第10話
残り五周。
「こらー。二人とも何を止まってるー。まだ周回は残ってるぞー」
すでに走り終えた早乙女部長の叱責が校庭に響き渡る。
結局俺は三十周を走り切れず、立ち止まって膝に手を当てながら激しい呼吸を繰り返していた。二階堂も限界のようで、あと三周を残して俺の後方二十メートル辺りで腰を落としている。
「ぜえ、ぜえ、ぜえ……もう無理。一歩も動けない……」
酸素を過剰に欲する肺、棒のように固まった足、そして暑さ。体力はもうそこを突いていた。
「おらー。シュウちゃん、あと五周だよー。気合を入れろー。えりっちも根性みせろー」
早乙女部長同様、余裕で軽々と走り終えた柏崎から応援の声が上がる。しかし、それに応えることはできなかった。
「いいのか二人とも。ここでリタイヤするなら、お互いミステリーとラノベを一週間読んでもらうことになるぞー?」
ミステリーは読みたくない。だが、足がもう言うことを聞かないのも事実。走れない以上、悔しいがミステリーを読むことに従うしかない。
「反応なし、か」
「ホントに二人とも限界みたいですね」
そうだ。もう限界なんだ。何を言われようともこれ以上走ることはできないからな。
「仕方ない。ここは部長の私が一肌脱ぐか。おーい君達ー。お互いあと二周で構わない。最後までやりきれー」
早乙女部長が妥協案を提示してきた。
残り五周だったのが二周に減る。それはありがたいことだったが、いくら減ったところで動けないことは変わらな――。
「そして、先にゴールしたものに私から報酬を与えよう」
報酬? 何だろ。
「報酬は……三千円の図書カードだ」
部長の言葉に体がピクッ、と反応した。
なん……だと?
聞き間違いかと思い、俺は顔を上げ早乙女部長の方に顔を向ける。
「負けた方はルール通り苦手な小説を読んでもらい、勝った方には三千円分の図書カードを進呈しよう」
聞き間違いではなかった。たしかに、早乙女部長は三千円の図書カードをくれると言っている。
「あ、ずるい! 部長、私も参加していいですか?」
「柏崎君はもうゴールしているだろう」
「ええ~! 二人だけずる~い! 私も図書カード欲しい~!」
柏崎がなんとか参加しようと詰め寄っている。だが、俺の意識はもう別の事で一杯だった。
マジか。三千円もあったら、次の小遣いまで我慢していた発売中のラノベが買えるぞ? 新作『最弱勇者だけど最強ハーレムを築き上げました!』に『魔装学園D』の続巻、前作で人気シリーズを功した作者の新作『お兄ちゃんの隣は私専用』。これらが一気に読め――。
――ヒュン!
三千円の図書カードを手にした時のことに思案していると、俺の横を何かが抜き去って行った。よく見ると、それは後方で座り込んでいた二階堂の後ろ姿だった。
あ! あの野郎、抜け駆けしやがった!
「待てコルァァァァ!」
俺は急いで二階堂の後を追う。
図書カード三千円! 何がなんでも手に入れてやる!
図書カードパワーとでも言うべきか。心の奥底から込み上げるものが体を突き動かしている。そのおかげか、二階堂には数秒で追いついた。
よっしゃ! このまま追い抜いて一気にゴールに――。
「……き……ん……」
二階堂の横から抜き去ろうとしたが、耳に何かが聞こえてきた。
あん? なんだ、こいつなんか言ってる?
よく観察してみると、口元が動いているのが見える。やはり何かを言っているようだ。
その内容を聞き取るため、耳を傾けてみた。
「鮎辻行人の新刊鮎辻行人の新刊鮎辻行人の新刊鮎辻行人の新刊鮎辻行人の新刊鮎辻行人の新刊鮎辻行人の新刊鮎辻行人の新刊鮎辻行人の新刊……」
なんか作家名呟きながら走ってるぅぅぅぅぅぅ! こえーよ、こいつこえーよぉぉぉ!
まるで呪言のように紡ぎ、わき目もふらさず真っすぐ前を見たまま走る二階堂。その姿に恐怖を覚えた俺は抜き去ることができず、後ろに並んでしまった。
くそ……まあいい。今は後を追う形を取ろう。こいつはさっきまでバテバテだったんだ。すぐに体力が切れるはず。そこで抜き去ればいい。
そう作戦を立て、しばらく二階堂の後ろにぴったりくっついていた。
すると、予想通り二階堂の走るスピードが徐々に落ちてきたのだ。
はっは! やっぱりな。もう体力を使い果たしやがった。バカなやつだぜ。最初から飛ばせばこうなるのは当たり前だろ。この勝負、もらった!
作戦通りに事が運び、勝ちを悟った俺は二階堂を抜き去ってゴールに向かおうとする。
しかし、なぜか中々彼女を抜き去ることができない。
あれ、おかしいな? 間違いなくこいつのスピードは落ちてんのに、なんで抜けないんだろ?
別に手を抜いているわけでもなく、遊んでいるわけでもない。体力の無くなった二階堂をそのまま置き去りにしゴール。先ほどからそれを実行しようとしているのだが、いつまで経っても距離が縮まらない。
そこで、自分の乱れた呼吸と力の入らない下半身、そして最大の過ちを犯したことに気付いた。
しまったぁぁぁぁぁぁ! 全力で走るこいつに合わせて走ってたんだ。俺も体力がなくなるの必須だったぁぁぁぁぁぁ!
勝負前から互いに体力はほぼゼロ。そんな中、全力疾走すれば瞬く間に枯渇するのは当然だった。
後悔してももう遅い。すでに使い果たした体力が戻るわけでもなく、ラスト一周になった時には俺達はもう歩くぐらいのスピードで競っていた。
「アホだな」
「アホですね」
早乙女部長と柏崎の前を通過する際、そんな言葉が聞こえてきたが、事実であるし文句を言う余裕もなかった。
「ぜえ、ぜえ、ぶえ、ぶへぇ……」
「はあ、ああ、ゔあ……」
呼吸かどうかも分からないような音を発し、目が虚ろになる俺達。きっと向こうにいる二人の目には、さぞかし醜い争いとして映っているだろう。
二人して体力はゼロ。相手を抜き去るという力は残っていない。しかし、勝者に与えられる三千円分の図書券。それを得たいのはどちらも変わらず、負けられないのは一緒だった。
勝利を掴むために唯一出来ること。それは……。
「ど、どうした、に、二階堂。つらそうじゃ、ないか。無理しない、方が、いいんじゃ、ないか?」
「そういう、宮藤こそ、顔色が、悪いわよ。休んだほうが、いいんじゃ、ない?」
「お、俺は平気、だよ。それよりも、お前が倒れないか、不安だよ」
「あら、あんたが心配、するなんて、どういう、心境、かしら?」
「そんな辛そうな顔を見れば、誰だって、心配するだろ」
「心配なのは宮藤、の方よ。顔が青くなって、るわ。熱中症かもしれないから、棄権して、日陰で休んどき、なさいよ」
「おうおう、ずいぶん優しい、じゃないか。お前がそんな、心配する、ヤツかよ。疲れすぎて、おかしくなって、るじゃん。そっちの方が棄、権しろよ」
「私はいつだって、優しいわよ。辛そうなんだし、あんたこそ早く、棄権、しなさい」
「リタイア、するのはお前、だよ。このままじゃ、体、壊すぞ?」
なんとか相手を諦めさせる。それしかなかった。
コーナーを曲がり、最後の一直線。
ゴール地点には部長と柏崎がいるが、その目は愚か者を見る目だ。哀れみを含んだ視線が前方から突き刺さる。
それでもこちらは真剣。文字通り、力の限りを振り絞っての奮闘。俺と二階堂は足を引き摺りながらゴールに向かっていた。
「ハーレム、築き、あげま、したぁぁぁぁ!」
「探偵、達の、四重奏ぉぉぉぉ!」
小説のタイトルを叫びながら、二人で倒れ込むようにゴールイン。果たして勝負の行方は……。
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