第5話

『さあ、始めようではないか。私と探偵達の、生き残りを賭けた戦いを……』



 一ページ目には、真ん中にそう書かれていた。


 あ、冒頭はいい。こういう感じの始まり方は好みだ。


 戦い、という文字を見てほんの少し期待が上がる。ミステリーでありながら、剣を交えた激しい戦闘が繰り広げられる内容なのかもしれない。もしかしたら、読むことができるかも……。


 だが、その思いも次のページで砕けた。



『私は駅のホームへと降り立ち、次の目的地へ向かう電車を見送った。衣類や化粧品等が入ったボストンバックを足元に置きながら、長い時間電車に揺られ凝り固まった身体を伸ばす。筋肉の一本一本が少しずつ緩くなり、心地よい解放感が身を包む。大きく息を吸うと、澄んだ酸素が肺一杯に充満し――』



「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまって何⁉ まだ始まったばっかでしょ⁉」


 深々と頭を下げながら、俺は二階堂の小説を突き返した。


 これだよ。説明がくどいんだよ。筋一本一本がって、そんなの意識したことも考えたこともないだろ。何でこんな事細かく書くんだろうな~。だから俺はミステリーが嫌なんだよ。


「こんなん二、三行で済ませろよ。一ページ丸々主人公の動作を書いてるじゃねえか」

「主人公が今どんな気持ちでここに立っているかを示すのは当然じゃない」

「そんなもんはいらん。事件が始まる部分から開始してくれよ」

「バカ。ミステリーよ? いきなり事件が始まってどうするのよ。事件が起こる場所に至るまでの行程、登場人物達の紹介、事件発生、そして解決。順序よく展開が進むのがミステリーの形よ。文句言わずにさっさと読みなさい。あんたの所で止まってるじゃない」


 二階堂の指摘で横を見ると、すでに部長が読み終えた分の紙が十枚近く重なっていた。


 投げ捨てたい所だが、今回はこれが部活内容だ。嫌々ながらも、俺は次の紙に手を伸ばし、続きを読む。



『駅を出た私の前に広がっていたのは、殺風景な町並みだった。円形のロータリーと思われるが、バスやタクシーは一台もなく、人の姿すらなかった。中央には噴水と思われる水瓶を抱えた女神らしき像が鎮座している。しかし、所々剥げたりひび割れており、水は弧を描いてはいない。もう何年も機能していないのだろう。上空を見上げている女神は悲しく涙を流したい所だろうが、その水分も枯渇して――』



「誰か胃薬持ってない?」

「胃もたれすんな! これぐらい耐えなさいよ!」


 なるよ。こんな目の前の光景が延々と続く描写。とんこつラーメンに入ってるギトギトの油が腹に溜まって溜まってくるみたいに、目を通して重くのしかかってくる感じだよ。俺はあっさりした塩味が好きなんだ。水瓶持った女性像でいいじゃんか。なんで一々その状態を書くんだよ。ちっとも話が進んでねぇ。


 それでも耐えながら俺は読み進め、三枚目へ入る。そのページも風景ばかりだった。


 またか……まあ、さすがにそろそろ誰かしら出てくるだろ。そうなれば、少しは展開が変わるはず。


 しかし、四枚目五枚目と行くが、主人公以外の人物が現われる気配が全くなかった。舞台となる場所へ歩いては、空や林といった周りの風景ばかりである。


「……なあ、二階堂。質問いいかな?」

「何よ? 変な表現あった?」

「いや、それじゃない。この主人公が見た景色の件はどれくらい続くんだ?」

「えっと……あと十枚くらい、かな?」

「十⁉ 長すぎるわぁぁぁぁぁ!」


 いい加減我慢の限界が越え、テーブルを叩いてしまった。

「一歩毎の光景書いてるのか⁉ 何で十ページ以上も続くんだよ!」

「そりゃあまあ、ミステリーは読者にきちんと手掛かりを明記してなきゃいけないから、詳細に書かなくちゃ」

「その手掛かりはここにあるのか?」

「いや、ないわね」

「じゃあやっぱいらねぇじゃんかよ! それは手掛かりになる部分だけでいいじゃん!」

「そんな書き方したらすぐにトリックも犯人も分かっちゃうじゃない。読者を欺くため、どこに伏線が張ってあるのかを誤魔化す。いや~、大変だったわ」


 大変だったわ、じゃねぇよ。現在進行形で俺が読むのに大変だわ。


「でも、大丈夫よ。もうすぐ登場人物が全員出てくるし、そしたらすぐに事件が起きて本編を堪能できるわ」


 自信作なのか、二階堂は胸を反らしながら先を促してくる。すでに読む気力がないどころか、興味すら失ってしまっているのだが。


「宮藤君、もう少し頑張れ」

「無理っす。このまま読み進めたら晩飯が入らないです」

「ホント? じゃあ、シュウちゃんの分のドーナツもらっていい?」


 部活の際にはおやつが各自に出される。今回はドーナッツなのだが、柏崎が俺の分のドーナッツを取ろうと手を伸ばしてきたので弾き落とした。


「それはダメだ柏崎。俺の脳が甘いものを要求している。貴重な糖分だ」

「それだったら砂糖舐めれば?」


 何で調味料の直なんだよ。食いもんで摂取させてくれ。


「お前にも配られただろ。自分の食えよ」

「もう食べちゃった」

「早いな!」

「だけど、私の胃袋がまだ欲しいって叫んでるんだよ。だからお願い!」

「ダメだ」

「ケチ!」

「これはケチとは言わん」

「スケベ! 変態! ストーカー予備軍!」


 止めてくんない⁉ ドーナツ一つで何でそこまで言われなきゃならないんだよ!


「二人とも部活中だぞ。無駄話をせずにさっさと読まないか」


 目線は小説に向けながら部長が注意してくる。


「俺じゃなくて柏崎が……」

「シュウちゃんが……」

「言い訳をするな」

「でも……」

「でも……」

「そうか……まだ言い訳をするなら、そこの棚に保管してある君達のラノベと漫画を売って部費に回すが構わないか?」

「宮藤君、早く読んでください」

「すみません、柏崎さん。今すぐ回しますので少々お待ちを」

「宮藤君、ネクタイが緩んでいますわよ」

「ご指摘ありがとうございます。柏崎さんも猫背になっていますよ。腰に悪いので背筋を伸ばしてください」


 部長の脅迫のおかげで俺と柏崎は気持ちを切り替えられ、姿勢を正して部活に集中した。


「……はぁ~。気持ち悪」


 呆れ混じりの、深いため息を付く二階堂の声が部室に静かに響いた。 

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