第一部エピローグ:シャルダールの帰還
ヴァレンティア訪問から数日後の昼。シャルダールは、リオハルト王国への帰還を果たしていた。しかし、その様子はヴァレンティア訪問の時とは大きく異なっている。
石造りの壁に右手をつきながらゆっくりと、足を引きずるようにしてレオンの居室を目指すシャルダール。もう片方の手は腹部を抑えていて、その箇所からは赤い液体が滲み出ていた。
その表情は、苦痛に歪んでいるように見える。今のシャルダールを誰かが見かければ声をかけていただろうが、昼間とは言え王子の居室の近くであるため、あまり人が行き交っている様子は見受けられない。
やがて王子の居室の前までやってくると壁から手を放し、まるで最後の力を振り絞るかのようにして彼は扉を叩く。レオンの「どうぞ」という言葉が耳に届く頃には、シャルダールの膝は折れて地に着いてしまっていた。そのままの体勢で手だけを使い、彼は何とか扉を開ける。
「シャルダール!!どうしたんだい!?急いで医師を呼ばないと!!」
部屋の中からは、レオンの悲鳴にも似た叫び声が響いて来た。机に向かって何やら仕事をしていたようだが、扉の方を振り向いた瞬間に血相を変えた形だ。しかしシャルダールは自らが仕える君主に片手を上げて断りを入れると、こう発言した。
「申し訳ありません、殿下。これは血糊です。たまには殿下のお心をジョークで和らげようかと思いまして」
レオンはお笑い芸人もさぞやというズッコケを見せる。両手で身体を起こしながら、王太子殿下は抗議の声をあげた。
「逆に心が締め付けられたよ!!君ってそんなキャラだったっけ!?」
「むしろ今後このようなキャラでいこうかと模索しております」
「一体どうしたんだよシャルダール……」
立ち上がり、やれやれといった様子で肩をすくめてため息を吐くと、レオンは机に戻り腰を落ち着ける。シャルダールは血糊をぶちまけた服のまま姿勢を正し、直立不動で王子の側に控えた。
「とにかくお帰り。それで、偵察の方はどうだった?何か収穫はあったかい?」
「は。ラスナ殿は中々に気さくな方でした。戦闘の方も随分と技術が高く、恥ずかしながら後れを取ってしまいました」
「へえ。君が……どうやらとても有意義な偵察だったみたいだね。君が服に血糊をぶちまけるのも無理はないのかな」
「それで、ラスナ殿の『神器』は……剣の魔道具でした。意志を持っており、クロスと名付けられていました」
シャルダールのその言葉に、一瞬若き王子は動きを止めた。それから立ち上がると、部屋の隅に向かってゆっくりと歩いて行く。その先には、一振りの剣が壁に立てかけてあった。
「それはとても興味深い話だね。彼が、僕と同じ『神器』を持っているなんて。これも、ガイア様の思し召しなのかな?」
レオンがその剣を手に取りゆっくりと鞘から引き抜くと、その剣は柄に目がついていて、たしかにクロスの様に意志を持っていることを窺わせる。
「おはよう、ブレイブ」
レオンの挨拶に、その剣はキザったらしい軟派な口調で答えた。
「おはよう、レオン。今日もなかなか端正な顔立ちをしてるじゃないか」
「ありがとう、君は相変わらずだね……」
「おはようございます、ブレイブ様」
「やあシャルロンデインダール。君もいたのか」
「ブレイブ。わざとシャルダールの名前を間違えるのはやめてくれと言っているだろう?」
ブレイブは、剣ながらも割と気難しい性格をしているようだ。
「ふん、レオンが最初僕にムホホハッハァとかいう名前をつけそうになったとき、こいつが『殿下のお気に召すままに』とか言い出すからじゃないか」
「未だにそんなことを根に持ってたの?それに僕は今でもいいと思ってるよ。ムホホハッハァ」
「レオンはどうもネーミングセンスに致命的なものを持っているようだね……この高貴な僕のマスターとして、早急にどうにかしてもらいたいものだよ」
そこまで話したところで、レオンは剣を鞘に納めた。するとお喋りな剣との会話は急に終わりを告げる。剣を鞘に納めることでスイッチが切れる仕組みなのかもしれない。クロスといい、剣たちはいきなり電源をオフにされることをあまり気に留めることはないようだ。
「ときにレオン殿下、ラスナ殿の魔道具はブレイブ様と違う点がいくつかありました。外見上の特徴もありますが……クロス様は、常にラスナ殿の横にくっつく様に浮いておられました」
「へえ……それは興味深いな。同じ剣の魔道具でも違うもののようだね」
レオンは窓際に歩み寄ると、どこか遠くを眺めるように目を細めた。
「これは、ますますラスナ殿にお会いするのが楽しみになってきたなあ」
「他にも何点か報告すべきことがございますが、殿下には次のお仕事も控えております。ひとまずはここまでということで……」
「うん、そうだね。ありがとう」
その時、部屋の扉が不躾にノックされ、返事を待たずに勢いよく開いた。ひどく無礼な行いにシャルダールが眉をひそめ、視線で侵入者を咎める。
「殿下っ!!失礼いたします!!」
「本当に失礼だぞ!!」
王宮の兵士らしき人物は、シャルダールのお咎めに身を縮こまらせた。
「も、申し訳ありません。あまりに焦っていたもので……」
「構わないよ。何があったのかな?」
「はっ。国王陛下が昔懇意にしておられました大貴族様の兄の妻の友人の近所に住む従兄弟の友達の同級生の娘にあたる人物に子供が生まれたとのことで、今王家の中でも特に民衆の信仰を集めるレオン殿下に、是非とも名前を賜りたいと」
「それはつまりただの他人ってことだよね……」
レオンの静かなツッコミに場は落ち着くが、兵士は期待に満ちた眼差しで王子を見つめ続けている。シャルダールは王子の出方に合わせるようで、その意を諮るように事態を見守っていた。
「名前をつけるだけだし構わないよ。問題は、本当にそれが僕でいいのかって話だけど……」
レオンのネーミングセンスが致命的だという事実は、王宮に仕えるものの中でも極一部の者しか知らない事実だ。
「もちろんです!大貴族様の兄の妻の友人の近所に住む従兄弟の友達の同級生の娘様も、是非にとおっしゃっておられます!」
「それ、もう名前で呼んだ方が早くないかな?」
それだけ言ってレオンは顎に指を当てて名前を考え込み始めた。兵士によると、子供は女の子らしい。王子はしばらく唸った後に、決心したように顔を上げる。
「ポポリプネイラ……なんてどうかな?」
レオンの発表に、一瞬にして場に緊張が走った。兵士が、何か恐ろしいものでも見たように顔を青ざめさせ、恐る恐る確認をとった。
「ポポリプネイラ……ですか?」
「結構いい名前だと思うんだけど……だめかな?」
「い、いえっ!!滅相もございません!!まるで万里の彼方まで届くマントヒヒの雄叫びのようなお名前、私も味噌に十日間つけた納豆をまぶしたパンに塩をまぶして食しとうございます!!」
「うん、それはお腹を壊しそうだしやめた方がいいと思うよ?」
兵士は動揺と混乱で自分でも何を言っているのかわかっていなかったが、それを注意すべきシャルダールは静かに二人のやり取りを眺めている。
「そっ、それでは、ハンググライダーの大会があるので失礼いたします!!」
そう告げると、兵士は逃げるように部屋から飛び出して行った。
「ハンググライダーの大会なんて開催されていたかな?というか、そもそもハンググライダーの大会って何をするんだろう?」
「いえ、あれはポポリプネイラという名前を聞いて動揺したあまりに飛び出た虚言ではないかと」
シャルダールの言葉を聞いたレオンは、少し悲しそうな表情になって褐色肌の青年の方に視線を向けた。
これは余談だが、ハンググライダーは材料の中に壁の外への持ち込みを禁止されているものが存在するため、大陸の中心部、つまりマダラシティからそこまで離れていない都市群に限った話にはなるが、スポーツの一種として楽しまれていて、大会も存在する。
携帯電話などを始めとしたポケットに入るような小型のものは、きちんと持ち帰りさえすれば、壁の外の世界に持ち出してもそれだけで天罰が下ることはないのだが、大型のものとなると話は別で、持ち出したとしてもなるべくすぐに壁の中に戻す必要があった。それでも制限付きとはいえ許可されているだけ、天界の神々は寛容だと言えるだろう。
「シャルダール……やはりポポリプネイラという名前はだめだったかな?」
「殿下のご意志のままに」
「シャルダール……君は前もそれでブレイブに嫌われてしまったじゃないか。お願いだから君の正直な思いを聞かせてくれ」
シャルダールはしばらく直立不動の姿勢を保ったまま沈黙していたが、やがて恐る恐る、一言一句を噛みしめるように思いを吐露した。
「恐れながら申し上げますが……ネーミングセンス、ゼロかと」
自分に忠誠を誓った青年の思いを受け、若き王太子殿下は、天井に遮られて見えない空を仰ぐように顔を上げてつぶやく。
「そうか、ゼロかあ……もうちょっといけると思ったんだけどな……」
少しいたわるような視線をレオンに向けながら、シャルダールは戦術を提案する参謀のように自分の考えを話した。
「先ほどの者に、ポポリプネイラは日本語で鈴木留美(すずきるみ)という名前にあたり、英語ではスザンナという名前に当たると伝えておきましょう」
「ああ、それがいいだろうね……苦労をかけてすまない」
「いえ、そのようなことは……」
レオンはがっくりと肩を落としている。もうシャルダールの言葉もあまり届いてはいないだろう。
「殿下……あまり気を落とされますな。それに、いつだか殿下が王宮で飼っていた犬につけたプギュウというお名前は皆に賞賛を浴びたではありませんか」
「そんな慰めはよしてくれ。あれは小さい頃だから許されたんだ。今あんな名前をつけたら僕のあだ名の方がプギュウになってしまうだろう」
「その時は私が殿下の代わりにプギュウになります」
「シャルダール……」
「それでは失礼いたします」
少しだけレオンを元気に出来たと彼の表情から読み取ったシャルダールは、それ以上は慰めの言葉も見当たらず、事態の収拾を図りきることのできない自分にもどかしさを覚えながら部屋を後にしたのだった。
No.8ーナンバーエイトー 偽モスコ先生 @blizzard
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