第11話
「ぐおお。か、体が……」
「足が……痛い……」
部室に戻った俺達は、いつものように席に着いていたが、俺と二階堂だけはテーブルに伏せたり背もたれに体重を掛けて呻いていた。
「まったく。情けないぞ君達は。この程度で嘆いてどうする」
「そうだよ。そんなんじゃ病気にもなりやすくなるよ?」
まるで何事もなかったかのように、部長と柏崎はケロッ、としてお茶を飲んでいた。
「しかも、高校生にもなって体力の使い方も知らんとは。滑稽だ」
「そういう部長はどうなんですか! 嘘ついたじゃないですか!」
先程の勝負。僅差で俺の勝利だった。死に物狂いで勝ち取り、報酬の図書カードゲット。と、思っていたのだが……。
「私もただの高校生だぞ? 三千円をポイッ、と手離すわけがなかろう。普通に考えれば分かるだろうに」
そう。部長が言っていた三千円分の図書カード。あれは嘘だった。なんでも、走らせる口実を作ったとか。おかげで、購入予定のラノベが全てパーである。
「金が絡むと人は変わると言われるが、それを生で見ることになるとは。醜くい姿だった。いやいや、いい勉強になった」
金ちらつかせて騙す方がよっぽどたち悪いわ! 鬼っ! 悪魔っ!
「しかし、二人の体力の無さは問題視するべきだな。ただでさえ文芸部は体を動かさないから、体力低下は進行するばかりだ。これは定期的に運動を入れるべきだな」
「賛成です!」
「え~?」
「それはちょっと……」
嘆く俺と二階堂。喜んでいるのは柏崎ただ一人だ。
「そう嫌な顔をするな。次からはランニングではなく、プール等遊びながら体を動かせる内容にするから」
プールか。まあ、それだったら別にいいか。どうせ運動するなら楽しくないとつまらないしな。それに、女子のあられもない姿を堪能できるし!
「ちょっと宮藤。なんか目がギラついてるんだけど?」
「えっ!?」
「イヤらしいこと考えてんじゃないでしょうね?」
「い、いや……プ、プールなら楽しくやれるなー、と」
「だよね! 夏と言ったらプールだよね!」
「そ、そう! 柏崎の言う通り!」
「……」
疑りの目で俺を見つめる二階堂だが、すぐに視線を逸らした。
「さて、今日の部活動はこれで終いにしようか。解散」
「お疲れ様です」
「おっつ~」
終了の合図に俺達は帰りの準備を始めた。
ああ~、マジ疲れた。さっさと帰って今日は早く寝よう。
「あれ? えりっち、ここにあった私の漫画知らない?」
「え? 私は見てないけど」
「部長も知りません?」
「いや、私も見ていないな」
「おかしいな~」
柏崎が漫画を探してウロウロし始めた。
ああ、そういや外に出る前にテーブルに漫画があったな。
たしかに、置いてあった場所から漫画が消えている。たぶん、どこかに落ちたのだろう。一緒に探してやりたい気持ちはあるが、疲労が半端ないので助けられず、支度を済ませた俺は出口に向かおうとした。
……グシャ。
「グシャ?」
何かを踏んだ感触があり、下を見てみる。すると、そこには柏崎の探していた漫画があった。
「あ」
「ああ~!」
気付いた柏崎が慌てて寄ってきた。
「シュウちゃん、酷いよ! 私の漫画を踏むなんて!」
「わ、悪い」
「お気に入りの漫画で、まだ読み終わってないのに!」
拾い上げた漫画は、無惨にも表紙がグシャグシャになっていた。
「ふえ~ん、私の漫画~」
「だから、悪かったって」
部長と二階堂も柏崎を憐れむ目を向け、それから俺に冷たい目を向けてきた。
「いや、わざとじゃないから。これは事故だ事故。下に漫画があるなんて思わなかったから」
「だが、柏崎君が漫画を探していたのだから、宮藤君も下を見ていたら免れたのでは?」
「そりゃあ、そうかもですが……」
とはいえ、俺が全て悪いわけではなかろう。テーブルに置かず、バックにでも入れておけば防げた事も事実。
「まあ、しょうがないだろ柏崎。やっちまったもんはどうしようもない」
「うわ~。踏んだ人間の台詞とは思えないわね」
「だから事故だって言ってるだろ。踏もうとして踏んだわけじゃないんだ」
柏崎は顔を伏せたまま動かない。ショックで固まったのだろうか。
「その~、悪かったよ、柏崎。許してくれ」
そう言うと、ゆっくりと顔を上げ始める。そして……
……ニコッ。
柏崎の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
あ、笑ってる。よかった、許してもらえ――。
「――子供の頃から夢だった。叶わぬ夢だと思ってた。でも、今日ついにその夢が叶います。それでは奏でていただきましょう。宮藤修也君で、『バッキバキ☆ボッキボキ』」
何そのカラオケバトルの前フリみたいなの!? しかも、タイトル曲名じゃなくて破砕音――おおおおい、何でこっちにくるんだ? 何で腕を伸ばしてくるんだ? やめろ! こっちに来るな! 来る……あああああああ!
※
部活の終了後、一人真っ直ぐ家に向かって休む……予定だったが、俺は柏崎と歩いていた。
「さあ、シュウちゃん早く!」
「いや、これ以上早く歩くのマジで無理……」
前方で手を振って先を急がせる柏崎に対し、俺は猫背になって牛歩の如く遅く歩いていた。先程の部活での運動が堪え、自分の抱えるバッグにすら重量を感じている程だ。
先程柏崎の漫画を潰してしまったので、同じ漫画を買って弁償することになったのだ。そのために、今俺達は本屋へと向かっている。
「まったく。冗談抜きで運動したら? 一日ランニングしただけでヘトヘトはちょっと情けないよ?」
軽快な足取りで俺の元へ戻ってくると、並んだ柏崎が真剣に言ってきた。
「と言ってもな~。長続きしないんだよ、俺。三日坊主で終わる」
「短いな~」
「だって疲れるじゃん」
「疲れるからやるんでしょ。それを続けるから体力が付くんじゃない」
正論過ぎて何も言い返せなかった。
「なんかコツとかあるのか? 長続きさせるための」
「コツもなにも、やる気の問題でしょ」
「いや、そのやる気を維持させるためには、とか」
「それも本人の気持ち次第だよ。目標を立ててそれを達成するためにやってるのか、何も考えずただ楽しいからとか、理由によってモチベーションも変わってくるし」
なるほど。何のためにやっているかが重要なのか。俺の場合は運動不足のために運動……あ、もう無理。
「ちなみに私は後者だよ。体を動かすのは好きだからね」
クルクルと体を回し始める柏崎。その姿は無邪気な子供の様だ。
「柏崎は普段何をやってるんだ?」
「部長と同じかな。休みの日には走ったり、昔の習慣で筋トレしたりしてるよ」
筋トレか。小柄ながらも、普段投げ飛ばしたりできるのはそこから来ているのか。見た目は華奢な女の子でも、中身にみっちり筋肉が詰め込まれているのだろう。
「そんで、その日に決めた内容をクリアしたら自分にご褒美をあげる」
「ご褒美?」
「そう。頑張った自分を褒め称えるの。私の場合はおやつだけどね。シュークリーム食べたい時はいつもの倍は頑張っちゃう! ジュル……」
握りこぶしを作って力説するが、想像したのか柏崎の口からは涎が垂れかかっていた。
褒美制か。たしかに、それならやる気がグンと上がるな。俺の場合だとラノベかな? 他には……ラノベ……あとは……ラノベ……。
自分の欲しいものを頭の中で思い浮かべるが、ラノベしか出てこなかった。
「それにね、運動した後のシュークリームは格別なんだよ。疲れた体を労れるし、ワクワクしながら食べられるから最高に美味しいの」
「ただのシュークリームだろ?」
「違うんだな~、これが。この気持ちは運動した人にしか分からない」
チッチッ、と柏崎が立てた指を左右に振る。
柏崎がここまで言い切るのは気になる。本当に何か違うのかもしれない。今度試してみようと俺は思った。
「そうだ。柏崎に前から聞きたかったんだが」
「何? 好きなシュークリームの中身はカスタードだよ?」
「ごめん。それは全く興味ない」
「じゃあ、何さ?」
「柏崎は柔道部じゃなくて、何で文芸部に入ったんだ?」
これは以前から抱いていた疑問だ。男子の俺を軽々と投げ飛ばす事が出来る。技術や能力は持っているはずなのに、なぜ文芸部に入部したのか分からなかった。
「……」
「……柏崎?」
たった今まで明るかった柏崎が、黙ったまま前を向いている。聞こえなかったのかと思ったが、数秒した後ようやく答えた。
「……飽きちった、からかな」
「飽きた?」
「うん。小、中と柔道やってたけど、なんかこう、燃え尽きた感が」
「それだけ能力あるのに勿体ないな」
「やってた頃は柔道一筋、みたいな気持ちだったけど、高校入学を機に別の事もやってみたいな~、って」
「だったら、柔道じゃない他の運動部でもよかったんじゃないか?」
運動神経は間違いなく高い。おそらく、どの部に入っていても結果を出せたはずだ。
「色々見てみたけど、なんかしっくりこなくて。運動部以外もありかな? とか考えて、そんで目を付けたのが文芸部だったんだよ」
そんなもんなのか?
誰がどの部活に入ろうが自由だ。別に野球好きがサッカー部に入っても構わない。決まりはないのだから。柏崎の言うように、高校で新しい事に挑戦するという人も少なくはない。
しかし、柏崎の台詞にはどこか違和感があった。言っていることに変な所はない。しかし、理解はできるが納得できない。そんなモヤモヤが頭に残る。
「ほら、そんなことより早く本屋に行こうよ。家に帰って読みたいんだから」
そう言って柏崎は先に走り出す。
やはり何か印象が違った。
笑った顔はいつも見る顔。走る動きも変わらない。しかし、無理矢理話を切り上げたような気もしなくはなく、小柄な柏崎がさらに小さく見え、その後ろ姿はどこか寂しそうだ。
「……まあ、いいや。考えたってしょうがねえ」
俺は今のやり取りを忘れ、柏崎の後を追った。
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