魔族領レビュウス編

前哨戦 二人のラルガの宮廷魔道士

閑話 神界にも雷は落ちる

 今日の彼女は朝から御機嫌だった。

 無理もない。今日は、彼女が待ちに待っていた五日に一度のビールが献上される日なのだ。

 五日前からずっと楽しみにしていた待望の瞬間の訪れを目前にして、彼女が大人しくしていられるはずもない。

 朝っぱらから意味もなく自分の神殿の周囲をうろうろしたり、他の神の神殿に突撃してみたり、まだ約束の時間でもないのに水鏡の間に何度も訪れては水鏡を通して下界の様子を眺めたりしていた。

 神というものは、多忙な時は多忙だが、実は存外暇を持て余している存在なのだ。

 彼女は水鏡の間に自分の神殿から持ち出してきたビールやつまみ代わりの木の実、果物の蜂蜜漬けといったこの世界ではポピュラーな甘味などを持ち込んで即席の宴会場を作り、まだ昼間だというのに酒盛りを始めた。

 無論、宴会場と称してはいるが、彼女以外の神は此処にはいない。

 彼女は夕方になるまでに、一人で最後の缶ビールと、エールを大樽で二つと、果実酒を瓶十五本空にして──そうしてほろ酔い気分になったところで、ようやく他の酒飲み仲間も水鏡の間へと姿を現したのだった。


「うわっ……壮絶だな。おいアルカディア、お前ひょっとして朝っぱらからずっと此処で酒盛りしてたのかよ。公共の場がたった半日でえらい変貌を遂げたもんだな。しかも何か酒臭いし……一体どれだけ飲んだんだよ。飲むなとは言わないが、少しは節度持てよな」

 床に散乱する空の瓶を跨ぎながら、ソルレオンは空いている場所に胡坐をかいて座った。

 続けてどすどすと大きな足音を立てながらやって来たシュナウスが、その辺に転がっていた空の酒樽をひょいと持ち上げて、自らの能力で生み出した自分そっくりの使い魔にそれを持たせて片付けるように命令する。

 主人と同じように二個の酒樽を担いで何処かへと去っていく使い魔を見送りながら、シュナウスは肩を竦めた。

「んもう……駄目よ、アルカディアちゃん。此処は貴女のお家じゃないのよ? 此処は神界のみんなが使う場所なんだから……」

「何よ、私が何処で飲もうが私の勝手じゃないの。私はビールじゃない水みたいにぬるくて薄い普通のエールとかで、今まで文句も言わないで此処でずっと大人しく待ってあげてたのよ? 我慢してたことを褒めるならともかく、どうして貴方たちに怒られなきゃならないのよ。理不尽だわ」

「普通はこんな場所で酒盛りなんてしないんだよ。ほら、散らかってるやつ片付けろよ。スーウールが見たら絶対に騒ぐぞ。あいつ、自分も結構散らかすくせして人がだらしなくしてるのを見るのは嫌いだからな……お前だって説教増えるのは嫌だろ。ほら、起きろ」

「えー……後でいいじゃないの。これなんてまだ中身残ってるんだから」

「いいからっ、寝転がってないで空のやつだけでも片付けろ! オレも手伝ってやるから! ほら!」

 散々騒ぎ立てられて、アルカディアは渋々横になっていた身を起こした。

 手にしていた果実酒の瓶に残っていた僅かな中身をくいっと飲み干して、甘ったるいと文句を呟きながら手近なところに放置されていた空の瓶を拾い集め始める。

 そうして両手に六本ばかり瓶を抱え込んだところで──新たに水鏡の間に踏み入ってきた気配に気が付き、彼女は溜め息混じりにそちらの方を振り向いた。

「やっと来たの? スーウール。遅刻じゃないけど、来るの遅いわよ。せっかく貴女が甘味って騒ぐだろうと思って蜂蜜漬け用意してきてあげたのに……もう少しで私が全部食べちゃうところだったわよ? 甘ったるいお酒に甘ったるい甘味なんて、何の拷問かと……」

「……成程。まさか私の知らないところで、このようなことをしていたとはな……君たちを生み育てたのは私であるとはいえ、神ともあろう者が実に情けないことだ」

 アルカディアの言葉に応えたのは、彼女の予想とは全く異なる、しかし嫌と言うほどに聞き覚えのある──絶対にこの場で耳にしてはならないと誓いを立てていた、声だった。

「……えっ」

「あっ……」

「やっ……」

「……すまぬ、兄上……妾が迂闊だったのじゃ……許してたもれ」

 彼の傍で、彼の纏うヒマティオンの陰に身を隠すようにして佇んでいたスーウールが、今にも泣き出しそうな顔をしながら俯いて身を震わせている。

 銀髪小麦肌の美丈夫から向けられる射抜かれるような視線を受けて、絶句していたアルカディアたちが、同時にその名を口にした。

『……お、大主神様……!』


 水鏡を背に並んで正座している四人の神。

 その周囲に散乱している空の酒瓶やら何やらを見回して、大主神アインソフは心底呆れたように溜め息をついた。

 右手には、空っぽになったビールの缶が握られている。

「……それで、君たちはこの『ビール』なる異世界の酒欲しさに目が眩み、下界の異世界人に神の能力を授ける見返りとして酒を奉納しろと……そう、要求したと言うのだな」

「わ、妾は酒などという不味いものなど要求してはおらぬぞ、大主神様! 妾が欲したのは酒などよりも安価で庶民的な『アイス』という甘味である故、そこにおるポンコツなどと同列視されて叱られるのは理不尽じゃ! 叱るのならば、酒などという高価な嗜好品を要求しておった兄上以外の二人だけにしてたもれ!」

「ちょっ、ちょっとスーウール! 何貴女一人だけちゃっかり逃げようとしてるのよっ! 元はと言えば貴女を此処に呼ぶ気なんて私にはなかったのよ! シュナウスどころか、ソルレオンにだって最初は秘密にしてたんだからっ!」

「……はぁ、お前は色々危機管理が甘い奴だからな……昔から、そうだったもんな。最初にオレにバレてる時点で隠し通すのは無理なんだって察しろよ。そこで懲りてれば、オレだって……」

「何よっ、貴方だってオレも真似したらーなんてノリノリだったじゃないのっ! 何でもかんでも私のせいにしないでちょうだい!」

「アルカディアちゃん、ソルレオンちゃん、こんな状況下で喧嘩なんてしないで。貴女たちが醜く争ってる姿を見るのは……アタシ、悲しいわ」

「他人事みたいな顔しないでちょうだいシュナウス! 大体ね、貴方がスーウールまで連れ込んだりしなかったら、大主神様にバレることもなかったのよっ! こうなったのは貴方の責任なのよ! その辺ちゃんと分かってるわけ!?」

「──君たちは黙っていたまえ」

 ぎゃあぎゃあ騒ぎ始める四人を、アインソフは表情ひとつ動かすことなく一喝する。

 ぴたり、と瞬間的に凍り付いたかのようにアルカディアたちの動きが止まった。

「大体の話は、スーウールを初めとする者たちから聞いている。君たちが異世界の物品を要求する見返りとして、神しか持つことを許されない能力を特定の異世界人に与えたということ……その中に、事もあろうに禁呪であるデュプリケートまで含まれているということもな。……まさか、異世界人とはいえ普通の人間相手に直接干渉するどころか、そのようなことまでしていたとは……そんなにも、君たちにとって魅力的な存在なのか? この『ビール』というものは」

「……そうよ、ビール以上のお酒なんて、この世には存在しないわよ。ビールこそ至高、ビールこそ命の水なのよっ! 大主神様も一度ビールを味わえば、絶対に私たちの気持ちが理解できるはずよ! これ以上のお酒なんてないってことが! ……そうだわ、せっかくだから大主神様も、一緒にあのおっさん君にビールが欲しいって頼んでみたらどうかしら!? 丁度今日が献上の日だし、おっさん君だって、追加で大主神様の分もビールを用意することくらい、何てことはないはず……!」

「……呆れたものだな。私がこうして諌めても反省するどころか、私にまで加担しろと言い出すとは……神とて命ある存在、多少の欲望を抱くことは仕方のないことだと思ってはいたが、流石にここまで来ると……限度を越えているな」

 嬉しそうにビールの魅力を力説し始めるアルカディアを冷たく睨んで、アインソフは手にしていた空き缶を無造作に後方に放り投げた。

 投げられた空き缶は弧を描きながら青白い炎に包まれ、一瞬にして燃え尽きた。

 薄い金属の容器とはいえ、空き缶を一瞬で灰すら残さずに焼き尽くしてしまうとは……自分たちの持つ能力を遥かに超えた『神の力』にソルレオンは本能から恐怖心を抱いた。

 アインソフは原初の神。自分たちを含めた全ての神々の父たる存在。同じ神とはいえ、その存在が根本的に違うのだ。

 彼がその気になれば、普通の神など抗うことすら許されずに一瞬で消滅させられてしまうだろう。それだけの力を、彼は持っている。

 大主神に、逆らってはならないのだ。絶対に。

「……一度与えてしまった神の能力は、如何なる手段を用いても取り上げることはできない。この私の力と権限を持ってしてもな。幸い能力を与えられた人間は力を間違った方向には使わぬ正しい信念と倫理観を備えた者だということだから、この者に対して私が直接手を下す必要はないだろう。……しかし、己の欲にかられて安易に能力を与えてしまった君たちには、罰を与えなければならない。それが掟だ」

 アインソフは右手で宙をすっと真横に切る仕草をした。

 すると、四人の周囲に純白に輝く人型のようなものが幾つも出現した。

 これは、彼が能力で生み出した使い魔だ。原初の神として膨大な魔力を身に宿したアインソフは、シュナウスと異なり、同時に幾つもの使い魔を生み出すことができるのである。彼がその気になれば、それこそ何十、何百という単位で。

 生み出された使い魔たちはアルカディアたちを無理矢理その場に立ち上がらせると、左右から腕を掴んで固めるようにその身を拘束した。

 主であるアインソフと同等の腕力を持つ使い魔二体に押さえ込まれてしまっては、神たるアルカディアたちでも抵抗はできない。

「……ソルレオンとシュナウスは謹慎処分に処す。私が許すまで、各々の神殿の外に出てはならない。スーウールは禁錮処分に処す。本殿にある専用の牢にて、しばらく人間に禁呪を授けたという行為が如何に罪重きことであるかを反省しなさい。私が許すまで、牢からは出ることは叶わぬと思うのだ。良いな。……そして、アルカディア。君は──」

 一呼吸置いて、アインソフは告げた。

「──数多き神の能力を一人の人間に与え、その見返りとして数多の物品を要求した欲深き行為。そして此処にいる他の者たちをも誑かしたこと、それだけに留まらず本殿の神器保管庫から秘宝を無断で持ち出し、人間に貸し与えたこと──」

「……な、何でそんなことまで知ってるの!? まさかソルレオン、貴方、喋って……」

「そんなことするか! 喋ったらオレだって同罪になるって分かってるってのに!」

「……私の目は誤魔化せない。私の目は心の内に隠された全ての秘め事をも見抜くことができる。私が、君を見てそれに気付かないと思っていたのか?」

「!……」

「──これまでに君が重ねてきた行為は、単なる一時の気の迷いとして見るには余りにも目に余る。愚行の一言ではとても片付けられない。もはやこれは、神たる者の所業だとは思えない。故に、私はひとつの決断を下すことにした」


 その宣告は、普段通りに淡々としていて。

 今までに彼女が耳にした大主神からの言葉の中のどんなものよりも、心無き刃のように、聞こえた。


「──アルカディア。君は神界永久追放処分に処す。何の力も持たぬ新たな下界の命のひとつとして、これからの時を生きるのだ。……一旦君の身柄はスーウール同様に本殿の牢で預かった後、改めて刑罰執行の日を定めることとする。その時が来るまで……何もせずに、大人しく、牢の中で最後の神としての余生を過ごしなさい。それほどまでに、君は神としてあるまじき行為を重ねたのだ。これは、与えられるべくして与えられた神罰なのだ……」


 四人の神たちは、アインソフの命令を受けた使い魔たちに連行されて各々の居場所へと身柄を運ばれていった。

 誰もいなくなり、残されていた空き瓶も片付けられて綺麗になった水鏡の間。

 その片隅に、片付け忘れたのだろう。一本だけ残された空き瓶が、横倒しになった状態のまま音もなく転がっている。

 それは、四人の我が子に罰を与えた原初の神の胸中を代弁しているかのようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る