第20話

 休みが明けた月曜日。


 放課後のホームルームが終わり、俺は文芸部の部室の前に立っていた。いつもなら何も考えず入る所だが、今日だけは違う。一度深呼吸をし、それからドアを開けた。


 部室には既に部長、柏崎、そして二階堂の姿がある。普段なら部長の次に早く着くのだが、ホームルームの後しばらく考え事をしていたので最後となったのだ。


 俺が入室しても三人は口を開かず、黙って俺が席に着くのを待っている。二階堂に関してはこちらに目も向けていない。


 無言の促しに従い、自分の席に着く。そこで部長が口を開いた。


「これで全員揃ったな。今日の部活を始める前に、まずは前回一人だけ達成出来ていない、宮藤君の読書感想発表をお願いしようか」

「はい」


 返事をしたのち、俺はバックから課題のミステリーを取り出した。


「約束通り、きちんと読んできたか?」

「はい」

「では、発表してもらおうか」


 ここでようやく二階堂が俺に目を向ける。不機嫌さは変わらず、ムスッ、とした表情だ。


「まあ、長々と言うのもあれなんで結論から言わせてもらいます」

 読破した自分の感想。嘘偽りのない、俺自身の感想だ。


「最後まで読んだ結果……やっぱりミステリーは面白くありません」

「っ! この――」

「待て二階堂君。宮藤君の発表はまだ終わってないぞ」

「でも部長! こいつは――」

「感想を最後まで聞くのもルールだったはずだ。いいから座りたまえ」

「……」


 立ち上がりかけた二階堂は部長に止められ、歯を食い縛りながらがゆっくり座る。


「では宮藤君。面白く感じなかった理由は何かね?」

「やっぱり遅い展開ですね。読んでて疲れました。一つの事件が起きてから次の事件が起きるまでちっとも話が進まないし、何度投げ捨てようかと」

「ふざけるな……」


 下を向いたまま二階堂が呟く。


「あと、表現が固い。漢字テストしてるわけじゃないのに、こんな難しい言葉ばかり使われたら意味が分からないし、頭がパンクしますよ」

「ふざけるな……」

「ただでさえ人が死ぬ内容で不快なのに、文章まで不快にされたら誰だって苦労します。それに、疑問に思う所もありましたし」

「ふざけるな! ミステリーをバカにするのもいい加減に――」

「特にこの三つ」


 三本の指を立てて突き出すと、大きな声を張り上げ立ち上がろうとした二階堂の動きが止まった。


「まず最初は聞き取り。全員が食堂に集まってるのに、何でわざわざ別室で話を聞くの?」

「当たり前でしょ。他の人には聞かれたくない話があるかもしれないんだから。一人一人から話を聞く。これはミステリーの定番よ」

「いや、だったらオタクの探偵が傍にいるのに話すのおかしくね? この時点で周りから信用されてたの、探偵じゃなくてその友人の方だろ?」

「そこは……暗黙の了解よ」


 暗黙の了解? 何だそれ。


「二つ目。第二の殺人でバラバラ死体が発見されたけど、描写が生々しい。血管らしき赤い管が垂れてるとか、筋肉や骨の断面が云々とか。バラバラ死体、ってだけで気持ち悪いのに、それをさらに詳しく書かないでくれよ。イメージして気分悪くなったわ」

「あ~、それ私も思った。ご飯食べた後だったからよかったけど、食べる前だったら食欲無くしてたかも」

「うっ……」


 痛い所を突かれたからか、柏崎との指摘に二階堂が唸る。


「そんで三つ目。素朴な疑問なんだが、これ探偵がオタクである必要あるのか? 普通の人でいいじゃん」

「キャラミスだから、特徴的なキャラじゃないとダメなのよ」

「特徴的か? この程度のアニメ好きなんか腐るほどいると思うが?」

「探偵、って言ったら今までは頭脳明晰だとか偉人みたいなのが多かったけど、そこをオタクにする事で一癖二癖ある人物になったのよ。アニメ好きだけど推理は冴え渡る。そのギャップがいいんじゃない」

「ギャップ、ね……。俺から言わせれば、名探偵の孫をパクったようにしか思えんな。エロからアニメ好きにしただけにしか感じないんだがな」

「うっ……」


 同じ様な印象を持っていたのだろう。二階堂がまた言葉に詰まる。


「まあ、他にも色々ありましたが、大体印象に残ったのはこの三つです。そんなわけで、俺はつまらないと感じました」


 長い沈黙。


 感想を発表したが、誰一人口を開かない。いや、待っているのだろう。最初に発言する権利のある者を。それが誰かは言うまでもなく、その人物に視線が集まっていた。


「ミステリーは……つまらなくない」


 最初の言葉はそれだった。テーブルに顔を向けたまま、二階堂の体が震えている。


「いいや、つまらないね」

「ミステリーは……面白い物語よ」

「どこがだ。後味悪い読了感しか残らないだろ。やっぱりミステリーに関わる奴は変人だな。こんな物語が面白いなんて感じるなんて」

「……っ! ミステリーは――」

「でもまあ、トリックに付いては興味深かった」

「……えっ?」


 震えていた二階堂の体がピタッ、と止まり、ゆっくり顔を上げて俺を見た。


「最初の首吊りやバラバラ死体。そのワードを聞くだけでも気持ち悪いが、その殺し方に意味があったのを知った時は正直驚いた。見立て殺人、だったか? ある詩と同じ殺害をされたけど、実はそこには犯人が隠したい証拠があった。それまではチンプンカンプンだったけど、トリックが解明されて犯人の意図が知れ、バラバラに見えた今までの流れが一本の線に繋がった」


 部長は微笑み、柏崎は驚いて俺を見ている。しかし、一番驚愕しているのは二階堂だ。目を見開き、口をパクパクさせているのだから。


「二階堂、前に言ってたよな。真相がはっきりした時、二つの歯車がカチッ、と上手く噛み合った感覚になる事がある、って。なんとなくだけど、それは理解できたつもりだ」


 今までの読み方をしていたらこんな感覚は抱かなかっただろう。


 物語の世界を読む。


 部長に言われたこの教えを俺なりに考えながら読み進め、その結果気付いたのだと思う。


「読みにくさは変わらない。頭も使う。でも、だからこそ事件の真相が解明された時の気持ち良さや驚きは大きかった」


 波、と言えばいいだろうか。最初はゆっくりと穏やかで静かな揺れ。それが徐々に大きくうねり、最後にビックウェーブとなって押し寄せてくる。そんな感じだった。


「この気持ちはきちんと読まなきゃ感じないだろうし、きっと分からない。世界を読んだからこそ味わえる。けど、俺は読みもしないでそれを語った。だから……」


 姿勢を正し、二階堂に正面から向き合う。そして……。


「ミステリーを読まずにバカにし、不快な思いをさせてごめんなさい」


 深々と頭を下げて謝った。


「……」


 下を向いているので表情は見えない。しかし、二階堂が困惑しているという雰囲気は感じられた。


「というわけだ、二階堂君。宮藤君はつまらないと言った。だが、それは最後まできちんと読んでの、宮藤君自身の感想だ。何か言う事はあるかね?」

「……いえ。ありません」

「そうか。では、宮藤君の謝罪についてはどうかな?」

「……それも、何も言う事はないです」

「つまりは許す、という事と捉えていいのかな?」

「……はい」

「だって、シュウちゃん」


 隣にいる柏崎が背中を叩く。それを合図に、俺は顔を上げた。


「……悪かったよ」

「……もういいわよ。それに、私も殴ったし」

「まあ、それは仕方ないと思う」


 それだけの行いをしたんだ。別に気にしていない。


「……」

「……」


 部室に広がる沈黙。


 体を動かそうにも、その静かさに躊躇われ、瞬きすら気にしてしまう状況。


 ……う~ん、困った。なんか変な空気が充満してる。二階堂を見れないというか、見づらいというか。何か喋ったらいいのかもしれないが、何を言えばいいのか――。


「ピピピー!」

「おわっ!」

「きゃ!」


 突然鳴り響く笛の音。


 変な空気に堪えられなくなったのは柏崎も同じだったらしく、持っている笛を鳴らして掻き消してきた。


「重い! なんか重い! こんな空気は嫌い! 部長、窓を開けてください!」

「しかし、今開けると外の熱気が部室に流れ込んでくるぞ? 今日はいつにも増して蒸しているから」

「暑さよりも換気を優先です! こんな雰囲気で部活なんかやりたくないです!」

「それもそうだが……まあ、いいだろう」


 承諾した部長が立ち上がり、窓を開けた。


 ……ムワァァァァ。


「暑い!」

「暑い!」

「あっち!」

「くそくらえっ!」


 換気時間三秒。


 予想以上の熱気に部長がすぐに窓を閉めた。


「なんだこの熱気は」

「まるでサウナの暑さじゃない」

「誰よ、窓開けようなんて言ったの~」

「いや、お前だよ」

「部長、今くそくらえ、って言いましたよね?」

「何だ? 変か?」

「いや、変というか。そういう言葉使うの初めて聞いたので……」

「せっかくの涼しい空気が~。シュウちゃん、アイス頂戴」

「ねぇよ、んなもん」

「何言ってるのさ。コンビニにあるでしょ」

「買って来いと!?」

「何だ、宮藤君コンビニに行くのか? だったら私のアイスも頼む」

「じゃあ、私も」

「行かねぇよ!」


 何で俺一人このくそ暑い中コンビニに行かなきゃならないんだよ。しかも、地味に距離あるし。


「体力無いんだから動きなさいよ」

「お前が言うな、お前が。体力無いのは一緒だろ。二階堂が行ってこい」

「ここは唯一男のあんたが行くべきでしょ。女の子に行かせる気?」

「ただのお使いに男も女も関係ない」

「シュウちゃんシュウちゃん」

「何だよ?」

「私、チョコクッキーのアイス」

「だから行かねぇって言ってんだろうがぁぁぁぁ!」


 二人してなんだその目! 行かねぇからな! なんと言われようが絶対行かねぇからな!


「はっはっはっは!」


 すると、部長が急に笑い出した。


「どうしたんです、部長?」

「いやいや。さっきまで変な空気だったが、気付けばいつも通りになっているな、と」

「……あっ」


 そういえば……。


「やはり、私達文芸部はこうでなくてはな」

「そうだよ! これが私達の形だよ!」

「……そうですね」

「……だな」


 湿っぽい空気は似合わない。時にぶつかり合いながらも、みんなでワイワイやるのがこの文芸部に相応しい。


「仲直りしたみたいだな」

「まあ、そうですね」

「じゃあ、仲直りの印を見せよう」


 柏崎からの突然の提案。

 仲直りの印か。やるとしたら握手とか、そんな所だろう。 


「というわけで、お互い下の名前で呼び合おう!」


 ……何で?


「あの~、柏崎さん? 下の名前で呼ぶ意味は?」

「何言ってるのさ。仲直りした事で、二人はより親密になれたはずだよ。親しい間柄なら名前で呼び合う。これはお決まりだよ」

「別に決まってないだろ」

「決まってるの! それに、同じ文芸部員の仲間なのに名字で呼び合うのもなんか堅苦しいでしょ!」

 

 それも別に感じた事はないんだがな~。


 俺は特に気にしていないが、一応二階堂にも聞いてみた。


「柏崎はああ言ってるが、どうする?」

「どうする、って……あんたはどうなの?」

「何が?」

「その……私に名前で呼ばれるの、嫌じゃないの?」

「……? 別に構わないけど」

「えっ、いいの?」

「そりゃあな。柏崎は既に下で、しかもニックネームで呼んでるわけだし」

「シュウちゃんです!」

「ほら、あんな感じに」


 何が楽しいのか、ハキハキと俺の名前を呼ぶ柏崎。


「じ、じゃあ、私も下で呼んでも……いいの?」

「ああ」

「本当の本当に?」

「だから構わないって」


 というか、何をそんなに畏まっているんだお前は?


「じ、じゃあ……しゅ……しゅう……しゅ……」


 承諾されて早速呼ぼうとするが、二階堂はなぜか口ごもっている。


 いやいやいや、名前呼ぶだけで何でそんなに緊張してるんだ? そんな態度だとこっちまで緊張するだろ。言えないなら無理に呼ばなくて――。


「しゅ……終末の殺人鬼」


 なぁぁぁんだそれ!? 終末の殺人鬼!? 人を勝手に殺人鬼にするな!


 ただ名前を呼ぶだけなのに、一体何が妨げているのだろうか。


 ふと横を見ると、二階堂のそんな姿を見て部長がニヤニヤしていた。


「部長、何笑ってるんです?」

「いやいや。二階堂君も苦労してるんだな~、と」

「苦労?」

「えりっち。シュウちゃんのシュウは、シュウクリームのシュウだよ」

「全然違いますが!?」

「もしくはシュウマイのシュウ」

「修也のシュウだよ!」


 人の名前を食べ物から取るのやめてくれ。


「ええい、修也!」

「なんだ、絵理奈」

「えりっ!?」


 俺が名前を呼んだ瞬間、二階堂の顔が一気に赤くなった。


「下の名前で呼ばれるんだ。だったらこっちも下の名前で呼ばせてもらうぞ」

 そう言うと絵理奈は顔を伏せ、体をプルプルと震え始めた。


「絵理奈?」

「……ふんっ!」

「ごふっ!?」


 心配になって近付くが、絵理奈から腹パンチを食らう。


「おま、何を……」

「うっさい! 呼ぶなら呼ぶと前もって言いなさいよ!」


 意味が分からん。名前を呼ぶ前に一声掛けるヤツがどこにいる。


「よし。雰囲気も戻ったし、全員席に着きたまえ。部活を始めるぞ」

「あれ? 部長、アイスは?」

「ダメに決まってるだろ」

「そんな~! 私アイス食べたいです!」

「そうか。なら、今日のおやつのプリンは要らないということだな」

「さあみんな、部活を始めよう! シュウちゃん、えりっち、早く席に着いて!」


 即行で席に着き、手招きで俺達を促す柏崎。「プププ~リ~ン~♪」と体を揺らしながら歌まで歌い出す。


「今日の部活は何をするんです?」

「次の読書感想会の課題小説を決めるつもりだ。何かオススメはあるかね?」


 なるほど。次の課題か。


 今回起きた件は、俺にとって良い教訓になったかもしれない。となれば……。


「そりゃあもちろん――」

「当然――」

「――ラノベ」

「――ミステリー」

「……」

「……」

「はぁぁぁぁ!?」

「はぁぁぁぁ!?」


 俺と絵理奈の声が合わさった。


「ちょっと修也、何でラノベなのよ!」

「それはこっちの台詞だ! 前回ミステリーだったのに、何でまたミステリーなんだよ!」

「バカ。あんたはようやくミステリーの良さに一歩近づいたのよ。それをさらに知るためには今しかないでしょ」

「ふざけるなぁぁぁ! 俺がこのミステリー読破するのにどれだけ苦労したと思ってるんだ!」


 一気に読もうとするとまた挫折しかねないと思い、三日に分けて読破したのだが、やはり馴れないミステリー。一日の分量を読むだけでも気力を奪われ、昨日は夜中まで掛かった。


「ミステリーなんか連続で読めるか。インターバルを寄越せ」

「ダメよ。今こそミステリーを知る時よ」

「断る!」

「なにぃぃぃ!?」


 それから俺と絵理奈の戦いが始まった。


「部長、止めなくていいんですか?」

「何をだね?」

「だって、また喧嘩始めちゃいましたよ?」

「止める必要があるのか? いつも通りだろ」

「……それもそうですね」

「柏崎君。冷蔵庫のプリンを出してくれるか?」

「喜んで!」


 冷蔵庫に向かって柏崎が飛んでいく。


「ラノベだ!」

「ミステリーよ!」

「あ~、うるさい。それじゃあ、いつまで経っても決まらないだろ。じゃんけんで決着つけろ」

「いいでしょう。勝負だ絵理奈!」

「挑むところよ修也!」


 俺と絵理奈は向かい合い、じゃんけんの構えを取る。


「さいしょはグー!」

「じゃんけんぽい!」

「あいこで」

「しょ!」

「あいこで」

「しょ!」

「うらぁぁぁ!」

「くっ……」


 俺は勝利の雄叫びを上げ、絵理奈は敗北の唸りを上げる。


「よし。次の課題はラノベに決定だ。宮藤君、提示してくれるか?」

「もちろんです。今回お薦めするラノベもクソ面白いやつです」


 俺はバックに手を伸ばし、用意してきたラノベを取り出す。


 絵理奈が席に着き、部長、そしてプリンを食べる柏崎からの視線を確認し、紹介を始めた。


 ふっふっふ……今日こそ認めさせてやる。耳かっぽじってよ~く聞け。これが俺の、いや……。



 ……俺の、ラノベスピリッツだ!

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