第12話
十八時頃、俺と柏崎は駅前にある本屋へと足を踏み入れた。近隣の中では一番大きな本屋で、一階は文庫などの一般文芸、二階は参考書や資格書といった学習書、三階は児童書と筆記用具が並び、そして地下には漫画やラノベ小説が置かれている。老若男女あらゆる人が来店していて、レジの前にはすでに行列ができていた。
俺と柏崎の目的は漫画なので、行列を横目に見ながら地下へと続く階段へ向かい下りた。
「いや~、やっぱいつ来ても品揃えいいよな~」
当然ながら、俺もラノベを買う時はここを利用している。何度も足を運んでいるが、綺麗に並べられた本や天井から垂れ下がったPOPやポスター。買わずともここに立っているだけでも楽しめる。芸術とも言える眺めに思わず感嘆の声が漏れてしまった。
「さて、早速ラノベのチェックを――」
「そいやっ!」
「イテッ!」
後ろから柏崎のチョップが炸裂した。
「何勝手にラノベコーナー行こうとしてるのよ。シュウちゃんが踏み潰した、代わりの漫画を買いに来たんでしょ」
「分かってるよ。でも、後で見に行ってもいいだろ?」
「いいけど、あんまり時間掛かないでよ? 前に来た時も、シュウちゃん延々見てたんだから」
以前にも、俺と柏崎はお互い本屋に用があって一緒に来たことがあった。柏崎はすぐに目当ての漫画を買ったが、小遣いに制限があった俺は買うラノベを選別していたのだ。その時は一時間近く唸っていたらしい。
「いや、別に最後まで付き合わなくても漫画買い終わったら先に帰ってもいいぞ?」
「……」
なぜか柏崎が不機嫌な顔で俺を睨み付けていた。
「何だよ?」
「……女の子と一緒の時は普通、送っていくもんだよ? 一人で先に帰すなんて」
「いや、方向逆じゃん」
「それでも途中までは送るのが男子としての務めじゃないの?」
「お前なら大丈夫だろ、一人でも。柔道があるんだし」
むしろ、一緒にいるなら俺を守って欲しいぐらいだ。
「……ふんだ」
頬を膨らませて柏崎がそっぽを向く。
何だこいつ? まあ、いいか。
「ほら、早く買っちまおうぜ。漫画コーナーはたしか、右の奥だったよな?」
そう言って漫画コーナーへ赴き、柏崎の本を選び抜く。棚を眺めながら漫画の話をしているうちに、柏崎は元気になった。
「これ! 熱い友情と魂が入った卓球漫画! オススメだよ!」
「買いません」
「ほら見てよ、シュウちゃん! あの作者が大絶賛だって!」
「買いません」
「この漫画がすごい、のランキング一位だって! 買って!」
「買いません!」
機嫌が直った途端、柏崎からの買って買っての猛攻が始まった。その度に俺は断る。まるで、だだをこねる幼い子供を叱る親の気分だ。
「ブーブー。いいじゃん、あと一冊くらい」
「何を言ってんだ、お前は。買うのは俺が踏んで破いたやつだけだ。それ以外は自腹で買え」
「そういう時は『しょうがねぇな。母さんには内緒だぞ?』って言ってあげるのがお父さんの優しさだよ」
「誰がお父さんだ、誰が」
「ねぇ~、パパ買ってよ~」
「呼び方変えても意味なし」
「ちょっとそこのお兄さん。可愛い本が入ったんだよ。買っていかない?」
「風俗の勧誘か」
「ゴッドファーザー、プリーズ、カモン」
意味不明。何だよゴッドファーザー、って。
「ねぇ~、いいじゃん。買ってよ~」
「ええい、離せ!」
腕を掴んで柏崎が揺すってくる。柔道経験で握力があるので、ガッチリと掴んで中々離れない。
「いたいいたい! 腕が潰れる!」
「何言ってるのシュウちゃん。人の腕はそんな簡単に潰れないよ。せいぜい血管を圧迫させて血流を悪くして、腕を腐らせるぐらいだよ」
「潰れるより悪どい!」
「シュウちゃんの腕が腐るのが先か、降参して漫画を買うか。勝負といこうじゃないか」
「勝負になってない! どっちに転んでも俺の負けじゃねぇか!」
マジで離せ。なんかさっきから指先が痺れ始めて来たんだ。
「あれ? 柏崎か?」
すると、後ろから一人の男性が声を掛けてきた。四十代くらいだろうか、スーツ姿に髪は短く刈り上げ、がっしりした体をしている。
「あ、どうも」
男性を見た柏崎はやっと俺の腕を解放し、頭を下げて挨拶した。どうやら、二人は知り合いらしい。
「久し振りだな。一年振りくらいか?」
「それくらいです」
「元気そうだな」
「元気一杯です。私の取り柄ですから」
「の、わりには背が伸びていないな」
「ちょっ! 気にしてるんですからそれを言わないでくださいよ!」
「ははは、すまんすまん」
体にパンチを繰り出す柏崎に、それを受けながら笑う男性。冗談を言い合える程の仲らしい。
「ここで何してるんだ?」
「本屋ですよ、ここ。本を買いに決まってます」
「そりゃそうだ」
「加藤さんは?」
ここでようやく、男性の名前が加藤と知る。
「いや、娘に漫画を頼まれてな。仕事帰りに寄ったんだ。ただ、ここの本屋はでかいからどこに何があるんだか……」
「何て漫画です?」
「え~と……これだ」
スマホを操作し、娘からのラインを見せてくる。そこには数作の漫画のタイトルが書いてあった。
「ああ。全部少女漫画ですね。少女漫画はあっちのコーナーですよ。一緒に探しますか?」
「お、頼めるか? 助かる」
そう言うと、柏崎は加藤さんと共に少女漫画コーナーへと向かった。付いていく理由はなかったのだが、なんとなく流れで俺も後ろから追う。目当ての漫画はすぐに見つかった。
「いや~、助かったよ。ありがとな」
「いえいえ。これぐらいわけないですよ」
「こういう女の子向けはどれも同じに見えて区別がつかん」
「加藤さんの年代じゃ無理もないかもですね」
「全くだ。いやいや、本当に助かった。すまんな、デートの邪魔して」
「どういたしま……デート?」
デート?
「ほら。後ろにいる彼は彼氏なんだろ?」
俺と柏崎は目をパチパチしながら互いを見る。
「んなっ! ち、違いますよ! シュウちゃんは同じ文芸部の仲間です! そんなんじゃありません!」
「ゴフッ!」
顔を赤らめながら、柏崎が慌てて俺を殴ってくる。
おい、否定するなら口だけにしろ。俺の腹部を殴るな。
「さっき腕に抱き付いてなかったか?」
「抱きついてたんじゃなくて締め上げてたんです!」
「締め上げた? おい、柏崎……」
加藤さんが真剣な顔付きで柏崎を見始めた。
お、説教か? そうですよね。人の腕を締め上げるとか最低ですよね。知り合いならガツンと言ってやって――。
「脇はちゃんと閉めたか?」
「あ、閉めてない」
「ダメだぞ。脇が開いていると力が入らない。せっかく掴んでもすぐに逃げられるぞ」
「なるほど。以後気を付けます」
「あと、足は肩幅に開くのも忘れるな。腕だけでなく、体全体で姿勢を整えなきゃ力は半分も生かせん」
「了解です」
「よろしい。はっはっは!」
「はっはっは!」
説教どころか助言したぞこの人!
「あ、君。柏崎は機嫌損ねるとすぐ暴力奮うだろ。そのくせ手加減も知らん。怪我したくないなら注意した方がいいぞ」
加藤さんが俺に向かって言ってくるが、その一端を担っているのはあなたでは? と思ってしまう。
「そんで、本当に彼氏じゃないのか?」
「だから違いますってば」
「何だ、つまらん。彼氏の一人二人は作らんと、いつまで経っても子供のままだぞ?」
「余、計、な、お、世、話、です!」
一言づつ地団駄を踏むが、その姿は子供のようだった。
その後もしばらく二人は会話をし、キリのいい所で終わろうとしていた。
「じゃあ、私達はこれで――」
「あ、待て柏崎」
別れようとした俺達を加藤さんが止めた。
「何です?」
「あ~、その、なんだ……」
引き止めはしたが、加藤さんは言葉を詰まらせてる。何かを迷っている様だったが、数秒後に口を開いた。
「……久し振りにウチに顔を出してみないか?」
「……」
加藤さんの言葉に、柏崎は黙った。
「文芸部ということは、高校では続けていないんだよな。お前の事情は聞いている。辞めてしまったのも仕方がないかもしれん。だが、お前ほどの力があるやつが辞めてしまうのは正直勿体ない。別に嫌いになったわけじゃないんだろ? だったら――」
「いえ、私はもう辞めたので」
「しかし、体を動かして汗を流せば気分が変わるかもしれん。またお前の生き生きした姿を見せてくれないか?」
「気に掛けてもらってありがとうございます。でも、やっぱりやりたくありません。あんな目に会うのはもうたくさんです」
「……そうか」
柏崎のその突き放す言葉で加藤さんはそれ以上何も言わず、漫画を見つけたお礼を伝えると帰っていった。目の前にいる柏崎も黙ったまま立ち尽くしている。
何だ? 何の話だ?
俺は二人の会話を聞いていただけだが、あまり良い話をしていたわけでないことは窺える。その証拠に、柏崎の背中から悲しそうなオーラが立ち上っていた。
待てよ待てよ……年上の男性……ウチに顔を出す……汗を流す……気分が変わる……まさか?
「……援交か!?」
「ふんっ!」
「オブッ!」
本日二度目の腹パンチ。
「シュウちゃん、それは冗談にならないよ」
「わ、悪い……」
暗い空気を変えようと言ったのだが、通じなかったらしい。鋭い目付きで柏崎が俺を睨み付け、その怖さに直ぐに謝ってしまう。
「話してる感じだと、加藤さんとは随分互いに知ってたみたいだな」
「そうだね。付き合いは長いよ」
「近所の人か?」
「うん」
「……」
「……」
暫しの沈黙。どこか重たい空気が俺達を覆う。
「……ごめん、シュウちゃん。私、先帰るね」
「いや、まだ漫画買ってないぞ?」
「それはいいや。また今度」
「今度って……あ、おい」
声を掛けるも、柏崎は振り返ることなく帰っていった。
「何だよ、あいつ。男は家まで送るもんだとか言っときながら、結局一人で帰ってるじゃんか」
やはり何か様子がおかしい。いつもの明るい柏崎の面影がどこにもなく、まるで別人だった。
「まあ、考えても分からないか」
あっさりとすぐに気持ちを切り替えた俺は、一応柏崎の漫画を購入した後、ラノベコーナーで気になった新作を数冊買い、家へ帰った。
※
「さあて、どれから読もうかな」
柏崎と別れ、家に帰って飯を食い、風呂にも入って寝るだけになった俺は、さっき本屋で買ったラノベを読もうとしていた。
「ふっふっふ、今日は掘り出し物の予感がするぜ」
表紙の女の子やあらすじを読んだだけの判断であるが、今日の収穫は豊作の予感がしていた。早く内容を知りたくてうずうずしている。
俺は帰宅した時に机の上に置いた、本屋の紙袋を手に取って中身を取り出そうとした。
……ドサドサッ。
紙袋を持つ拍子に、机に置いてあった他の物が床に落ちた。
「ったく、めんどくせ~な」
また机に戻そうと屈み、一つずつ手に取っているとある小説が目に入った。
「げっ!」
黒っぽい表紙の小説。それは、次回の読書感想発表の課題になっていたミステリーだった。
「しまった~。読むの忘れてた」
この課題の読書期間は一週間あったので、後でいいやと後回しにしていたからまだ一ページも読んでいない。しかも、期日は明日であった。
「どうすっかな~。次はきちんと呼んで来いと部長と二階堂に言われてたんだよな」
もし読んでこなければ、柏崎からお仕置きを受けることにもなっていた。しかし、苦手なミステリーで時間もなく、ましてや今日はランニングで体力もない状態だ。とてもじゃないが読破できそうもない。
「う~ん、どうしよう」
何かいい方法はないかと考えていたら、ある一つの案が浮かび上がった。
「そうだ。これならいけるかもしれない」
妙案だと思った俺は、それを実行するためスマホを操作する。検索欄に文字を埋め込み、目当ての物が最初に出てきた。
「……よし。これなら大丈夫だろう」
ある程度眺めて安心した俺は、疲労も重なりそれからすぐに眠った。
その時は知る由もなかった。これが最悪の事態を招く嵌めになるとは……。
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