第125話 身重の魚人姫と五人の従者

 亡国という言葉には廃墟だとかそういう『何もない』イメージがあるが、実際はそんなことなどない。

 確かに、此処に暮らしていたであろう魚人族の姿はない。しかし、それでもこの場所は実に多くの命に溢れていた。

 周囲を群れで泳いでいる魚。砂に埋もれるように身を隠していた貝やヒトデ。急に水がなくなって周囲が明るくなったことに驚いたのであろう小さな蟹が、慌てて近くに転がっている岩の方へと逃げていく。

 海底だと周囲から圧し掛かってくる水の圧力もそこそこあるだろうに、ゼファルトが張っている風の障壁はびくともせずにしっかりとしたドーム型を保っている。

 目的の水晶珊瑚とやらの群生地らしきものは、まだ見えない。

「大体どの辺りにあるんだ? 例の抜け穴とやらは」

「かなり沖合いの方だ。陸地からの正確な距離は分からないが、前回その場所から海岸に戻るまでにおよそ二時間ほどかかっているので、直線距離にして大体それくらいだろうと予想している。……ふむ、現時点でそれくらいの時間が経過しているな。そろそろ到着するかもしれない」

 懐から取り出した銀の懐中時計と思わしきものを見つめながらゼファルトが答える。

 もうそんな長いこと歩いてたのか。周囲の景色に気を取られてたから、移動の苦は大して感じなかったな。

 話によると、水晶珊瑚とは文字通り水晶のように透き通った珊瑚で、発光器官を持っており、淡い青色に光っているのが特徴らしい。

 光ってるってことは、この暗い環境だと目立ちそうだな。遠くからでもすぐに見つけられそうだ。

 そんなことを考えながら更に進むこと十分ほど。

 前方に、淡い光を発している青い絨毯のようなものがあるのが見えてきた。

 イルミネーションほどの鮮やかさはないが、ほんのり光っている様子が幻想的だ。

「……綺麗」

「無事に着いたようだな。あれが水晶珊瑚だ」

 青い光の絨毯は、近付くとその正体を露わにした。

 無数に枝分かれした樹木のような見た目をした体は透き通っており、その内部に青い光が宿っている。珊瑚は体内に藻を共生させている、という話を聞いたことがあるが、ひょっとしたらこの光は共生している藻が発しているものなのかもしれないな。

「幸い、近くに虚無ホロウはいないようだ……今のうちに抜け穴を探そう。こっちだ」

 俺たちはゼファルトの先導で水晶珊瑚の群生地を、珊瑚を折らないように気を付けながら横切っていく。

 その場所は、すぐに見つかった。

 縦長に百メートルほど連なっている水晶珊瑚だが、群生地の端の一部分だけが不自然な形をしていた。その箇所だけ珊瑚の生え方が人工的に並べられたかのような異様に整った形になっており、辛うじて人一人の体が収まる程度の空間ができているのだ。

 その空間に照明魔法の光を近付けると、珊瑚の向こう側が空洞になっている様子が見えた。入口自体は珊瑚でかなり塞がれてはいるが、広さはそこそこある。幅にしておよそ二メートルくらいの、岩の通り道だ。

 照明魔法で昼間並みに照らすと穴の存在ははっきりと分かるが、珊瑚の青い光しか光源がない真っ暗に近い状態だと此処に通り道があるなんてまず気付かないだろう。随分と上手い隠し方をしたもんだな。

 俺たちは一人ずつ順番に珊瑚の隙間を抜けて穴の中へと入った。

 抜け道は、最初は垂直の穴だったが、途中から曲がって横穴へと形を変えた。この辺りまで来ると道幅も大分広くなり、水が途切れて代わりに空気が満ちていた。かなり湿っぽい空気ではあったが、呼吸をする分には差し支えはない。

 床や壁にへばりつくようにして生えた謎の植物が発光しているため、通路は明るかった。この植物も珊瑚の一種なのだろうか。以前峡谷に生えてた植物といいアルヴァンデュースの森にあった花や茸といい、この世界ってやたらと光ってる植物が多いよなって思う(珊瑚は植物ではないが)。空気中に含まれているという魔素を取り込んでいるせいでそういう進化を遂げたのだろうか。俺は別に花などに興味はないが、そういうことはちょっとだけ気になる。

 ──やがて、通路の終わりへと辿り着いた。

 そこは、小さな部屋になっていた。六畳分くらいの空間を岩を削って拵えたような、壁も天井も床もぼこぼこの歪な岩室で、その中に六つの人影が身を寄せ合いながら座している。

 首から下が青緑色の鱗に覆われて、背中や足に金魚の尾びれのようなひらひらとした透き通ったひれが生えた女たちだった。胸と腹は鱗のない人間と同じ白い肌をしており、胸の部分だけをレースのような素材のブラジャーで隠している。下の部分は鱗で覆われているためか隠す必要がないようで、裸だ。見た目は人形のようにつるりとしているので、何も穿いていなくても特に気にはならない。

 髪は紺碧色で癖があり、瞳は深緑色で瞳孔がなく、ぼやけたすりガラスのような見た目をしている。手足の指の間には水かきがあり、爪は鱗と同じ色をしており先端が尖っていて長い。あの爪で引っ掻かれたら痛そうだ。

 俺が想像していたような人魚とも半魚人とも違っていたが、間違いない。

 彼女たちが、魚人族なのだ。

 魚人たちは、全員怯えの色を宿した表情で俺たちのことを見つめている。

「……どなた、ですか」

 部屋の最も奥にいた女が、小さな声でそう尋ねてきた。

 彼女だけ、他の五人とは明らかな差があった。鱗に覆われてひれが生えた体や髪や目の色なんかは同じなのだが、頭にヒトデのような見た目の装飾品を着けているのと、腹が異様に丸く大きく膨れているのとが違うのだ。

 太っている……のではない。あれは、中に子供がいる妊婦の腹だ。それも、近いうちに出産を控えている状態の。魚人族と人間の妊娠期間が同じなのかどうかは分からんが、あれは臨月まで来てると言っていいと思う。

 彼女は大きな腹を床に横たえて苦しそうに息を吐きながら、言った。

「もしや、魔帝が放った追手の方々でしょうか……もしもそうなのでしたら、どうかお願いです。わたしの命は差し上げますから、此処にいる者たちだけは、見逃して下さい。此処に残った者たちが、最後の魚人族なのです……! 彼女たちまで殺されてしまったら、今度こそ魚人族は絶滅してしまいます。お願いです、どうか、彼女たちだけは……!」

「いけません、姫様! 姫様が犠牲になるなどと! 魔帝の手の者よ、殺すのでしたら私たちだけにして下さい! 姫様だけは、どうかお助けを……!」

 身重の女を庇うように、周囲の女たちが身を挺して俺たちの視界から彼女を隠そうとする。

 完全に誤解されてるな。俺たちが魔帝の手の者だって。

 そりゃ、向こうにとっちゃ俺たちは隠していた抜け道を見つけて勝手に押し入ってきた存在なんだから、そう思われるのも無理はないことなんだろうけど。

 会ったばかりの頃のエルフたちと違って俺たちの言葉に聞く耳を持っていないというわけではなさそうだから、誤解さえ解けばこちらからの話も聞いてくれるようにはなると思うが。

「……我々は魔帝の手の者ではない。君たちに危害を加えるつもりはない」

 床の上で一塊になっている魚人たちを見下ろして、ゼファルトが静かに口を開く。

「君たちに無断で此処に足を踏み入れたことは謝罪する。どうか、我々を恐れずに話を聞いてはもらえないだろうか──」

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