第6話 反芻
季節はもう移ろう間近。肌寒くなる頃。
長方形の大きな箱のような建造物が幾つか並べられており、大きさは一定ではなく疎らで、所々凸凹になっている。といってもそれ程極端なものではなく、ある程度の高さで定められているようだった。
手前の広場は青々とした芝生が敷き詰められていて、きちんと綺麗に短く刈られている。手入れされているようだった。
敷地中央には小さな噴水があって、その周りでは子供が円を描くように走り回っている。
追いかけ合っているところから、鬼ごっこでもしているのだろうか。また、少し離れた場所では、しゃがみ込んで手で目を隠している子供もいた。
これは、かくれんぼだろうか。
近くで看護婦が見守っている。
しかし子供の邪魔にならないようにしながら、それでいてしっかり注意を払いながら。
烈はライズリーフに訪れていた。
右手には、一輪の花を持って。
赤色で、スカートに似ている、大きくも小さくもない花びらが連なる、可憐な花であった。
茎は、細い。
アインランド北東にある深い森を抜けて、ちょっとした坂を上がると、白亜の建造物が視界に写る。そこで烈は一度立ち止まった。
遠くからでも十分に分かる、その巨大な出で立ち。
ライズ・ホスピタルを見上げ、眺める。窓がいくつかあって、その数だけ、中に部屋があるのだ。
そしてややあって、烈は足を踏み出す。芝生は建造物へと導く為の通路があって、そこは煉瓦が不規則に敷き詰められている。
進んでいくと、案内掲示板がある。ホスピタルに関するお知らせの紙が貼られていたり、周囲の事柄に関係することでの知らせがあったり、様々な広告で埋められる時もあるが、時折何もない場合もある。もっと先には建造物に進入する為の自動ドアがあった。行き交う人々に合わせてドアは忙しなく開閉を繰り返している。まるで都会の仕事人のようだ。烈は、人の中に紛れ、建造物の中へ進入する。
中は開放的で、決して明るくはなかった。
薬独特の臭いが鼻腔を擽った。
正面は受付カウンターで、白や桃色の制服を着た人間が訪れた一般人に笑顔で対応している。制服を着た人間は男性もいたが、女性の方が圧倒的に多いようだった。
カウンターだけではなく、足早に歩く者もいた。皆バインダーを持っていたり、医療道具を乗せたキャリーを押していたり、椅子に腰かけている人間と話をしていたり、白衣の男性を筆頭に制服を着た人間が何人か歩いていたり、性急だが、どこか静謐で、どこか物寂しげだ。
烈は、行き交う人々の間をすり抜けて、カウンターの奥にある廊下へと向かった。
歩けば歩く程、ロビーよりも人は少なくなってゆく。目指すは、エレベーターだ。そしてそれを利用して、上にある12階へ―――。
12階に到着し、ベージュのカーテンが閉め切られた薄暗い廊下を歩く。
すれ違う者は、一人もいなかった。それは仕方がなかった。
元々この病練に訪れる人間は他の病練よりも遥かに少ない。
病室に患者がいても、面会謝絶か、厳しく定められた時間のみ面会を許可されているか、どちらかの患者のみだからだ。
コツ、コツと、靴が床を叩く音だけが辺りに響いては、すぐに消え、また響く…。
何歩か歩くと、ある病室が目前になる。そこが烈の目的の場所だった。あと数歩程。そのとき、僅かな話声が耳に入る。
烈は、部屋外の横、壁を背凭れにして、立ち止まった。隠れるようにして。
「…ここにくるの、久しぶりだね」
その声は、若い女性の声だった。
「…そうだね。もう一年ぶり…くらいだったかな」
返答をしたのは、男性の声だ。
両者は声量を抑えながら、喋っている。
「変わってないね…」
茶髪の女性は、ベッドに横たわる少女の頬に手を添えて、懐かしみ、憂えた表情をしながら呟いた。
「いろは…」
だが、少女が女性の声に応えることはなかった。
いろはと呼ばれた少女の肌は雪のように白く、短い黒髪が、とても幼いイメージを際立たせている。いうなれば白雪姫のような…。
そう、少女は眠り続けていた。
数年もの間、ずっと。ずっと…。
ベッドの横に配置されている心電図が、ピッ、ピッ、と、緑色の一本の線を規則的に脈打たせていた。
腕には管が通い、口には、呼吸器が取り付けられている。
それが少女の命を左右するものだと、強かに主張していた。
「しょうがないよ…。眠っているから、歳を取っていないんだ…。身体の老化が、伴って休眠状態に入ってるんだって…」
原因は、分かってないけど。
言い聞かせるように、男性は続ける。
男性が言うように、少女の年齢を容姿だけで憶測するならば、14歳そこらではないだろうか。しかし実年齢は、正しくは印象からは誤差が生じてしまうのだ。
「…しょうがないだって?」
女性は、少女に視線を向けたまま、その言葉に噛み付いた。
「しょうがないもあるもんか」
声に覇気が含み、声音がありありと圧を増した。
「あいつが来たからだよ…。あいつがいなけりゃ、真白は、こんな状態になっていなかった…。あいつが、あいつがいなければ…!あいつさえ…!」
「…その話は、止めろって言ってるだろう?そうじゃないって…」
…分かってるよ、と、女性は少女の小さな手を握り、嘆いた。今にも泣きそうに、喉を震わせて。半ば八つ当たりに叩きつけた悲しみだった。
ーーー烈は、振り返り爪先を先程通ってきた通路に向ける。
浮かせた踵を軽やかに置いて、床を踏みしめた。部屋には入らず、静かにその場から立ち去る。話声は尚も耳に入ってきたが、次第に内容も全く聞こえなくなっていった。
静寂な廊下に一人分の足音だけ―――…
それは誰にも気付かれることはない、些細な音だった。
I 餅米 @wjpwwjpw
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