第19話

 唐突な発言に俺は目をパチパチしてしまう。


 凜姉は何を言い出すのだろうか。あれからもう二年経っている。さすがに引き摺っていることはない。


「いや、俺はもう篤志の死を受け入れてるよ。前みたいになりふり構わず話してないでしょ?」

「頭ではそう思っていても、心はまだ整理出来ていないと思うぞ。ラノベ以外の作品には手を出せず、課題となるミステリーを最後まで読めないのはその表れではないか?」

「それは違うんじゃない? 俺がミステリーを読めないのは好みの問題でしょ」

「たしかに好みもあるだろう。だが、途中で読む手が止まってしまう。持論ではあるが、それについて私は一つの見解がある」


 指を一本立てる凜姉。一間置いた後、続きを言った。


「最後まで読むことが出来ない。それは、作品を読んでいないからだ」

「いや、読んでるよ。でも、やっぱミステリーは堅苦しくて」

「何が堅苦しいんだ?」

「そりゃあ、表現だったり展開だったり……」

「世界観はどうだ?」

「世界観?」

「台詞の言葉使い、地の文の量、話のテンポ。作家によって書き方は様々だ。それらの組み合わせにより、その物語の世界観も全く違う。ラノベもそうではないか?」


 たしかにそうだ。どの作品も感じる印象は同じじゃない。それぞれの独特の雰囲気がある。


「君がミステリーを面白く感じないのは、文章を追うだけだからだ。堅苦しいと言って立ち止まるのは、その文章から生み出される世界を見ようとしていないんだ。だから読み進めることが出来ない」


 小説の世界を見る……。 


「小説を読むということは、その世界を見るということだ。ラノベを読んでいる時、自分でイメージしないか? 今の登場人物達の雰囲気はどうなのか。戦闘中、周りにある風景はどうなっているのか。建物はどれくらいの破壊がされているのか。それらは文章で表現しているが、ただ文章を追うだけではそれを感じることはない」


 そうだ。俺はラノベを読む時、毎回の様に頭の中でイメージしていた。会話や説明文といった紡がれる文字から、こんな光景ではないか、と。


「君の言うように、ラノベに比べたらミステリーは堅い。地の文や背景描写など倍以上あるし、謎解きで頭も使うジャンルだろう。だが、ミステリーではその堅さが重要であり不可欠なんだ。二階堂君が好きなクローズドサークルミステリーでは、限られた空間、閉じ込められた人物達の心情、迫り来る殺人という恐怖。これらをより読者に伝えるには短い表現だけでは足りない。展開が堅苦しいというが、その堅苦しさが今挙げたものを際立たせている」


 欠点とも言えるかもしれない堅さが、ミステリーには不可欠要素……。


「文章で世界を見せ、そして読者に魅せる。その世界観が楽しい。これは篤史がよく言っていた事ではないか?」


 そうだ。篤史は言っていた。登場人物だけが物語を紡ぐわけではない。文章のテンポや説明がより物語を際立たせている、と。


「ジャンルは違えど、その世界観を見せる点においてはミステリーもラノベも一緒なんだ」


 ラノベも、ミステリーも一緒……。


「文字一つ一つで作られる世界。読者はそれを感じ取る。それがあるべき姿だと私は思う。二階堂君は苦手ながらも、課題となったラノベを最後まで読んでくるだろう? それが読書の正しい形だと彼女は思っているからだ。それに、読まずに感想を言うことは一番嫌いな行為だからな」

「読書の、正しい形……」

「修也と二階堂君、二人は互いに好きなジャンルの魅力を伝えようとしている。しかし、彼女は嫌いなラノベを読むのに、自分は嫌いなミステリーを読まない。それは不公平ではないか?」


 凛姉の一言一言が胸に強く響く。一度上がった顔がまた下に向いていった。

「感想というのは、その世界について語ることだ。読まずに他人の感想で、さも分かりきった様な発言は、作品に対して……それを作った者に対して最大の侮辱だ」


 そう言った後、部長は俺の前にあるものを差し出す。それは、今回課題になっていたミステリー小説だった。


「趣味で読むのなら私もとやかく言うつもりはない。面白くないと思って途中で放り投げようが君の自由だ。だが修也、君は文芸部員だ。そして、この読書感想発表は部活動だ。部員である以上、ただ文章を追うだけという読み方は部長である私が許さん。きちんと世界を読んでこい」


 顔を上げると、真剣な表情をした凛姉が俺を見ていた。その目は真っ直ぐで、強い意思を宿している。口だけではなく、その眼光からも訴えていた。


 凛姉の意思を感じ取った俺も目を逸らさず、真っ直ぐ見返す。それから、差し出されたミステリーを受け取った。


「期日は月曜日。その日の部活でまた発表してもらう。いいな?」

「分かった」

「約束だぞ?」


 そう言うと、凛姉は右手の甲を俺に向けてきた。これは、俺が篤志とでやっていた約束の儀式。姉である凛姉ももちろん知っている。

 これをして果たさない訳にはいかない。心に刻みながら、俺は凛姉の甲に自分の左手の甲を合わせた。


「けど、凛姉はすごいね」

「何がだ?」


 受け取ったミステリーをバックに仕舞いながら言うと、凛姉は疑問を口にした。


「だって、俺の過去はともかく二階堂や柏崎の過去まで知ってるなんてさ。しかも、あんなに詳しく」

「まあな。本人に聞いたりもしたが、自分で調べたりもした。二階堂君の利用したwebサイトも目を通し、柏崎君が通っていた道場にも顔を出した」

「えっ、そんなに!?」


 想像以上の活動に驚きを隠せなかった。


「私は文芸部の部長だ。部員の事を知るのは当然だ」

「はあ~、さすが」

「……というのはただの建て前だ」

「建て前?」

「もう後悔したくないからな。後になってから、あの時自分に何か出来たのではないか、と。辛い目にあっている人物が目の前にいながら、何もしないという事は繰り返したくない……」


 先程とは違い、悲しそうな顔で空を見上げる凛姉。今言った後悔とは間違いなく篤志の事だろう。


「なあ、修也」

「何?」

「篤志は……元気にしていると思うか? 天国というものがあるのかは知らないが、もしあるなら篤志はそこで楽しくやっているだろうか」

「クソ元気に走り回ってるだろうね」


 考えるまでもなく、俺は即答した。驚いたのか、凜姉がこちらに顔を向ける。


「随分言いきるんだな」

「だって、俺には分かるから。篤志なら絶対元気にやってる。しかも、そこは天国じゃない」


 分からないという表情で俺を見ながら、凜姉が次の言葉を待っている。


 篤志が死んだ当初は俺も凜姉と同じことを考えていた。しかし、俺はある想像をし、それが間違いないという確信を今は持っている。篤志と同じラノベ読者だからこその発想だろう。


「だって、篤志は超が付くほどのラノベ好きじゃん。どうせ今頃異世界にも転生して、憧れの可愛い女の子達に囲まれながら、念願のハーレムを築いてウハウハやってるさ」


 そうだ。篤志が天国なんて狭い世界に留まるはずがない。自力でラノベのような世界に飛び込んでいるはずだ。


「……はは。ははははっ。あはははははははははっ!」


 突然、凜姉が額に手を当てながら笑い出した。もう夜になって近所に迷惑だろうが、それでも凜姉は長く笑い続ける。


「いや、笑い過ぎでしょ。そんな可笑しなこと言った、俺?」

「ははは……いや、すまん」


 目に溜まった涙を指で拭い、ようやく凜姉の笑いは収まった。


「そんなに笑わなくても……」

「別におかしくて笑ったんじゃない。なんの違和感も無かったから笑ってしまったんだ。修也の言うように、篤志なら異世界に行っているだろうと、な」

「でしょ?」

「ああ」


 もう一度微笑んだ後、俺達は夜空を眺めた。全くの別次元にいるであろう、篤志の姿を想像しながら。


「しかし、修也も懲りない奴だな」

「何が?」

「二階堂君に対してだよ。柏崎君にはそうでもないが、二階堂君にだけは異様に突っかかるだろう?」

「そりゃあ、あいつだけがラノベを受け入れていないから」

「それにしちゃあ、入れ込み具合が際立っているぞ」

「そうかな?」

「ああ。どう言えばいいかな。互いに反発しながらも、そのやり取りを楽しんでいる、といった感じか。まるで、中学生が好きな人と話して楽しんでいるような印象を受ける。もしかして、修也は二階堂君の事が好きなのではないか? はっはっは」

「……」


 俺は何も答えず、頬を掻く。


「はっはっ……おい、その反応。まさか?」

「……何?」

「いや、冗談のつもりで言ったんだが……そうなのか?」

「変?」

「いや、変ではないが……なるほどな~」


 ほほう、と顎に手を当てながら凛姉が頷く。それから、俺の肩に腕を回し、いやらしそうな顔で聞いてきた。


「それで? 二階堂君のどこが気に入ったんだ? ん?」

「そ、そんなん別に言わなくてもいいだろ」

「何を言う。私と修也の仲だろ。隠さずに話してみろ。ほれほれ~」


 今度は頬を突ついてきた。


 くっそ、捕まっちまった。こうなると凛姉はしつこいんだよな~。


 過去にも似たような状況で、凛姉に付き纏われた事があった。こちらが話まで絶対に離さないのだ。


「その、何て言うかさ……」

「ふむふむ」

「……篤志みたいじゃん」


 逃げ道はないので、俺は素直に白状する事に決めた。


「あいつはミステリーの話をする時、めっちゃ目がキラキラしてるんだよ。小説の事であんなに楽しそうに話す奴、篤志以外で初めて見たよ」

「修也……」

「あいつ見てるとさ、篤志を思い出すんだ。もし篤志が生きてたら、今もあんな風に話すだろうな、って」


 ジャンルは違えど、楽しそうに話す二階堂の姿は篤志と重なるのだ。中学の頃、篤志と笑い合った日々が甦り、とても楽しい。凛姉の言うことは当たっていた。


「だからかな。二階堂がミステリーを話す時の姿が、その……輝いてて……魅力的なんだ」


 柄にもないことを言っているからか、恥ずかしさで顔が熱くなるのが自分でも分かった。


「そうか。それが惚れた理由か」

「笑わないんだね」

「笑うものか。人が誰かを好きになるというのは美しいものなんだ。バカにする奴は恋をするどころか、恋に触れる資格などない」


 思わぬ台詞に俺は驚きながら凛姉を見た。


「なんだ? その顔は?」

「いや、凛姉の口からから恋なんて単語が出るとは思わなかったから」

「修也、お前バカにしてるのか?」


 そういうつもりはないんだが。


「まあいい。それで、どうするんだ?」

「どうする、って?」

「二階堂君に告白する予定はあるのか?」

「あ~、え~と……」


 返事に迷っていると、凛姉が溜息を付いた。


「なんだ、まだ気持ちが整理できてないというのか? 情けない。男ならガツっと行け」

「いや、気持ちの整理というか……二階堂にはいつか告白しようとは思ってる。でも、それにはある課題をクリアしてからと決めてるんだ」

「ある課題?」

「ああ。俺は告白する前に、二階堂にラノベの良さを伝える。それができるまでは告白はしない」


 自分で勝手に決めた目標。それを達成するまでは先に進まないと感じたからだ。


「二階堂はやっぱりラノベが嫌いなんだと思う。凛姉が教えてくれた嫌な過去のせいでそれは顕著になってる。でも、俺はそれをなくしてやりたい。ラノベは最高の小説だとまた思い出させてやる。それが俺の課題なんだ」


 最終的には、日本中の人にラノベを読んでもらう。しかし、目の前の女の子一人伝えきれないのでは夢のまた夢だ。


「どんなに貶されようとも、俺はいつかあいつにラノベの魅力を伝えてみせる」

「なるほど。そういう理由か。しかし、それは中々険しく、難しいぞ?」

「それでも果たしてみせる。卒業までには必ずね。そんで、それが達成できた時……」


 大きく息を吸い込むと、空気を吐き出すように決意も口から出した。


「……俺は二階堂に告白する」

「そうか。恋といったものには部外者は手出しできん。何もしてやれんが、頑張れとだけ言っておく」

「ありがと」

「よし。それじゃあ、宮藤君」


 修也から宮藤君へ。友人時間は終わりということだ。


「来週の月曜日、君だけまたミステリーの感想発表をしてもらう。異論はないな?」

「はい」

「いい返事だ。それじゃあ、また来週」

「お疲れさまでした」


 いつもの分かれ道に到着した俺と部長は、挨拶を交わして別れたのだった。

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