第8話

 翌週。


 この日は真夏という言葉が相応しい程の暑さが充満していた。チリチリと肌を焼くような日差しに、ただ登校するだけでも滝のような汗が身体中から流れ出す。学校に着く頃にはビッショリだ。


 運動部は大変だろう。こんな暑い中体を動かし、さらなる汗を流さなければならないのだから。勝利を得るために努力という対価を支払い、辛く苦しいトレーニングに励まなければならない。


 それに比べて、文化部の文芸部は大変素晴らしい。暑い中体を動かす必要もなく、エアコンで涼しくなった部室で冷たい飲み物を手にしながら読書する。まさに天国だ。暑さによる苦しさとは無縁で、今日も至福の時間を堪能できる。


 と、思っていたが……。


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」

「ほら宮藤君。もっときりきり走らないか」


 隣から抜く際に俺の背中を叩いて、部長が声を掛けてきた。


 今日の文芸部の活動内容は、校庭でまさかのランニングであった。普段は室内で活動する文芸部がなぜランニングすることになったのか。それは、部室に現れた柏崎の一言が始まりだった。


 


   ※


 


「ちわーす」


 ホームルームが終わると俺は真っすぐ部室へ向かい、ドアを開けながら挨拶を投げた。


「やあ宮藤君」


 すでに来ていた早乙女部長が、小説が埋まった棚を整理しながら返してくる。


「相変わらず早いですね」

「いやなに、ただ単に教室が近いから誰よりも早いだけだよ」


 この部室は二年生の階にある空き教室を使っており、いつも早乙女部長が一番に着く。しかも、早く着いては部室の清掃、お菓子や飲み物といった物まで用意してくれており、部長という立場でありながら献身的に俺達に尽くしてくれている。


「それならせめてお茶入れくらいは俺達にやらせてもいいんじゃないですか? 普通そういうのは一年生がやるもんでしょ?」

「気にするな。私が好きでやっていることだ」


 そう言いながら備え付けの小さい冷蔵庫からお茶を取り出し、俺のカップに注いでいく。一言お礼を言い、一口飲む。喉から食道、そして胃へ冷たいお茶が通過し、夏の暑さで火照った体を冷やしてくれた。


 ふう~、旨い。やっぱ日本人ならお茶だよな。


「おはようごさいまーす」


 一息ついていると、二階堂が姿を現した。


「やあ、二階堂君。君もお茶飲むだろ?」

「はい。ありがとうございます」


 椅子に座りながら返事をし、部長が二階堂の分のお茶も用意し始めた。


「ういっす」

「なんだ、いたの宮藤」

「いるに決まってるだろ。部員なんだから」

「……ちっ」


 おいこら。何で今舌打ちした?


 ただ挨拶をしただけで舌打ちされるとか失礼だろう。だが、二階堂本人は気にすることもなく、自分のカバンから小説を取り出すと読み始めた。


「またミステリーか」

「当然じゃない」


 タイトルを見てみると、『四神の館殺人事件』と書いてある。どうやら、お馴染みのクローズドサークルミステリーのようだ。


「お前はよくもまあ飽きもせず、そういう系のミステリー読むよな」

「好きだからね。読んでて楽しいし」

「いまだに分からんが、何が楽しいんだ?」

「一番は謎解きね。クローズドサークルミステリーは、犯人が登場人物の中に必ずいる。事件が起きれば誰もが怪しく見えて、その中の誰が犯人なのかを考えるのが最高なのよ」

「解けたことあるのか?」

「ないわよ」


 ないんかい。


「六割ぐらいは自分の推理と合ってたことあるけど、全部はまだ無理ね」

「まだ、って。お前、完璧に推理するつもりなのかよ」

「そりゃあそうよ。解決編で自分の推理と合ってた時のあの気持ち。こう、頭の中が清んでいくような感覚なんだけど、とっても気持ちよくて忘れられないわ。六割でそれなんだから、完璧に解けた時はもっとすごいに違いないわ。いつか完全に見抜いてみせる」


 大丈夫か、こいつ? 言ってる内容が麻薬中毒者みたいなんだけど。俺には一生理解できない感覚だな。


 そんなことを思いながら、二階堂も読書をしていることだし、俺もラノベを読もうとバックに手を掛ける。しかし、ふと違和感に気付いた。


「あれ? そういや、柏崎遅いですね」


 やけに静かだと思っていたが、柏崎の姿がない。いつもなら俺の後、もしくは俺よりも早く部室に来ているのだが、今日は珍しく最後だ。


「たしかに遅いな」

「普段は真っ先に来て、冷蔵庫をチェックしていますもんね」


 二階堂の言う通り、いつもなら「今日のおやつは何でしょう!」と豪快に冷蔵庫を開けている。


「途中で事故ったか?」

「学校内でどうやって事故るのよ」

「いや、誰かとぶつかって……」

「まさか、怪我?」

「……を相手にさせてしまった、とか」

「そっち⁉」

「そりゃそうだろ。柏崎が怪我、なんてイメージ出来るか?」

「……出来ない」

「だろ?」


 小柄で一見弱そうだが、実際は最強と言ってもいいぐらいの力の持ち主。どう頑張っても被害者のイメージは湧かない。


「じゃあ、なんだろ?」

「神隠し、とか?」


 俺は頭に過った単語を口にした。


「いや、何でよ」

「いや、なんとなく」

「いやいや、学校内で神隠しなんかあるわけ……」

「あるかもしれんぞ」


 二階堂の前にお茶を置きながら、部長が真剣な口調でそう言った。


「えっ? 部長、あるって……」

「君達はまだ一年だから知らないかもしれないがな。この高校にはちょっとした噂があるんだ」

「噂、ですか?」

「ああ。その噂とは、突然生徒が行方不明になる、というものでな」

「行方不明?」

「一種の神隠しと呼ばれるものだ。昼夜問わず、忽然と姿を消すんだ」


 突然始まった部長の怪談話。まあ、夏と言えば怪談が挙げられるが。


「場所も様々だ。体育館であったり、階段であったり、渡り廊下であったり。さっきまでそこにいた友人が、振り返るといなくなっているんだ」

「まさに神隠しですね」

「そんな噂がうちの学校にあったんだ」


 入学して間もないが、そんな噂があるとは知らなかった。それに、ちょっと興味がある話だ。俺と二階堂は部長の話に耳を傾ける。


「と言っても、その人物は三日後にはひょっこり現れるんだがな」


 ……あれ?


「神隠し、って二度と姿を現さないんじゃなかったでしたっけ?」

「普通のならな。だが、うちの高校では三日後に必ず現れるんだよ」


 なんというオチ。怪談話かと思っていたが、まさかの肩透かしだ。


「な~んだ。別段怖くもなんともないですね。二度と現れない方が怖いのに、三日後には現れるなんて――」

「バカ者。現れるない方がよっぽどマシだ」

「えっ、何でです?」

「いいか? 神隠しにあった人間は別次元に飛ばされるんだが、そこでは時間の流れが違うんだ。こちらの世界では三日でも、向こうにいる間は何十年という時間が過ぎている」


 何十、年……。


「あれは去年だったか。一人の女子生徒が渡り廊下で神隠しにあったんだ。一緒にいた友人は探したが見つからず、三日後にその渡り廊下で女子生徒を発見した」


 居住まいを正し、部長に体ごと向き合う。


「制服はそのまま、後ろ姿も間違いない。友人は駆け寄り、肩を叩いて声を掛けた。呼ばれた女子生徒がゆっくり振り返ると、そこには可愛い顔をした生徒ではなく、皺々の老婆の顔があったんだ」


 シーン、と部室が一気に静かになる。


「いや、あの部長……冗談ですよね?」

「冗談ならいいんだがな」

「えっ!?」

「マジの話なんですか!?」


 二階堂と俺が驚きの声を上げる。


「言ったろ? 去年の話だと。これは実際に起きた話だよ」

「そんな……」

「……いやいやいや、部長。騙されませんよ? 実際にあったとか言っても、本当は作り話でしょ?」

「……」


 笑って問い掛けるが、部長は真剣な目で俺を真っ直ぐ見返してきていた。


 いや、あの……えっ、本当に? まさか……いやいや、そんなのが実際にあったら新聞やらニュースで取り上げられてるはずだ。けど、そんな話見たり聞いたりなんかしたことないぞ?


 そう自分で言い聞かせているが、部長の目からは冗談という色が見えなかった。


「さらに詳しく話すと、その神隠しが起こる場所はバラバラだが、一つだけ共通点があるんだ」


 重い口を開けるように、部長が話を続ける。


「共通点、とは?」

「日にちだよ。神隠しが起きる日はいつも決まっている」

「いつなんです?」

「……実は今日なんだよ」

「えっ!?」

「今日!?」

「だから、既に誰かが犠牲になっているかもしれない」


 まさか、柏崎がその犠牲者に?


「もしくは、これから起きるのかも……」


 そう言うと、部長が椅子からゆっくり立ち上がり、俺に近付いてきた。


 ちょ、部長何で俺をジッ、と見てるんですか? 嘘でしょ? まさか、今年の神隠しの犠牲者、俺!? 止めて! 俺はまだまだやりたいことが――。 


 ……バァァァン!


「みんな! 朗報です!」

「ぎぃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


  足音、そしてドアの開く音に驚いた俺と二階堂は叫び声を上げ、椅子から転げ落ちそうになった。


「どったの、二人とも?」


 振り返ると、そこには柏崎の姿があった。


「はあ、はあ、はあ……か、柏崎?」

「いつもと、変わらない、わよね?」

「そうだよ。私は今日も元気です!」


 俺達に向かってピースサインを突き出す柏崎。老婆にもなっておらず、柏崎が柏崎の姿であったことにホッ、と安心した。


「なんだよ、脅かすなよ」

「何かあったの?」

「いや、部長が怪談話をしたんだけどな」


 そう言ってから部長を見る。すると……。


「……っ……っ!」


 体を奥に向けた状態で、プルプル震わせながら笑いを必死に堪える部長の姿があった。


 部長ぉぉぉぉぉぉ! あんた最低だぁぁぁぁ!


「部長、酷いですよ。私、普通に怖かったです……」

「いやいや、すまんすまん。あまりに二人が食い付いて信じていたからな。ついノッてしまったよ」


 目に溜まった涙を拭いながら部長がこちらに振り返った。


 この恨み絶対忘れねぇ。いつか仕返ししてやる。


「はあ~、久し振りに笑ったな。それはそうと柏崎君、今日は随分顔を見せるのが遅かったが、どうしたんだ?」

「あっ、そうそう。それなんですが、朗報です朗報!」

「朗報とは?」

「ふっふ~ん。聞いて驚いてください。なんと今日は、校庭を使う運動部が全部お休みなんです!」


  へ~、運動部休みなんだ~。


「んで?」

「んで、って?」

「だから何なんだよ?」

「何言ってるのシュウちゃん! 運動部がいないという事は、校庭が使い放題という事なんだよ!」

「いや、だから?」

「だからじゃないよ! 使い放題なんだから、使わなきゃ勿体ないでしょ!」


 勿体ない、か……勿体ないか?


「つまり、柏崎さんは何を言いたいの?」

「もう、えりっちまで~。校庭が丸々使える。しかも、天気も良い。というわけで部長!」

「何だ?」

「今日の部活は外でやりましょう!」

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