第144話 予想外なる訪問者

 皆が寝静まった、深夜のひと時。

 目の前に浮かんでいる拳サイズほどの白い光の玉が、周囲の岩壁や足下の砂地を淡く照らしている。

 此処には薪になるものがないからとゼファルトが焚き火代わりに魔法で照明を用意してくれたのだが、術者である彼が就寝した後も普通に消えることなく役割を果たしているのだから、本当に円卓の賢者が操る魔法というものは凄いものだ。多分俺が同じ魔法を唱えてもここまで長時間に渡って効果を持続させることなんてできないと思う。

 空には微妙に雲がかかっており、そのせいで月が隠れているため、周辺は普段よりも暗い。

 そのためか、俺を取り巻いているこの静寂が、普段よりも異質なもののように感じられた。

 まるで、目に見えない何かがこの闇の中に紛れ込んで、俺のことを密かに覗き見しているかのような──

 大丈夫だ。ゼファルトが設置している鳴子もあるし、暗いとはいえ此処はそれなりに開けた場所だから、何かが近付いてくればすぐに分かる。テントもすぐそこだし、派手な音がすればすぐに異変に気付いて出てきてくれるはずだ。

 早いところやるべきことを済ませて、俺も寝よう。

 俺は傍らに揃えておいたそれらを、目の前に並べて置いた。

 これは、アルカディアたちに今回献上する分の酒と菓子だ。

 記憶が間違ってなければ、今日が約束の献上日だったはずだからな。

 約束を忘れて催促されるのは鬱陶しいし、それを何かと戦ってる最中にされるのは俺としても迷惑だからな……俺自身が覚えているうちに、さっさと済ませてしまうのが一番良いのだ。

 今回用意したのは、アルカディアにはいつも通りの缶ビールを箱で、ソルレオンには一番世話になってるからその礼と労いの意味を込めてちょっと高級なウイスキーのボトルを。シュナウスには前回のと値段は同じくらいで種類が違うウイスキー、スーウールにはカップアイスを中心に、前回選んだものとは別のメーカーのものを味を変えて揃えてみた。

 フォルテに召喚を頼んだ時、彼女は俺のことを心配そうな目で見ていた。俺は献上用の酒を自分が飲みたいからだということにして召喚してもらってるから、多分向こうは俺がシキの死がショックで自棄酒したい気分なんだろうなとでも思っているのだろう。

 確かに、ショックじゃなかったとは言わないが……これから本格的に魔帝と対決しようとしているところなのに、潰れるまで飲み明かそうなんて考えるわけないじゃないか。

 この歳にもなると、親しい人の死というものは存外あっさりと受け入れられるようになるものなのだ。特に男の場合はな。けどまあ、そういうことにしておこう。

『神様たち、いるか? 約束の酒、持ってきたぞ』

 準備が整ったので頭の中でアルカディアたちを呼ぶ。

 ──いつもなら『酒』の単語に反応して速攻現れる彼女たちなのだが、今回は何故か、反応がない。

 そのまま五分くらいその場で黙って待っても、一向に姿を現す気配がなかった。

 ……珍しいな、大好きなビールをやるぞって言ってるのに何も返してこないなんて。

 まあ、神にだって都合というものはあるだろうから、たまにはこんな日があっても別におかしくはないか。

 俺としては別に五日おきにきっちりと物を献上したいわけじゃないから、向こうが来ないなら来ないでもそれは構わないのだが。

 放っておけばアイスは溶けるし、せっかく冷やしておいた酒だってぬるくなる。そうなったら文句を言われるのが目に見えてるから、今回はこれで務めは終わりにしてこれらはボトムレスの袋で保管しておくか。中に入れてあるものの時間が止まるボトムレスの袋ならば冷えたものはずっと冷えた状態のまま保管できるし、傷むこともないからな。

 俺はボトムレスの袋を開けて、用意した献上品を残らず中に片付けた。

 最後のカップアイスをしまった、その時。

 さくり、と砂を踏み締める小さい音がした。

 ……何かが来た。妖異……は地上にはいないから、野生の獣か? それとも虚無ホロウか?

 音がした方に目を向けて、じっと目を凝らして夜の闇に紛れた足音の主の姿を探る。

 ほどなくして、そいつは俺の前に姿を現した。

 それは、金色の毛並みをした淡い緑色の目の猫だった。

 俺は猫の種類にはそこまで詳しくはないので明確にこの種類っぽいとは言えないのだが、知っている範囲内で例えるなら、見た目はアメリカンショートヘアに近い感じがする。毛が短くて尻尾が長いやつ、あれを模様のない金色一色にしたような感じだ。

 テントの傍に設置してある鳴子は猛獣や虚無ホロウにだけ反応するものだと言ってたから、それが鳴らないってことは少なくともこの猫は猛獣じゃないってことは分かる。

 野良猫だとしても……こんな餌になりそうな虫とかもいなさそうな場所に一匹でいるのは随分と不自然だ。

 近くに集落があって、そこから来た誰かの飼い猫だろうか?

 いや、魔族領は随分と昔に魔帝に滅ぼされたと聞いてるから、こんなすぐに魔帝に見つかりそうな場所に、生き残りの魔族が集落を作って暮らしてるとも考えづらいし……魔帝が飼ってるペットというのはもっとありえないと思うし。

 猫は俺に対して全く警戒心を見せることもなく、俺の傍まで近付いてきた。

 近くで見て初めて分かったが、随分と綺麗な猫だな。誰かが毎日体を洗って毛並みを整えてるんじゃないかってくらいに全身には埃ひとつ付いていない。

 俺は猫を抱き上げようと手を伸ばした。

 それとほぼ同時だった。猫が、口を開いて小さな牙を見せたのは。


「はぁ……猫の体って不便ね。ニャれない歩き方したから全身が痛いわ。おっさん君、マッサージしてくれニャいかしら?」


 酷く聞き覚えのある女の声で喋ったその猫は、俺の顔をじっと見上げて、尻尾の先を宙を掻くように動かしたのだった。

 この喋り方。金の毛並み。淡い緑の目。

 ……ひょっとして……

「……あんた、ひょっとしてだが……」

「ニャによ。猫にニャってもこんニャにしっかりと私の美しさと面影が残ってるっていうのに、分からニャいわけ?」

 猫は威張るように胸を張るようなニュアンスを全身から滲ませながら、はっきりと言ったのだった。


「私よ、アルカディアよ。分かったんニャらさっさとマッサージしニャさい。わざわざあニャたのために此処まで来てあげたんだから」


「……はぁああああああ!?」

 俺が発した素っ頓狂な声が、静寂を貫いて闇の彼方へと消えていった。

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