第143話 スマイル

 シキの様子が普通じゃないと判断した俺は、急いでシキを波の掛からない砂浜の方へと背負って運んだ。

 砂浜の砂は、魚人領の砂浜と比較すると粒が大きくて荒いが、状態は綺麗だ。砂に埋もれていた貝殻や石なんかを簡単に取って砂地を綺麗に均した後、その上にシキを横たえてやる。

「おい……起きてたら返事しろ、シキ!」

 顔の前で怒鳴るように声を張り上げると、ややあって、シキは閉ざしていた瞼を薄く開いた。

 完全には開かない。気力だけで辛うじて起きている、そんな様子だった。

 だが、意識が少しでもあるのなら、こちらの言うことは通じるはず。

 俺は彼に問いかけた。

「一体何があったんだ! これじゃあんた……まるで死にかけみたいじゃないか! 大きな怪我でもしてるのか、それとも隠してる持病でもあるのか! 答えろ!」

「…………」

 何を思ったのか。

 俺の剣幕に、シキは僅かに口の端を上げて笑った。

「……前に、言ったじゃん……力を使うのは、タダじゃないんだよってさ……」

「……!?」

 確かに俺が魚人領で能力を使ってくれとシキに頼んだ時、そのようなことを彼は言っていたが……

「俺の能力にはね、制限があるの……無限には、使えないの。今回はちょっと無理しすぎちゃった、からさ……これは、その結果なんだよ。勇者とはいえ、絶対無敵の存在にはなれない……おっさんだって、そうでしょ?」

 だから、どうしてそこで俺に質問返しをするんだ。

 今更そんな当たり前のことを訊かれても……

 ………………

 そこで、俺はひとつの可能性に行き当たった。

 シキが今、俺に対して何を伝えようとしていたのか。

 人間には、魔法を使う時に必要不可欠な魔力が備わっていない。だから対価なくして魔法を使うことはできない。

 俺は魔力を授けられた身だから、魔法を使う時に対価を必要としない。だがそれでも、力を行使することはタダの行為じゃないのだ。魔法だけじゃない、神の能力だって色々と制限はある。無尽蔵に、好き勝手に使えるようなものじゃないのである。

 まさか。

「……あんたの能力、ひょっとして魔法と同じで、発動させるのに何か対価が必要になるんじゃないのか。それもでかいやつが。だから使いたくても自由に使えなかった……そうなんじゃないか? 言え、必要な対価って何だ。俺たちにも言えないようなものなのか! あんたは何を隠してるんだ!」

「……野暮だなぁ……何でも根掘り葉掘り訊きたがるなんてさ、それ……女の子に嫌がられるよ? フォルテちゃんにやって嫌われたり、しないでね?」

「誤魔化すな! 何でもないんなら、どうしてあんたはこんな有様になる! 俺が目の前で死にかけてるあんたの心配をするのは悪いのか!」

「……はは、は……ほんっと、お人好しだよねぇ……おっさん。今更俺が秘密を教えたところで、この状況が変わるわけでも、ないのに」

「そんなの、言ってみなきゃ分からないだろうが! 時間がないんだからさっさと答えろ! あんたは能力のために何を犠牲にした! 言わないんならこの場でぶん殴るぞ!」

「できもしないこと……言うもんじゃないよ? でも……もう隠す意味もないから、教えて、あげる。ロスト・ユニヴァースを使うのに必要な、ものはね」

 そこでゆっくりと深呼吸をして。シキは、口元に笑みを刻んだまま、言葉を続けた。


「……寿命、だよ。能力を使って消したものの『存在の重さ』に相応する寿命が、代償として取られるんだ。何かを消したら、その分俺の寿命も、消えていく。つまり……俺の持ってる寿命の分までしか、能力を使うことができないの。……だから、命は『基本的に』消せない。能力として消せないんじゃなくて……消せるけど、命の重さは例えひとつでも計り知れないものだから……人間の俺の寿命分じゃ、とてもじゃないけど消せないのさ。分かる、よね? 命の大切さをよく分かってる、おっさんなら……俺の言ってること」


 人間は、人の手に余る能力を使うために、代償として命をすり減らす。

 それは、魔法然り。神の能力とて同じだということだ。

 髪や血など、形として目に見えているものを使っているうちは、まだいい。後どれだけ自分が力を使えるか、その限界量が分かるからだ。

 でも、寿命は──目に見えないものを削り取られていくということは。

 自分の中で今何かが減ったという感覚もない上に、限界量も分からない。如実に体調に影響が出るわけでもないから、ついつい無茶をして突っ走ってしまうということだ。

 多分……シキは、分かっていなかったわけではない。はっきりとはしていなかっただろうが、それでも自覚はあったはずなのだ。これ以上能力を使ったら、自分の寿命が完全になくなってしまうということは。

 それを分かっていて、それでも、能力を使うことを選んだ。

 全ては、自分の望みを叶えるため。

 全てを守る勇者として最後まであり続けたい。仲間を、皆を守りたい。そのためだけに。

「……馬鹿野郎」

 俺は呻いて、拳をぐっと握った。

「人間は、死んだらそこで終わりなんだぞ! 魔法でだって、神の能力でだって、死んだ人間を生き返らせることはできないんだ! なのに何であんたはそう簡単に、自分の命を捨てるんだ! 何でもっと自分を大事にしないんだ! 何で、そんな大事なことを俺たちに言わなかった! 知ってたら、俺だってあんたに能力を使えなんて要求なんかしなかった! 他の方法で何とかしようって考えることもできたのに!」

「そんなの……理由、ひとつしかないでしょ。馬鹿だなぁ」

 馬鹿と吐き捨てた俺に、シキは馬鹿だと返してきた。

「俺はね……みんなの、笑ってる顔を見るのが好きなの。笑顔を見てると、自分も幸せな気分になれるの。だから、俺はみんなのことを守ったんだよ。みんなには、笑って生きていてほしかったから。ただ……それだけ。他に理由なんて、ないよ」

 俺の拳に、何かがそっと触れる。

 シキが、力の入らない手で、俺の拳を握っていた。

「ねぇ……おっさん。俺からの最後のお願い、聞いてよ」

 殆ど差はなかったが──彼の指先に、僅かに力が篭もった。


「テイクアウト……スマイル、プリーズ?」


「……?」

 一瞬、何を言われたのか。俺にはシキの言葉の意味が理解できなかった。

 俺が微妙に首を傾げると、シキは苦笑を漏らしながら、言葉の意味を説明した。

「あるファーストフードの店ではね、こう言うと、スタッフさんが笑ってくれるんだ。スマイルのテイクアウト。冗談みたいだけど、本当にあるメニューなの。素敵なサービスだよね。……これ、俺、好きでさ」

 つまり、店員に笑顔を見せろという要求ができるサービスを提供している店があると、そういうことなのだろう。

「同じ風に、してよ。俺に、最高のスマイル、見せて? せっかく俺が守ってあげたんだからさ……その御礼として、笑ってよ。最高の笑顔で、俺のこと、見送って。そうしてくれれば……俺、幸せな気持ちのまま、逝けるから。……俺のことも、幸せに、してほしいな」

「…………」

 そう言って瞼を閉ざして、静かに息を吐くシキ。

 ……馬鹿か。笑えって……目を閉じてたら、俺が笑ったところで、それを見ることなんてできないだろうが。

 全く……最後の最後まで、こいつは、本当に。

 真面目なんだか馬鹿なんだか分からなくて、でもそれはやっぱりわざと道化を演じてるだけで、本当は笑顔の裏であれこれ考えていて──


 何処までも淋しがり屋な奴なんだと、思った。


「……目を瞑ったまま顔なんて見れるか。起きろ、シキ」

 俺は静かにシキを諭す。

 再び、弱々しく瞼を開く彼に──

 俺は、ぎこちないながらも、現在の俺ができる精一杯の俺らしい笑顔を、見せた。

「不細工で見られたもんじゃないのは勘弁しろ。俺は元々人前で笑うのが得意じゃないんだ。あんたが言うから、特別にサービスしてやったんだからな。感謝しろよ」

「……あはは、そっかぁ……うん、でも、いいよ……すっごく、いい。素敵だよ。最高、……の」

 そこまで言って、残りの言葉を切り、シキは沈黙する。

 瞼が、落ちる。全身に残っていた最後の力が、抜けていく。

 俺の拳に触れていた手が──音も立てずに、砂の上に、落ちた。


「……ありがと、う……ばいばい、…………さん」


 最後に、シキが俺のことを何と呼んだのか。結局それを俺が知ることは、なかった。


 眠りに落ちるように息を引き取ったシキは、皆から黙祷を捧げられた後、布で包まれて圧縮魔法で小さくされ、俺のボトムレスの袋の中へと保管されることになった。

 こんな何もない土地に墓を作ってもシキだって淋しいだろうし、何より此処に穴を掘って死体を食い荒らす獣がいないとも限らない。アヴネラが言うには此処は何だか不浄の土地っぽい感じがするらしいから、死体に穢れた魔素が入り込んでアンデッドになる可能性だって捨て切れなかったしな。

 だから、シキのことはこのまま一緒に連れて行くことに皆と話し合って決めたのだ。

 魔帝を倒して、凱旋したら。その時は、シキが長年暮らしてきたアバンディラの街に連れて行って、そこに立派な墓を建ててほしいと街の住民たちに頼んでみるつもりだ。住民たちもシキのことを慕っていたから、シキが死んだことを知ったら悲しむ奴は大勢いるだろうが、頼みは聞いてもらえると思っている。

 テントを建てて落ち込んでいる皆のために気持ちが落ち着くような料理を作ろうと鍋を掻き回しながら、俺は星が現れつつある空を見上げて、考えていた。

 ……なあ、シキ。あんた、俺が一生懸命に見せた笑顔を最高に素敵だって褒めたけど。

 俺、全然笑えてなかったと思うぞ。声を上げて泣くのを堪えるのに精一杯で、唇だって引き攣ってたし、眉間に皺寄ってたし、鼻水だって垂れかかってたし。

 そんな顔を、最高だなんて褒めるなんて……本当は、ちゃんと見えてなかったんじゃないのか? 俺の顔。

 それを見てるふりをして、笑ったまま逝くなんて。

 ……ああ、本当に最近の若者は理解できない連中ばっかりだ。年上を平気でからかうなんて、どういう神経してるんだって言いたくなる。

 最後くらい、本音を聞かせてほしかったよ。本当は、俺の顔を見てどんな風に思ったのか。最悪だ酷いって笑われても、その程度で怒るほど俺は心の狭い人間じゃないんだから。

 家族同然の付き合いって、そういうもんだろ。違うか?

 鍋から昇っていく湯気が、甘い香りを纏いながら星を追い求めるように空へと溶けて、消えていく。

 ……今日のボルシチは、ひょっとしたら塩気が効きすぎててしょっぱいかもしれないな。

 俺だってたまには料理を失敗することもある。何か言われたら俺は完璧超人じゃないんだと言い返してやろうと独りごちて、俺は用意していた人数分の器を手に取ったのだった。

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