にだけ見た、銀色のチョーク。先生は黒板に向かって1本の大きな剣を書く。両刃の剣が切っ先を上に、銀色に光っていた。この十拳剣を持っていた3人の神様の名前が青色チョークで横に書かれていく。スサノオノミコト、アジスキノタカヒコ、タケミカズチ。そのあと、このひとつの剣が日本の長い歴史の中で、大事な意味を持っていたことを教えてもらったような気がする。内容はすっかり忘れたが、地元の熱田神宮の名前が出てきたので、その剣に親近感を覚えたのを今でも記憶してる。


それにしても、やつの持ってたこれまでの十拳剣はどうしたのだろう。青銅の十拳剣と言ってたな。玉鋼をつくるために踏鞴場で協力してもらう信頼の証として、この物部族集落の末裔らに預けたのだろうか。それともあの玉造温泉場のところで金持ち商人にでも売り払ってしまって、出雲の大社(おおやしろ)の96メートル大普請の資金にしたのだろうか?


今、歴史をさかのぼって、ここ戦国末期で作った玉鋼を携え、さらに観光バスでさかのぼった神代で、唯一無二の十拳剣をつくろうとしてる。古事記の記述ではアジスキノタカヒコがその十拳剣を使ったのは1回だけ。死んだばかりのアメノワカヒコと間違えられて怒り、泣きすさぶ喪屋を切り伏せ、蹴飛ばした時に使ったと書いてあった。古事記の国譲りの、稲佐の浜でのタケミカズチとタケミナカタの決闘シーンの前段でもあり、これも有名な話だったから高校の時に図書館で読んだとはいえ、しっかり覚えている。しかし今になって考えてみると、この有名な話そのものにも、すごく違和感を感じるのは気のせいか。


国譲りの段を順番に整理してみよう。高天原のタカミムスビとアマテラスがアメノホヒをまず下界に派遣したが、国譲りに帰順させるべきオオナムチのまつりごとにホヒは逆に感服してしまい復命しなかった。こりゃまずいといって今度は、高天原のアメノワカヒコを下界に派遣したが、これも麗しきシタテルヒメ(古事記ではオオナムチの子でアジスキノタカヒコの妹)と懐柔されるように婚してしまった。


そこであの有名な雉の矢の話が出てくるわけだ。天邪鬼(あまのじゃく)というのもこんなところで初めて登場するのを知って俺は驚いたものだった。天邪鬼にそそのかされたアメノワカヒコが下界から天に向けて放った弓矢は、タカミムスビからの伝言番役だった雉を射通して、さらに高天原にまで届いた。しかしタカミムスビがそれを下界に投げ返すと、その矢が逆に、アメノワカヒコの胸に命中して死んだ。そして葬儀場に、アジスキノタカヒコの出番が少しだけあったのは、先に述べたとおりだ。


出雲のオオナムチを帰順できなかった高天原のタカミムスビとアマテラス。そしてついにやってきたクライマックス。タケミカズチの出番だ。タケミカズチなるものが偶然のようなタイミングでもって、オオナムチ(オオクニヌシノミコト)の帰順役として登場する。なんの脈略もなく唐突に割りこむようにして登場する。まるであのキャバクラで起きた、教授らしき見知らぬ男の割り込みコメントのようなタイミングで。タケミカズチは下界に降り、そして有名な稲佐の浜での決闘が始まる。古事記の最高の見せ場・・・。見事なまでの潤色を凝らした逸話をちりばめ、しかし計算しつくされた作り話。ひょっとしたらアメノワカヒコの矢に射られた話なども、タケミカズチ国譲りの手柄を引き立てるための、長い序章の一コマだったのかもれん。


・・・矢に射られて死んだ天津神アメノワカヒコ。しかしこの話の裏側に俺は何かを感じざるを得ない。なぜ、わざわざそこにアジスキノタカヒコが、ぽつねんと登場せねばならなかったのだろうか。アメノワカヒコが死んだと同時にアジスキノタカヒコが現れた・・・。これって蘇生か?つまり天津神であるアメノワカヒコは、アジスキノタカヒコと同一人物であった?


いやああ、これは面白いぞ。もし俺のこの推理が正しかったとしたならば、そう、アマテラスらの天孫族がやってくるよりもまえの天子、つまりオオナムチという伝説の人物たち亡き後の、葦原の中つ国の天子、それはいま、すぐそこで後ろ姿を見せて歩いてる葛城の先祖、アジスキノタカヒコ、その人だった可能性も考えられるということになる。


真実は闇の中。神代と有史との狭間。1500年以上もの間、流刑の身となって時空の狭間で身もだえてたアジスキノタカヒコよ。三澤の郷で蘇生したアジスキノタカヒコよ。おまえはこのあと、かつての古事記のなかへと飛び込んでいくのか。もちろんアメノワカヒコの葬儀場面なんかには出るはずもない。その代わり、稲佐の浜に登場するのか。そして国譲りの根幹がことごとく塗り替えられていくのか・・・



大八車が狭い集落の路地を抜けたところで、踏鞴場の土嚢の両脇には太い柱がついになって掘っ建ててあるのがわかった。ほう、天神の依り代?あるいは心の御柱?昔の時代はこういう、なんて言うかどうでもいいところでいちいちこだわっているから、見ていて飽きないな。長い間忘れてたものを偶然発見してるようで面白い。その太い二本の柱から煙が上っている。

「ややこは、なんもいりません!」

「ややこは、なんもいりません!」

逆鉾の雷光の如く、風景が一変する。突然、それまでの煙が爆風と化した。昇り龍の鋭い爪が宙をかき分け、かき分け、天空を駆け昇っていく。踏鞴場でアメノウズメさんが、出雲の阿国のやや子踊りを始めたのだ。玉鋼の最後の仕上げ、阿国の踏鞴踏みが始まったのだ。

「ややこ!」

「ややこ!」


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