第13話

 次の日の金曜日。


 いつものように四人は文芸部の部室に集まり、部活動に励んでいた。長テーブルを囲うように四人が椅子に座り、今回の課題となっていたミステリー小説の読書感想発表がすでに始まっている。


「――というわけで、私は中々楽しんで読むことが出来たぞ」

「さすがです部長。このミステリーの肝をきちんと把握していますね」


部長が感想を言い、それに対して二階堂が喜びの声を上げる。


「え~? 今回のは解決編が短くなかった~?」


 不満を口にしたのは柏崎。テーブルに体をだらんと乗せ、伸ばした腕の先には課題のミステリー小説があった。


「ああ、たしかにそう感じても仕方がないかも。前に読んだ同じ作者の作品と比べると解決編は短めね。でも、今作はキャラミス寄りのミステリーだから謎解きはあっさりしているのよ。どちらかと言えば、主人公の変人ぶりや、人間関係を重視して書いているわ。だけど――」


 いつものように、二階堂のミステリー魂に火が着く。読者を引き寄せる人物の魅力や表現の巧みさなど、嬉々として語り始めた。今回のミステリーがキャラミスとなったからか、誰も聞いていないのに別作品のキャラミスものを挙げたりし、これも面白いとオススメしてくる。


 はあ~。相変わらずこいつのミステリー好きなんなんだろうな。ミステリーの何が面白いんだか。


 毎日のようにミステリー小説を語る二階堂。しかし、聞けば聞くほどその良さが分からない。あんなもの、読んで何になるというんだ。人が死んで、その謎を解いて終わり。夢も希望もありゃしない。


「――わけで、よりリアルに日常を描いているから少しホラーみたいな要素もあって……」

「すまない、二階堂君。オススメのミステリーはそろそろいいかな? まだ宮藤君の感想が残っている」

「あっ、そうでしたね。すいません……うへへ」


 好きなミステリーについて話せたからか、顔がニヤけきっている。


「さて、宮藤君。君はこのミステリーについてどんな感想を持った?」


 三人の視線が一斉に俺に向く。


「そうですね……」


 顎に手を添え、暫しの思考に耽る。


「何を格好つけてるのよ。どうせ読んでないくせに」

「……良かったと思います」

「ほらみなさい。やっぱり良かったとしか言えな――ってえぇぇぇぇ⁉」


 俺の発言を聞くと、二階堂は椅子をガタッ、と鳴らして勢いよく立ち上がり、それから目を見開き固まった。


「……ごめん、ちょっと待って」


 一声掛けた後、棚のある方へ歩き出す。引き出しを開け、中から綿棒を取り出すと耳掃除を始めた。


「よし、何も詰まってない。ごめん宮藤、もう一回言ってくれる?」

「今回のミステリーは良かったと思う」

「部長! 幻聴が聞こえるんですけど気のせいですか⁉ 病院行ってきてもいいですか⁉」

「幻聴でも何でもないぞ、二階堂君。私にも良かったと聞こえたからな」


 部長も俺の発言が意外だったのか、軽く驚いた表情をしている。


「となると、病院行った方がいいのは宮藤の方?」

「何でだよ」

「宮藤君、今日どこかで頭をぶつけたりしたか?」

「ありませんよ」

「じゃあ、変な薬でも飲んだとか?」


 そんなことはないので首を横に振る。


「ふむ。どこも悪いようには見えんし、いつもの宮藤君だな」

「でも部長、宮藤がミステリーが良かったなんておかしくないですか? この宮藤がですよ?」

「お前はどれだけ俺を信じていないんだ」

「だってそうでしょ。今まで文章が固いとか、事件発生から解決までが長いとか言って一度も最後まで読んだことなかったじゃない。急にそんなこと言われて信じろとか無理よ」

「今までは、な。でも、今回は頑張ったんだよ」

「頑張った……宮藤が……頑張った?」


 心底信じられないのか、頭を抱えて唸り始める二階堂。


「では宮藤君。どの辺が良かったのか詳しく聞かせてくれないか? 二階堂君も席に着いてくれ」


 部長に促され、二階堂が席に着く。それを見てから俺は口を開いた。


「まずは景色の描写が良かったです。おしゃれというか、細部に渡って書いていたから、より鮮明に想像することが出来ました」

「なるほど。たしかに、冒頭の館に向かう途中の部分は印象的だったな。山道を歩く主人公の見る景色だが、葉っぱが落ちるだけなのにあれほど表現が出来るのかと」

「そうなんです。この作者はこういう風景一つ一つを丁寧に書く人なんで、すっごくイメージしやすいんです」


 二階堂が話に割り込んでくる。好印象の感想を言っているからか、今までに見たことのない笑顔を俺に向けている。


「他には何かあるか?」

「他と言えば、登場人物ですかね。変人気質の探偵に、それに振り回される主人公の友人。その二人が物語を引き立たせていたと思います」

「そう! 視点は探偵じゃなくてその友達だから、変人さがより際立っているのよ。探偵を起こしに部屋に行ったら抱き枕を抱いて寝てた。その時の友達の心境とシンクロしたわ。なに持ってきてんじゃ、って!」


 テーブルにチョップをかます二階堂。強めに振り下ろすぐらい、いつもよりイキイキとしている。


「抱き枕?」

「そうだな。探偵役の人物は変人を起用する事があるが、このミステリーではオタクだった」

「オタク?」

「アニメ好きなオタクだ。ラノベ好きな君にはどこか共感する部分があったかもな。そのアニメ好きが事件解決の鍵となっていただろ」

「……あ、ああ。そうでしたね」


 一瞬答えが遅れた事に、不思議そうな顔を向ける部長。


 あぶないあぶない。危うくボロが出るところだった。


「他には何かあるかな?」

「ええ。あります。事件解決の場面ですね。アニメの台詞を交ぜながら次々とトリックを暴き、犯人を見つけた所とか笑いました」

「私も私も。シリアスな場面で場違いな台詞。でも、だからこそおかしかった。このギャップが笑えたわ」

「そんで最後もアニメの台詞で終わる。人が死ぬミステリーでありながら笑いありの面白い内容でした」

「ミステリーは暗いイメージがあるからね。でも、オタク探偵というポジションがそれを巧く相殺してるの。宮藤、あんたもようやくミステリーの面白さを分かったようね」

「はっは~。まあな。本気を出せばこんなもんよ」


 俺は腰に手を当て、上体を反らしながら高笑いをあげる。


「ちなみに宮藤君、君はどの台詞が一番おもしろかったんだ?」

「……え?」


 いきなりの質問に、俺は笑いが止まり体が固くなった。


「解決編だけでなく、あちこちで台詞が出ていたはずだが、どれが印象に残った?」

「え~と、それは……」

「おもしろかったと言うんだ。記憶に残っている台詞があるだろう?」


 部長から鋭い視線が突き刺さり、冷や汗が流れ始める。


 マズイ。この返しは考えてなかった。どうしよう……。


「私は起こしに来た友達に向かって『何人たりとも俺の眠りを妨げるヤツは許さん』と探偵が言って、軽い乱闘が起きた所がお気に入りだな」

「そ、そう! 俺もそこは好きです。まさかあの台詞を使うとは思いもしなかったんで」


 部長が取り上げてくれた部分に便乗する。


「そうか。君はそこが気に入ったのか」

「はい。そりゃあ俺もあのアニメは好きですし――」

「しかし、あのミステリーではそんな台詞はなかったはずだが?」


 ……はい?


「たしかに探偵を起こしに行くシーンはあった。だが、そこでは抱き枕を抱いて寝ている探偵に対し、主人公が『なんかいやに荷物が多いと思ったらそれか! そんなもん持ってくるな!』と探偵を殴って起こすだけだ。そこではアニメの台詞は使われていない」


 鋭い視線が部長から突き刺さる。


 時間が止まったかのように、部室に静寂が訪れる。先程まで笑顔でいた二階堂からも、一気に冷めた視線が向けられていた。


「シュウちゃん、本当の事言ったら?」


 その空気を破ったのは柏崎だった。彼女も呆れたように俺を見ている。


「いや、本当も何も、俺は自分の感想を……」

「今言っていたシュウちゃんの感想と同じものがここにあるのに?」


 そう言うと、柏崎が腕を突き出す。その手には俺のスマホが握られていた。


「あっ」

「なんかおかしいな~、って思ってシュウちゃんのスマホ見てみたら、こんなのが出てきたよ」


 画面に写っているのは、うっかり履歴を消し忘れていた読んだ小説の感想を載せているサイトだった。


「宮藤君……」

「……あ~、くそ。バレないと思ったのにな~」


 ここまで来たらもう言い逃れは出来ない。素直に白状しよう。


「ええ、そうです。今俺が言ったのは全部そこに載っているものです」


 そう。俺は課題のミステリーを一切読まなかった。既に誰かが書いたその感想ページをそのまま伝えたのだ。


「なぜこんなことを?」

「決まってます。ミステリーはやっぱり読む気にはなりません」


 長々と続く背景描写や風景描写、一つ事件が起きる度に犯人の考察や登場人物達の心理描写でチマチマとしか進まないテンポ。一ページ一ページ読むのに必要以上に頭を使う。気力と体力が保てず、とてもじゃないが読破出来ないのだ。


「ずっと思ってるんですが、ミステリーって何が面白いんですか? 人が死んだりとか嫌でしょうよ。ただでさえ現実でも起きてるのに、小説の中まで見せられたくないです。架空の物語なんだからもっと気楽に読ませて欲しいです」


 勢いに任せて、俺は本心を口に出していく。


 謎解きの伏線を組み込むために綴られた難しい単語や表現の連続。それを目にする度に、まるで勉強をしている時のように頭が痛くなる。読書という娯楽でなぜ頭を使わなければならないのだろう。


「ミステリーなんて事件が起きて、トリックを解明して犯人を見つける。それだけでしょ? トリックが斬新だとか、意外な犯人で騙されたとか、そんなんばっか。誰が読んだって同じ感想しか言わない」

「それでそのサイトの感想を?」

「そうです。色々見てみましたが、ほとんど似たような感想ばかりでした。だから、これさえ言っとけば問題ないだろう、って」


 同じ感想。つまりはそれがこのミステリーの全てだ。


「このミステリーなんて誰が読んでも一緒でしょ? 俺が読もうが読まなかろうが、ここにあるコメントが全て。読まなくったって把握できる。読んだところで何も変わら――」


 ――バシャ!


 突然、水の弾く音が響いた。誰かが飲み物を床に溢したのかと思ったが、そうではなかった。俺の顔が濡れており、髪の毛や顎からポタポタと水滴がテーブルに落ちている。


「……は?」


 目を上げると、そこにはコップの口を俺に向けた二階堂の姿。俺は二階堂にお茶を掛けられたのだと気付いた。


「いや、お前なにすんの?」


 二階堂に尋ねるが、彼女は何も答えない。


「……部長。私、帰ります」


 数秒後、そう言って二階堂は帰宅の準備をし始めた。


「ちょっと待て。人にお茶掛けといて何黙って帰ろうとしてんだよ」


 こちらに見向きもせず、用意が終わった二階堂は入り口へと向かい出す。


 シカトか。いきなりなんなんだこいつ。


 その態度にムカついた俺は立ち上がり後を追う。


「待てよ。てめぇ、どういうつもり――」


 ――パァン!


 肩に手を掛けた瞬間、振り向き様に二階堂が俺に平手打ちをかました。ジンジンと頬に痛みと熱が生じる。


「何すん――」


 怒りを顕にしようとしたが、途中で留まった。なぜなら、二階堂の目に涙が溜まっていたからだ。


「……ね」

「は?」

「死ね! 最低! 大っ嫌い!」


 そう言い放ち、二階堂は乱暴にドアを開けて部室を出ていった。


「なんなんだ、あいつ」


 静まっていたイライラがまた込み上げる中、俺はその場で立ち尽くしていた。


 水掛けてひっぱたいて死ね? そんな事される覚えは――。


「宮藤君」

「はい」

「動くな」

「はい?」


 部長に声を掛けられたと思いきや、動くなという命令。


 動くな? 虫でも出たか?


「えっと、服に何か付いてます?」

「宮藤君、私は動くなと言ったんだ」


 再び部長からの指示。何だか分からないまま俺はそこで立ち続ける。


「柏崎君」

「は~い」


 呼ばれた柏崎が元気よく手を上げて返事をすると、椅子から立ち上がり俺の前までやって来た。


「よし、やれ」

「イエッサー!」


 やれ? 何を――。


「大外刈り!」

「ぐはっ!」


 考える間もなく、柏崎が俺に掴み掛かり床に投げ飛ばした。勢いよく背中を叩き付けられ、呼吸が一瞬止まる。


「イッテ~。おい、いきなり何を――」

「宮藤君」

「はい」

「立て」

「いや、立ちますけど……」

「体落とし!」

「ぐあっ!」


 立ち上がるや否や、柏崎がまた俺に柔道技を仕掛ける。ぐるんと体が回転し、また床に叩き付けられた。


「だから、何をするんだよ!」

「宮藤君、立て」

「いや、部長止めてくださいよ」

「聞こえなかったか? 私は立てと言ったんだ」


 お願いを聞くどころか柏崎を止める気配もなく、ただ立てと言い放つ。俺は意味が分からず、座ったまま部長を見ていた。


「どうした? なぜ立たない?」

「いや、立ったらまた投げられるかもしれないのに立てるわけ……」

「そうか。じゃあ柏崎君」

「はい」

「蹴飛ばせ」

「了解!」

「いいっ!?」


 俺は慌てて横に飛び退く。ブオッ、っという空気を裂く音が響き、今俺がいた場所を力の籠った蹴りが空振りした。


「あぶねっ! 今本気で蹴ろうとしたな!」

「うん。天井に蹴り上げるつもりで」


 悪びれる様子もなく、当たり前の様な態度でしれっと言う柏崎。


 マジでなんなんだよ。何でこんな暴力奮われなきゃならないんだ。


 混乱する中、さらに繰り出される柏崎の猛攻を俺は必死に回避していた。


「ああもう! いい加減にしろ!」

 なんの理由も告げられぬまま始まった攻撃に、さすがに我慢の限界だった。相手が女だろうと関係なく、俺は拳を柏崎に放つ。


 しかし、それはあっさりと避けられ、そのまま綺麗な背負い投げを受けてしまった。呼吸が一瞬止まり、背骨にも嫌な衝撃が走り、ここ一番のダメージを食らう。


 それからは成す術もなく、ただただ投げられ蹴られ、背中、腕、足と体全体に痛みが増え続けた。


「ぐっ、くはっ……」

「もういいだろう。柏崎君、ご苦労」

「いえいえ」


 パンパン、と手を叩いて満足げな柏崎。あれだけ投げ続けていながら、全く息が乱れていない。


「終わって早々すまないが柏崎君、二階堂君を追ってくれるか?」

「はい、そのつもりです」


 そう言って柏崎も自分の荷物を持って部室を後にした。


 ようやく解放された俺は、身体中の痛みを感じながら立ち上がる。


「イテテ」

「宮藤君。自分がなぜこんな目に合うのか、まだ理解していないようだな」

「当然です。意味が分かりません」


 分かるわけがない。二階堂にお茶を掛けられ叩かれたのも、柏崎に痛め付けられたのも皆目見当が付かない。


「そうか……なら、君は最低な人間だな」

「だから、何で俺が……っ!」


 部長にも貶され、文句を言ってやろうと顔を上げたが、すぐに俺はたじろいだ。そこには鋭い目付きをし、壮絶な怒りを体全体から醸し出す部長の姿があった。


「宮藤君。君には失望したよ」

「いや、あの……」

「柏崎君にしてもらった仕打ちだけでも足りないくらいの愚行を、君は犯した」

「……」


 愚行と言われ、それが何に対するものなのかを考える。しかし、結局何も分からなかった。


「不満そうな顔だな。いいだろう。分からないというなら教えてやる。君がどれだけ二階堂君を傷付け悲しませたかを」

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