第14話

「さて、と。落ち着いた事だし、話を再開しようか」


 あれから場所は変わり、文芸部全員で来たことのあるファミレスに俺と部長は対面して座っている。部長はコーヒーを頼み、一口飲んでからそう切り出した。ちなみに俺は水。体の痛みで何かを頼む気分にはなれなかった。


「宮藤君。自分がどんな過ちを犯したか、だいたいの想像は出来ているんじゃないか?」


 部長が言うように、このファミレスに来るまで俺は色々と考えていた。何が二階堂を怒らせる要因だったのか。そして、一つの答えを導いた。


「俺が課題のミステリーを読まなかったから……ですよね」

「そうだな。大まかには、な」


 大まかには? ということは、別の要因もあったというのか?


「違うんですか?」

「根本は違うな。もしそれだけだったら二階堂君もあれほど怒りはしない。これまでだって最後まで読めなかった君に、あそこまでの行動をしなかっただろう?」


 そうだ。今までも俺は課題になったミステリーを最後まで読むことは出来なかった。しかし、二階堂は「最後まで読めや!」と言うだけで、飲み物を掛けたり頬を叩いたりすることはなかったのだ。だからこそ、わけが分からなかった。


「じゃあ、なんで……」

「それは……いや、その前にこちらを先に話した方がよさそうだ」


 肝心の答えが出るかと思いきや、急に話の方向を変えてきた。部長はバックを開けると、テーブルにあるものを出す。


「これを覚えているか?」


 差し出されたのは紐で綴じられた約五十枚程の紙の束。パラパラと捲り、中身を確認する。


「これって……前にやった課題の小説ですよね?」


 ある時、部長からオススメの小説があるといって出された小説だ。たしか、webで投稿されている素人の作品だったはず。ずっと書籍の発表会をしていた中、唯一素人の作品が課題に出たので記憶に新しい。


「そうだ。私と君、そして柏崎君で感想を言い合った。全員一致で面白いと話したな」


 そう。とても面白かったのだ。


 舞台はエルフが存在するファンタジーもの。エルフしかいない世界で、唯一人間の主人公が突如現れる。次元の歪みに取り込まれ、この世界に飛ばされたのだ。元の世界へ戻るため、最初に出会ったエルフの女の子と手掛かりを探しに旅をする話だった。


 ラノベのように読みやすく、設定や世界観もまさに俺好み。これが素人の書いた小説とは思えず、俺は絶賛していた。


「これ、本当に素人が書いたやつなんですよね?」

「ああ。プロになった作家ではない」


 やはりそうなのか。これだけの作品を書ける者がプロではない。その事実に驚きながら、ある記憶も一緒に呼び起こされた。


「そういやこの時、二階堂だけは感想を言わなかったですよね」


 俺達三人は読んだが、なぜか二階堂だけは免除され、聞くだけの立場だった。


「ああ。私がそうした」

「今更ですが、何でですか? あいつも部員なんだから、読んで感想を発表するべきだったんじゃ」

「感想? 言えるわけないだろ。この小説は彼女が書いたものだ。自分で書いた物語に感想を言う作者がどこにいる」


 あっ、なるほど。これ、あいつが書いたのか。そりゃあ言えるわけ――って。


「ええええっ!? これ、二階堂が書いた小説なんですか!?」


 ファミレスにいながら、あまりの衝撃事実に俺は大きな声を上げて立ち上がってしまった。


 そのせいで周りから視線を集めてしまい、俺は畏まりながら席に付く。


「嘘言ってませんよね?」

「もちろんだ。嘘偽りなく、正真正銘、二階堂君の小説だ」


 からかっている様子もなく、真剣な表情をする部長を見て本当の事だと理解した。


「あいつ、小説なんて書いてたんですか?」

「ああ。webにある小説投稿サイトに載せていた」

「いや、でも、この前書いたミステリーとは全然違うじゃないですか。これはラノベっぽい感じですよ」

「だろうな。これは昔書いたやつだからな。ミステリーを書くのも部活が初めてだ」

「いや、webで小説を書いてるんでしょ?」

「書いているんじゃない。書いていた、だ。今は全く執筆活動をしていないよ」

「えっ?」


 もう書いていないのか? あれだけの面白い作品を書けるのに?


 コーヒーを飲み干し、部長がお代わりを店員に注文する。新しいコーヒーが届くと、二階堂が執筆活動をしていない理由をゆっくりと説明してくれた。


「中学からと言っていたな。二階堂君が小説を書き始めたのは。その頃は彼女もラノベが好きだったんだ」


 なん、だと? あいつがラノベを好きだった? 読み足りねぇとか、女の子キャラで誤魔化していると非難している、ラノベを?


 二階堂がラノベを読んでいた、という告白にまた衝撃を受ける。


「宮藤君はwebの小説投稿サイトを見たことがあるか?」

「えっ? ええ。たまに開いて眺めたりはします」


 本当に眺めるだけだ。たまにタイトルやあらすじで面白そうなものを見つけた時に読む程度だが。


「君の印象で、そういうサイトの人気はどんなジャンルだ?」

「そりゃあもちろん、異世界ファンタジーやラブコメですよ」


 web小説投稿サイトの多くは、ラノベ読者向けのサイトだ。現在書籍化されているラノベのいくつかも、コンテストで大賞を取ったり出版社から声が掛かったりと、webから来ているものも少なくない。そんな理由からか、webサイトではラノベ寄りな作品が人気を得ているのだ。ラノベとweb投稿サイトは密接に繋がっていると言っても過言ではないだろう。


「そうだな。私も見てみたが、ランキングに載っているのもラノベ風の作品ばかりだ。だから、web投稿サイトを利用していた彼女もその傾向にならってラノベを読み、ラノベ向きの作品を書いていた。そして、君も絶賛していたように、彼女の作品は人気があった」


 だが、と付け加えた後、部長は一度コーヒーで喉を潤した。


「今はもうそれも過去の話。書きたいと思っても、もうラノベみたいなのは書く事はないだろう」

「何でです?」

「筆を折る出来事があったからさ。そのせいで、彼女はラノベに対して強い拒否感を持つようになった」


 拒否感?


「web投稿サイトでは、評価を入れるだけでなく、読んだ作品にコメントや感想を書ける機能があるだろ」

「ありますね。その数でランキングに入ったりするみたいですが」

「ああ。ユーザーもその感想を読んで興味を持ち、作品に手を出す事も多いようだ」


 俺自身もその口だ。読み終わった読者のコメントを見て、どんな内容なのかをある程度把握できるので、読む指標になったりもする。


「しかし、そのコメントがやっかいなんだ。ユーザーは自由に書き込むことが出来るので、好評価だけでなく悪評も書けてしまう」

「それは別に良いのでは? あくまで感想なんですから、読んだ人がどう感じたかを書けばいいだけです。素人が書いて悪評がないなんてあり得ないでしょ」

「もちろん、私もそう思う。悪評も評価だ。作者はそれも受け止めるべきだろう」

「じゃあ、何が問題なんですか?」

「自由に書き込める。その点さ。悪評も書ければ、デタラメな感想も書くことが出来てしまうだろ」


 デタラメ?


「私も最近知ったのだが、web投稿サイトには無差別に感想を書いていく者がいるらしい。読んでしているならいいが、中には読まずに同じ文面の感想を使い回している者もいるそうだ」


 ああ、聞いたことがあるな。自分の作品に評価が欲しいがために、お返しを求めて手当たり次第コメントを残すユーザーがいるらしい。


「いや、待ってください。読まずに同じ文面って、それだと……」

「ああ。作品の内容と合わない感想が出てくるな。実際はほのぼのした心暖まる作品に、手に汗握る激しい展開、なんて書くなどバカのすることだ」


 いや、実際バカなんだろう。感想と作品の相違を確認せずに、文面を使い回しにしている時点で何も考えていない証拠だ。


「そして彼女、二階堂君の所にもその輩が現れたそうだ。宮藤君、そうなると彼女は何をすると思う?」


 強気で真っ直ぐな性格の二階堂。手に取るように分かる。


「きっとそのユーザーに文句を言いに行くでしょうね」

「正解だ。君が言うように、彼女はそのユーザーのページにあるコメント欄に注意を呼び掛けた。しかし、それが事の始まりだった」

「何が?」

「感想を書くならきちんと読んでから書いてほしい。そうコメントしたらしいが、返ってきた返事は……」


『はあ? わざわざ感想書いてやったのに、何で注意されなきゃならないの? そこはありがとうじゃねぇの? ランキング上位者だからって調子に乗るなよ』


 おかしい! 言ってる事おかしい! マジで何言ってんのこいつ!?


「まあ、そんな輩に何を言っても無駄なんだろう。聞く耳を持たない」

「そういうのは関わらない方がいいですよ」

「そうだな。だが、二階堂君が引き下がると思うか?」

「まさか……」

「そのまさか、さ。その輩のやり方が間違いだと気付かせるため、彼女は注意し続けた。性格のせいか運営に要請せず、自分で何とかしようとしたんだろう。しかし、それが最悪の事態を招いた」


 自分の事ではないのだが、顔から血の気が引いていくのを感じた。


「運の悪い事に、そのユーザーには複数の仲間がいたらしい。しつこい二階堂君に腹を立てたそいつは仲間を巻き込み、彼女を標的にした」

「な、何をされたんですか?」

「誹謗中傷だよ。作品のコメント欄を書き潰し荒らしたんだ。駄作駄作と読まずに作品を貶し、もしくは先に結末を書き込んで興味を削がし、読者を離れさせようとした。最後には作者である彼女の性格やらについて適当な事を言いふらす始末だ。すぐに止むかと思いきや、それは一ヵ月以上続いたらしい」


 一ヵ月以上!? 精神が折れるだろ!


「あっ、だから二階堂は……」

「ああ。そのユーザー達のせいで読者も減り、自分の作品は全く読まれなくなった。新しい作品を載せようとも、以前のように感想も来なければ閲覧数も増えない。ショックを受けた彼女は、遂に小説を書くことを辞めた」


 そりゃあ誰だってなるわ。一ヶ月も耐えた二階堂もすごいが、それでも限界はある。


「そして、柏崎君も似たような経験をしている」

「えっ、あいつもですか?」

「と言っても、柏崎君は小説ではなく柔道で、だ。彼女がかなりの実力者なのは知っているだろ?」


 そりゃあ、何かとあれば投げられてるし、今日だって散々痛め付けられたんだ。文字通り、身を以て知っている。


「あれだけの実力を持ちながら、なぜ柔道部に入らなかったのか不思議に思わなかったか?」

「この前聞きましたけど、飽きたとか言ってましたね」

「飽きたのではなく、諦めたんだ。柔道をしていても苦痛にしかならなくなったからな」


 苦痛? いやいや、苦痛になったのは投げられた相手だろ。


「柏崎君が柔道を始めたのは小学生からだ。近くの道場に通い、才能があったのだろうメキメキと力を付けていった。中学時代には県内でも名の知れた選手になるほどにな」


 別に驚きはしなかった。現在であの強さ。中学時代もそれぐらいの力はあっただろう。


「彼女の魅力は、機敏な動きで相手を翻弄し、体制を崩した所で小柄な体型からは想像つかない技の豪快さ。その動きから『ラビット柏崎』や『小さき巨人』などの異名を付けられた」


 ラノベでは当然のように出てくる異名。それが付けられるヤツは相当の実力を持ち、柏崎もそれに値するほどだったのだろう。


「だが、それでも柏崎君は柔道を辞めた」

「何でですか?」

「勝っても嬉しくならないからさ」

「それは相手になるライバルがいないから、とかですか?」


 スポーツ漫画でたまに見る理由だ。強すぎるため、戦いに楽しさを感じない。


「違う。勝利しても誰も喜ばず、むしろ冷たい目で見られるようになったからだ」


 いまいちよく分からなく、そのまま黙っていると部長は先を続けた。


「柏崎君だって最初から強かった訳じゃない。体も小柄だし、柔道ではそのハンデは大きかった。だが、彼女はそれを必死の努力で克服し、武器にするまでに至った」


 部長はコーヒーに付いたスプーンを剣に見立てて、横に払った。


「道場では勝てば仲間が一緒に喜んでくれたが、中学に入った部ではそうはいかなかった」


 スプーンを静かにカップの中へ入れる。その仕草は、折れた剣を鞘に納めるかのようだった。


「中学二年生の秋頃か。ある大会で彼女の対戦相手が続々と怪我や風邪で試合を棄権する事があったんだ。そこで、ある噂が流れた。対戦相手の不調は全て柏崎君の手によるものだ、というな」

「いや、まさか……」

「もちろん違うさ。そのどれもが、強い柏崎君に勝とうと練習で無理をした結果。つまりは相手側の不注意だ。彼女はなんの関係もない」


 そりゃあそうだろう。誰が見たってそう思う。


「しかし、小柄な柏崎君が勝ち続ける事に嫉妬を覚えた選手達がそんな噂を広めたんだ。彼女のいる中学にもそれは届いた」

「そんな根も葉もない噂を信じるわけが――」

「それがいたんだよ。悲しくも部内で多くの者がな」

「いやいやいや、チームメイトでしょ。何でそんなことになるです?」

「柏崎君は一年の時から団体戦の試合に出ていたんだ。もちろん、実力で勝ち取ったレギュラーだよ。しかし、それに納得出来ていない者がいたんだ。特に上級生に」


 なるほど。後輩にレギュラーを取られて面白くない、って事か。


「そんな中、部での練習で柏崎君は先輩と組み手を行っていたんだが、先輩が受け身を失敗した」


 ※


『いった……ちょっと! 何考えてるのよ!』

『す、すいません』

『もうすぐ大会があるのに、仲間を怪我させてどうするのよ!』

『で、でも今のは先輩の受け身の取り方も』

『はあ? 私が悪いって言うの? どう見てもあんたが強引にやったでしょうが』

『すいません……』

『全く。噂は本当のようね。邪魔な相手を潰して楽をしようって魂胆なんでしょ? 今度は私を怪我させて、自分がレギュラーになろうとしたんでしょ』

『いや、そんなつもりは……』

『別の学校の選手ならまだしも、仲間にも手を伸ばすなんて最低ね。この卑怯者!」


 ※



「そんなん、ただの逆恨みじゃないですか」

「全くだな。だがそれ以来、柏崎君は蔑まされる目を向けられるようになった。一度植え付けられた印象は拭えない。どんだけ努力して勝ちを得ようとも、誰からも評価してくれない。勝てば勝つほど周りからは冷たい目で見られる。どんどん自分の居場所が無くなり、彼女は遂に部を辞めてしまった」


 俺は何も言えず黙ってしまう。いつも元気に走り回っていた柏崎に、そんな過去があるとは思いもよらず、なんて返せばいいのか分からなかった。


 努力すれば報われるというが、柏崎は逆だった。努力すればするほど、悲しさと苦しさが増えていった。たぶん、想像以上の苦痛だったのだろう。


 そこで、俺は本屋での出来事を思い出した。


 ※


『なあ、柏崎。ウチに顔を出してみんか? 久し振りに汗を流したらどうだ?』

『いえ。私はもう辞めたので』

『しかし、体を動かせばまたやる気になるかもしれんだろ。お前ほどの実力者が辞めてしまうのは正直もったいない』

『ありがとうございます。でも、私はもうやりたくありません。あんな目に会うのはもうたくさんです』


 ※


 今だから分かる。あの時、事情を知っていた道場の講師は柏崎に柔道を始めてほしかったのだ。また柔道を好きになり、輝いてほしかったのだ、と。


「自分の実力とは関係ない部分で貶され、蔑まされる。誰よりも向き合って努力しているにも関わらず、二階堂君と柏崎君二人は周りからそれを見てもらえない。たかが噂で悪い人物像を仕立て上げられ、好きなものを手離さざるを得なくなった。宮藤君、君はそれをどう見る?」


 辛い。

 悲しい。

 苦しい。


 そんな言葉で済む話ではないだろう。そのどれもが当てはまらない。光も何もない、無限に続く闇の中をさまようようなものだろう。


「そろそろ出ようか。時間ももう遅い。話の続きは歩きながらにしよう」


 そう言うと、部長は立ち上がり伝票を持って会計に向かう。夕方にここに来たが、気付けば外はすっかり闇に包まれていた。


 それはまるで、二階堂と柏崎の心境を表しているかのようだった。

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