第16話

『ほら。頼まれた本持ってきたぜ』

『ありがとう、修也。ごめんね、毎回毎回』

『気にするな。大した手間でもないし』


 中学二年の春。


 自宅から自転車で約二十分ほど離れた総合病院。その一室。俺はここに入院している親友の篤志に毎日の様に足を運んでいた。


 篤志とは小学生の頃に知り合った。同じクラスとなり、席が隣も同士ということですぐに打ち解け、瞬く間に親友と言えるほど仲が良くなったのだ。


 ただ、篤志は昔から身体が弱く体調を崩すことがあった。最初は学校を休む程度だったが、高学年からは入退院を繰り返し、歳を重ねるごとにその回数も増えていった。


『いや~、この続きが気になって気になってね。朝からずっと落ち着かなかったよ』


 そう言いながら頼まれた本を篤志が受け取る。


『ホントは母さんや姉ちゃんに頼めばいいんだろうけど、二人とも忙しいからね。修也には感謝だよ』

『うんまあ、持ってくるのは構わないんだけどさ。せめて読んだやつと入れ替えるとかした方がいいんじゃないか? タワー形成してんじゃん』


 チラッとベッドの脇の棚を見ると、そこには大量の本――ラノベがスカイツリーの如く高く積まれていた。


『面白いから読む手が止まらなくなって、気づいたらこんなになっちゃった。看護師さんに怒られちゃったよ。あはは』


 はにかみながら頭を掻く篤志。怒られたと言いながら、たぶん整理するつもりはないのだろう。


『あはは、じゃねぇよ。今にも崩れ落ちそうじゃねぇか。そっち持って帰るぜ』

『ああ、ダメだよ修也。まだ保存回を読んでないんだから』

『保存回?』

『ほら、好きな物は鑑賞用と保存用と実用に用意するって言うじゃない?』

『聞いたことあるな。でも、ここには一冊だけだぜ?』

『さすがに三冊も買う金銭的な余裕なんてないから、僕は読んでそれをやってるんだよ。一回目は鑑賞でさらっと読んで、二回目は頭にインプットしながら読む、的な感じでね』

『えっ、一冊を何回も読むのか?』

『当然だよ。それに、面白い作品は何度読んでも楽しいからね』


 そうなのか? 一度読めば内容は覚えてるし、二回も読む必要はないような……まあいいか。読み方なんて人それぞれ。篤志はそういう読み方をしているわけだ。


『あれ? それだったら保存の二回でいいじゃん。実用って何なんだ?』

『登場人物の女の子達と戯れる妄想をするための回』

『それただのイッちゃってる人じゃねぇか!』


 篤志。それは越えちゃならない一線だ。今すぐ引き返してこい。


『何言ってんだよ修也。ラノベ読者なら誰でもする事だよ?』

『嘘だ。絶対嘘だ』

『嘘じゃないって。その証拠にほら。これ見てみなよ』


 篤志はタワーから一冊のラノベを抜き出し、あるページを開いて俺に見せてくる。そこは挿絵が挟まれたページだった。挿絵とは本のページに入れる絵の事で、ラノベではそれが組み込まれている、と以前篤志から聞いた。


 見せてきた挿絵はウェーブの掛かった長髪の女の子で、なにやら頬を染めている絵だった。


『この子、どう思う?』

『どう、って……まあ、可愛いと思うよ』

『もみもみしたいおっぱいの大きさしてない?』


 おっぱい!? 容姿じゃなくて!?


『次はこれ。主人公とぶつかったシーンだね』


 驚いている俺を無視し、篤志は別のラノベを取り出す。


 そこには、篤志の言うようにぶつかったのだろう、尻餅をついたツインテールの女の子がいた。


『やっぱ縞パンツが一番ドキドキするよ。動物の絵が載っているのはもう邪道だよね』


 今度はパンツ!? ツインテールの子はどうした!


 たしかにその挿絵はスカートが捲れ、縞パンツが露になっている。


『じゃあ、次』

『ちょ、ちょっと篤志待ってくれ。さっきから何を――』

『この表紙の子。身体を包帯だけで隠すとかド変態だと思わない?』


 だから何の話だよぉぉぉ!? それに篤志、少しは場所を弁えてくれ! ここ病院だからな? 他にも入院してる人がいるから。そんなことでかい声で口にしてたら――見ろ。見舞いに来た隣のお母さん、物凄い痛い目をしながらカーテン閉めちゃったぞ!


『はあ~、やっぱラノベは可愛いかったり独特の女の子が出てくるから堪らないよね』


 ラノベを抱き抱え、周りの冷たい視線に気付くことなく篤志は惚けていた。


『お前、登場人物の女の子が見たくてラノベ読んでるのかよ』

『いやいや、それだけじゃないよ。もちろん物語だって面白いから』

『……』

『あっ、信じてない目』


 そりゃそうだろ。今のお前を見てそれを信じろと言われても。


『女の子は可愛いよ? でも、それを最大限に活かしているのはやっぱり物語なんだよ。設定から世界観、そして主人公の男の子とのやり取り。これが絶妙なんだ』

『……』

『そりゃあ、パンツ見られたりおっぱい見られたりするエッチなシーンもあるけど、それだって物語を引き立てる一つの要素に過ぎない』

『……』

『なんで信じてくれないんだよ!?』

『信じられんな。だってお前、変態だし』

『変態じゃない。最低限のエロを持っていて、それを隠さず表に出しているだけだよ』


 それを世間では変態と言うんだよ、篤志。


『というか、僕より修也の方が変態じゃないか。小学生の頃、近所の公園の裏の茂みにあるエロ本を見に行こう、ってよく誘ってたじゃん』


 やめろ! 俺の恥ずかしい過去を掘り下げるな――お母さん、カーテンの隙間から覗かないでください! 子供の頃の話です!


『あ、あれは小学生だからいいんだよ! まだ微笑んで許される歳だ。でも、俺達もう中学生だぜ? さすがに自重する年齢だ』

『まあそうなんだけど、ラノベを読むと衝動が抑えられないんだよね。作品の面白さと、それを見事に支えているエロを口に出して伝えたい、って』

『やっぱりエロを言いたいだけじゃねぇか!』

『だから違うってば。エロはあくまで一要素』

『はいはい、分かった分かった』

『なんだよそれ。よーし、じゃあ今からそれを証明してあげる』


 そして篤志は一冊一冊、そのラノベがどんな内容なのか、魅力的なシーンやキャラが際立っているシーン等を詳しく俺に説明してきた。キラキラと目を輝かせ、満面の笑みを浮かべながら。


 いつもの日常。


 見舞いに来る度にやる行事と化しており、俺も篤志のそんな姿を見るのを毎回楽しみにしていた。


 ※


 そんな日々を過ごし、明日からゴールデンウィークを迎える。今年は土日を含む大型連休で、その間俺は家族で田舎のばあちゃん家に行くことになり、それを伝えるため篤志に会いに病院へ足を運んだ。


『そっか。じゃあ、しばらく会えないね』

『悪いな』

『いやいや、自分の家族との約束の方が大事なんだから気にしないでよ』


 そう言いながらも、篤志はどこか寂しそうだった。


『いいな~。僕も出掛けたいよ』

『何言ってんだ。退院すればどこにでも行けるだろ』

『そうだけど、今回は長いからちょっと退屈』

『それももう少しの我慢だ。今までだって良くなって退院してただろ? そしたら思う存分できる』

『……そうだね。その時はまたどこか連れてってよ』

『まかせな。すでにいくつかの場所をピックアップしてるぜ』


 俺は親指を立てて篤志に向ける。


『修也のおばちゃん家ってどこだっけ?』

『青森だ』

『青森か~。美味しい魚介とか食べ放題だね』

『まあこっちと比べればたしかに旨いな。でも、食べ放題とまではいかないな。それにどっか出掛ける予定もないし』

『そうなの?』

『ああ。元気だよ、って顔出しに行くだけみたいなもんだからな。家で漫画読むか携帯ゲームやってるぐらい』


 近くにゲーセンもないので、中学生の俺からすれば退屈な時間だ。


『出掛ければいいじゃない。もしかしたら、可愛い女の子と出会えるかもよ?』

『ないない。そんなの』

『分からないよ~? 見慣れない道を歩いてたら化け物に襲われて、殺されそうになったところに颯爽と武器を持った女の子が助けに来て、女の子から闇の世界の存在を知って修也も一緒に戦う羽目に――』

『篤志、例えるなら現実的な例えを使ってくれ……』


 そんな異次元のような話を振られても答えられないから。


『まあ、家でだら~りとのんびりしてるさ』

『そっか……あ、じゃあさ、これ持っていきなよ』


 そう言うと、篤志が一冊のラノベを俺に差し出してきた。


『ラノベ?』

『そう。いい機会だから修也もラノベデビューしなよ』

『ラノベデビューって。俺、小説とか読まないぜ?』


 篤志とは違い、俺は小説の類を読んだことが一度もないのだ。どうも文字だけの本というのは堅苦しくて手に取ろうとは思えない。


『大丈夫だよ。ラノベは小説だけど小説じゃないから』

『ごめん、意味わからん。小説だけど小説じゃない、ってなんだよ』

『修也が思うほど堅くない、ってこと。ラノベは気楽に読めるようになってるから。小説に慣れようとする人にもオススメだよ。修也もきっと気に入るはずさ』

『そっか? んじゃあ、借りてくかな』


 俺は篤志からラノベ小説を受け取る。


『これはどんな話なんだ?』


 タイトルを見ると、『剣と魔法とツインテールと』と書いてあった。


『タイトルからも分かると思うけど、簡単に言えば剣と魔法で戦う学園バトルもの。そんで、ツインテールの可愛い女の子がバシバシ出てくる』


 学園もので、ツインテールが出てくるのか……って、何でツインテール限定なんだ?


 そんな疑問を持ちながら、ふともう一つ疑問が生じた。


 そう言えば、篤志からラノベの話を説明してもらってたけど、ほとんどが学園ものだったな。


 今更ながらそんな共通点に気付き、尋ねてみた。


『ラノベの読者層は中学生、高校生辺りからだから、親近感が沸きやすい学園ものが多いんだ』


 へ~。たしかに表紙の絵とかを見ると、大人というよりそれぐらいの年代向けに描かれてるな。


『それに、僕は入院が多いからね。あまり学校にも行けないし、そのせいか学園ものに自然と目が向かうよ』


 いつもの元気さが嘘のように、篤志は弱々しくそう言った。


『……悪い』

『ううん、平気。学校には行けてないけど、修也の学校生活の話が面白いから、僕も通っている気分になるよ』

『別に、大したこと話してないだろ。かったるい授業受けて、休み時間にはクラスのやつとくだらない話をして、放課後になったら帰る。その毎日を繰り返してるだけだ』

『たしかに、金髪の女の子が転校してこないし、問題児が実は学校のトップに立つ程の人物だったとか、そんな話はないね』

『そんなもんあったら一大事だろ。真っ先にお前に伝えるわ。何にもない普通の時間、つまらない毎日だ』

『僕にはそれは楽しい物語なんだよ。修也達には当たり前の日常が、僕にとってはラノベの輝く一ページと変わらないんだ』


 当たり前の日常、か。


 その言葉は時々、人を悲しませる言葉となることがある。同じ事を繰り返すうちに、それは呼吸と同じ様に自然な流れとなる。その流れは人によって様々だ。


 俺の場合は毎朝同じ時間に母に起こされ目を覚まし、朝飯を食って家を出る。学校までの道程は、自分で見つけた最短のルート。公園を横切り、抜けた先の細い路地に入る。抜け出てすぐに左へと曲がり、少し歩けば赤信号。青に変わるまで二十秒だ。そのまままっすぐ歩き、駅前通りの道路を突っ切る。そして見えてくる自分の通う学校。授業を受けて帰宅。テレビを見て晩飯を食い、風呂に入って寝る。これの繰り返しだ。


 だが、篤志は違う。


 篤志は目覚めて朝食を食い、体調を知るために検査をし、後はただベッドで横たえてラノベを読むだけ。それが篤志の日常だ。同じ日常でも内容は全く異なる。


『僕の中にはない日常。それを修也は持ってる。だから、僕には眩しいくらいに輝いている特別な物語なんだ』

『何が輝いている、だ。それだって、お前もすぐにその物語の中の人物になるだろ』

『そうかもしれない。でも、そうならないかもしれない』

『なんだよ、それ。弱気になるなんてお前らしくもない』


 いつも前向きの姿勢を貫いている篤志には珍しい言葉だ。


『篤志……大丈夫か?』

『……ごめん、ちょっと疲れてるかも』


 弱気な発言を滅多にしない篤志が疲れていると言う。これは、相当疲れている証拠でもあった。


『だったらゆっくり休めよ。今日はもう帰るからさ』

『うん、そうするよ』

『んじゃあ、またな』

『うん、また。あ、修也。帰ってきたら、そのラノベの感想聞かせてよね』

『ああ』

『……借りパクしないでよ?』

『しねぇよ。何で俺がパクんだよ』

『だって修也、そういう子が好みじゃん』

『俺がいつツインテールが好みと言った!?』

『え? だってこの前、巨乳か貧乳どっちが好きかって話した時、貧乳って言ったじゃん』


 ちげーよ! それはスタイルじゃなくて性格で選んだんだよ! 巨乳の子は高慢ちきだけど、貧乳の子の方がシャイだったからだ!


 ちなみに、俺は巨乳でも貧乳でもなく、普通の大きさの子が好きだ。


『ったく。ちゃんと返すに決まってるだろ』

『よかった。約束だよ?』


 そう言うと篤志は右手を突き出し、手の甲を俺に向けてくる。これは俺達二人で決めた誓いの動作。お互いの手の甲を合わせて約束を守る、世間で言う指切りげんまんみたいなものだ。


 昔から何十回と交わした動作。手慣れた手つきで篤志の甲にコツン、と自分の甲を合わせる。


 そして俺は篤志と別れ、ゴールデンウィーク迎えて家族でばあちゃん家に行った。


 ※


 到着して三日後、やはり暇な時間が発生し、寝室に当てがわれた部屋でゴロゴロしていたので、篤志から借りたラノベをバッグから取り出す。


『さあて、どんな内容なのかな、っと』

 横になりながら一ページ目を指で開く。読みやすいと言われながらもやはり小説。最後まで読むことは出来ないのではないか。そんな思いを持ちながら俺は文字を追っていった。


 そして、数時間後。


『……やっべ、普通に面白かった』


 なんと俺は読破してしまった。最初は文字だらけのページに体がムズムズしていたが、読み進めるうちに次の展開がどんどん気になり、捲る手が止まらなかったのだ。


『なるほど。これが篤志の言っていた"世界に入り込む"、ってやつか』


 楽しい物語を読むと時間や周りに一切意識を向けず、読書に集中することがある、と以前篤志が説明していた。その物語にだけ目が向かい、まるでその世界に入って目の前で繰り広げられているかのような錯覚を覚える、と。当時は一切理解できなかったが、今ようやくそれを実感した。


『ラノベは小説だけど小説じゃない、とも言ってたけど、それも分かる』


 そう。ともかく読み易かったのだ。余計な説明がないというか、必要最低限の言葉でテンポよく話が進み、あまり頭を使わずに読むことができた。これまで小説の類いを読んだことのない俺が短時間で読破できるほどにだ。


 また、途中に出てくる挿絵もその効果の一因ではないだろうか。文字だけではイメージしづらい部分もあるように思えるが、挿絵がそれを明確化し、より鮮明にしてくれる。


 十四年と四ヶ月。俺は人生で初めて小説の面白さを知ることになった。


『これ二巻以降あるのかな? 帰ったら篤志に借りるべ』


 続編が気になってしょうがない。できることなら今すぐ篤志に会いに行きたい所だが、今俺がいるのは青森だ。帰るのは三日後。それまではおあずけだった。


『そうだ。たしか篤志は一冊を二回以上読むって言ってたな。それに、感想を言う約束もあるし、もう一回読むかな』


 俺がラノベを気に入った。それを伝えれば篤志はとてつもなく喜ぶだろう。その姿が容易に想像できた。これからはラノベ談義により一層華を咲かせることだろう。


 しかし、待ち受けていたのはそんな楽しい未来ではなく、枯れ果てた絶望だった。

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