第124話 賢者が語る賢い魔法の活用術

 俺の朝は早い。

 皆の朝飯を作るためという理由もないことはないが、社畜時代の癖が抜け切れていないというのが理由としては大きかった。

 独り身というのは、身の回りのこと全てを自分一人でやらなければならない。それを日々限られた時間の中でこなすために、自然と早起きの習慣が身に付くようになるのである。

 独身だと自分の時間が自由に取れていいじゃないかと言う奴がたまにいるが、とんでもない。俺からしたら、家事を引き受けてくれる奥さんがいる方が何倍も恵まれていると思う。毎日料理や洗濯をしてもらっているくせに自分の時間が欲しいと嘆くのは、自分がとんでもなく幸せだってことに気付いてないだけだ。全国の独身男に謝れ。

「はふぅ……」

 目尻に涙を浮かべながら欠伸をひとつして、テントの外に出る。

 タープのすぐ前に、小さな釣り鐘のような金色のオブジェが設置されているのが目に入る。

 これは、昨晩ゼファルトが設置していた魔法の道具マジックアイテムで、虚無ホロウや猛獣が近付くと音を鳴らして知らせてくれる鳴子のようなものらしい。一人で旅に出るゼファルトの身を案じてミライが作ってくれたものなのだそうだ。

 結構派手な音で知らせてくれるから夜の番は不要だと彼が言うので、昨日はゆっくりと寝ることができた。

 さて、朝飯は何にしようかな……

 考えながらテントの前で軽く体操をしていると、波打ち際のところにゼファルトの姿があるのを見つけた。

 波が来る手前のところで座禅に似た複雑な足の組み方をした座り方をしており、まっすぐに海の彼方の方に目を向けている。全裸の状態で、彼のローブと下着は近くに丁寧に畳まれて置かれていた。

 精神統一でもしているのだろうか。賢者らしいといえば賢者らしい。

 でも、裸でいるのは一体……?

 何となく気になった俺は、驚かせないように静かに彼の傍へと近付いていった。

「……君は早起きなのだな」

 横に立つと、前を向いたままゼファルトが口を開いた。

 微動だにもしない全身は、朝日を浴びて白く輝いている。筋骨隆々というほどではないが、スポーツマン並みには筋肉が付いた立派な男の体である。腹もしっかりと引き締まっていて羨ましい。

「まだ日が昇ったばかりだ。もう少し休んでいたらどうか」

「早起きなのは昔からの癖なんだよ。朝飯も作らなきゃいかんしな。別に無理してるわけじゃないから、気にするな」

「そうか」

「あんたこそ、朝早いんだな。何やってるんだ? そんな真っ裸で」

「瞑想をしていた」

「瞑想?」

「そうだ」

 ゼファルトはすっと双眸を閉ざした。

「心を静めて、精神を統一し、己の体内を巡る生命力を活性化させているのだ。魔法を使う者にとって生命の力というものは何よりも大切なものだからな。常に最高の状態を保つことで、魔法の精度も威力も上がる……とても重要なことだ。私は毎日、起床後にこうして瞑想の時間を取るようにしているのだ」

 あれか。朝早く公園とかで太極拳をやってる年寄りがいるけど、あれと同じようなものなんだな。

 俺は魔力持ちだから魔法の精度を高めるために生命力を高める必要はないが、単純に健康のために何かをするってのはありかもしれないな。

 感心していると、それに、とゼファルトが目を開けて俺の方を見ながら言葉を続けてきた。

「まだ研究段階で実用化には至っていないのだが、髪や血液以外にも、精液も魔法を使用する際の対価として利用できることが最近分かってきたのだ」

「……は?」

 思いがけない単語の出現に、俺は思わず間の抜けた声を漏らしていた。

「魔法の使用には、己の生命力を含んだもの……体の一部分が対価として必要になる。最も手軽で相応しいものとして、体から引き抜いた直後の髪、切った直後の爪、新鮮な血液などが昔から使われてきた。だが、それらは量に限りがあり、無限に利用できるものではない。そこで、私は『生命力を含み、なおかつ保有量に制限がないもの』がないものかと、己自身を実験台にして色々と試したのだ……そして、髪や血液には劣るが、男性の精液にも、微量ながら生命力が含まれていることを知ったのだ」

「はあ」

「手足を拘束され身動きが取れない状況では、髪を抜いたり肌を傷付けて血を流したりすることは不可能に近いだろう? だが精液ならば、例え四肢を封じられていても出すことが可能だからな。流れを自在にコントロールできるようになれば、いざという時の切り札になる。……この瞑想は、己の精の流れを己の意志で自由に操れるようにするために行っているものでもあるのだ。この研究が実用化に至れば、世の魔道士たちにとっては革命ともなりうるだろう……!」

「…………」

 ゼファルトは真面目な顔で喋っているが、要は手も何も使わないで出せるようにしたいってことなんだろ?

 確かに魔法を使うのに対価が必要になる魔法使い連中にとっては革命的な発想なんだろうが……

 それ、野郎しか使えない手だし、そもそも女の前で何もしてないのにいきなり股間膨らませたりしたら間違いなく変態扱いされると思うのだが。

 その辺りのフォローとかに関してはちゃんと考えているのだろうか?

「長年鍛錬を続けてきた甲斐あって、自由自在というわけにはいかないものの、何とか時間をかければ少量ならば出せる程度にまでコントロールが利くようになった。見ていてくれたまえ。私の訓練の成果を──」

「いや、いいからそんなもん見せなくて! あんたの研究が革命的で凄いのは分かったから、それ、フォルテの前では絶対にやるなよ! やったらどつくからな!」

 真顔でとんでもないことを言い出したゼファルトを、俺は慌てて止めた。

 ミライも試験薬を被って仕事に支障はないからって理由でほったらかしにするような一般人には理解し難い思考回路の持ち主だったが、この男も大概だ。

 円卓の賢者って、常人には理解できないような頭の持ち主ばっかりなのだろうか?

 ゼファルトは『特訓の成果』を披露できないことを残念そうにしていたが、すぐに大人しく瞑想を再開した。

 ……本当に、魔力のない種族が魔法を使うって大変なことなんだな。

 俺、魔力を授けられてて本当に良かったよ。

 そんなことを密かに思いながら、俺はゼファルトの瞑想の邪魔をしないようにそっとその場を離れた。

 さて、朝飯作りを始めるとするかね。


 朝飯を済ませた俺たちは、皆で協力してテントを片付けて、海底調査の仕度を始めた。

 といっても、用足しを済ませておくくらいしかやることはないんだけどな。

「……それでは、これより件の抜け穴の調査へ向かう」

 一箇所に集まった皆に、ゼファルトが説明を始める。

「私の魔法で結界を作り、その中に入って海底を移動する。結界の中では陸上と同じように呼吸も会話も可能だ。魔法の使用も一応は可能だが、結界の外は水中なのでごく一部の魔法以外はまともな効果が期待できないと考えた方がいいだろう。後、あまり強力すぎる魔法は結界そのものを吹き飛ばしてしまう可能性がある。魔法を使う際は、そのことを念頭に置いてもらいたい」

「分かった」

「では、結界を張るぞ」

 ゼファルトは目を閉じて精神を集中させた後、右手を前方に翳して魔法を唱えた。

「ウィンドウォール」

 彼の掌が淡い黄緑色に光り、俺たちの周囲に一瞬光と同じ色のドームのようなものが現れて、すぐに消える。

 ウィンドウォール──風の障壁を作り出し、主に飛んできた物体や魔法などから身を守るために使う魔法である。光魔法のように物質としての形を持たないものに対しては効果がなく、また余りにも重たすぎる物体や強力な貫通力を有した飛来物を受け止めるほどの防御力はないが、効果時間が長いため有事の際の備えとして予め用意できる防御手段として重宝する。また障壁は目に映らないため、わざと無防備な姿を敵に見せて行動を誘い、動作直後の隙を作るなどといった使い方もできる。

 確かに弱い水魔法程度ならば弾けるくらいの障壁ではあるが、それを潜水に使うなんて話は聞いたことがないが……

「これって……風のバリア張るだけの魔法だよな? こんなので海底に潜れるのか?」

「強めに障壁を張れば、浸水を防ぐ結界としても機能するのだ。高温に耐える手段を別途用意できれば、理論上は溶岩の中に入っても問題はない。あまり知られてはいない活用法ではあるが、もしも君が同じ魔法を使えるのならば覚えておいて損はない。特に海の場合……アクアブリーズだと目を痛めてしまうからな」

 アクアブリーズとは、水中呼吸が可能になる魔法だ。水中での行動を可能にする方法といったら、普通はまずこちらの魔法を候補に挙げると思う。

 確かに、海中で目を開けるのはきつい。幾ら魔法の効果で呼吸可能になるといっても、目に水が滲みなくなるわけじゃないから、そんなことをしようものなら塩分による痛さで悶絶する羽目になるだろう。服を濡らしたら乾かした時に塩が浮いてえらいことになるし。

 流石円卓の賢者、色々と便利な魔法の活用法を知ってるもんだな。勉強になる。

「結界は私を中心に展開しているので、移動中はなるべく私の傍から離れないようにしてほしい。では……出発しよう」

 俺たちはゼファルトの周囲に寄り添うように隊列を組んで、海岸からゆっくりと海の中へと入っていった。

 風の障壁に阻まれた海の水が、押し退けられるように俺たちの傍から退いていく。

 まるで、巨大なシャボンの中に入っているような感覚だ。

 湿った砂を踏み締めながら、俺たちは一路ゼファルトが発見したという水晶珊瑚の群生地を目指して、次第に深くなっていく海底を進んでいった。

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