第126話 海中の黒き悪魔を屠れ

 ゼファルトの真摯な態度と丁寧な事情説明が功を奏したか、魚人たちは俺たちに対する警戒心を解いてくれた。

 俺も多少は説明に参加したが、殆どはゼファルトが喋ってくれたので俺の出番はほぼなかったと言っていい。

 俺たちが魔帝と戦おうとしている人間なのだということ。

 魔帝は魔族領に独自の国を作っており、俺たちはそこを目指しているのだということ。

 そのためには魚人領と魔族領の間に横たわる海域を越える必要があり、それを可能にする魚人族秘伝の海渡りの技術か魔族領と繋がっているダンジョンの突破が必要になるということ。

 海渡りの技術か、ダンジョンに施された封印を解く方法か、どちらかを得るために魚人族の協力が必要不可欠なのだということ。

 俺たちはそれら全てを細かく説明し終えて。

 ナナルリ──魚人族の姫は、深い溜め息をついた。

「貴方たちは、勇敢なのですね……あのような存在と戦おうと決意なされるとは。わたしは、無力な自分がとても恥ずかしいです。国も民も何ひとつ守れずして王家の血筋を名乗るとは、何と愚かでおこがましいのでしょうか……!」

「姫様、貴女様は御立派に戦われたではありませんか! 姫様がいらっしゃらなかったら、今頃は私たちも……どうか、御自分をお責めにならないで下さい。今はゆっくりとお体を休めて、元気なお世継ぎをお産みになられて下さいませ」

 侍女の一人が(此処にいる五人の女たちは皆王家に仕えていた召使いだったらしい)そっとナナルリに寄り添って、彼女の大きな腹を撫でる。

 ナナルリは侍女にありがとうと礼を述べてから、真面目な面持ちで俺たちの顔を見上げた。

「……わたしたちは古来より、海と共に生きてきました。体はその暮らしに適したものへと進化していき、海流を自在に操る能力を備えるまでに至りました。その能力は魚人族の身でしか発揮できないものなのですが、海渡りを希望する旅人たちのために、能力を擬似的に再現する道具というものが作られ、それによって魚人族以外の者も安全に海渡りを行える方法が確立されました。……ですが」

 何処か申し訳なさそうに目を伏せて、続ける。

「魔帝に国を滅ぼされ、島を沈められた時に、その道具も失われてしまい……現在は、その道具は此処には残っていないのです。あれがなければ、貴方たちがわたしたち魚人族のようにあの海域を抜けることはできません。このようなことを申し上げるのは心苦しいのですが、海渡りの技術は諦めて下さい……申し訳ありません」

「そうか……だが、仕方のないことだ。君が気にする必要はない。……では、海溝迷宮を通る手段を選ぶことになるな。そちらの封印は、解くことは可能なのか?」

 ゼファルトの問いかけに、ナナルリは深く頷く。

「……はい、できます。王家に代々伝わっている宝が、その封印を解くための鍵になっています。その宝は現在わたしが大切に保管しております。解呪の力を使うためには王家の者の血が必要となるため、現地へはわたしが同行する必要がありますが、貴方たちが件の迷宮に入ること自体は可能です。……しかし、その方法にも問題があって、今すぐにというわけにはいかないのです」

 ナナルリが言うには、そのダンジョンの入口が存在している場所を虚無ホロウが大量に徘徊しているせいで、その場所に近寄ることすらままならない状況だというのだ。

 どうやらかつて国を襲撃した虚無ホロウたちがそこに集まっているらしいのだが、何故あんな無人の場所にたむろっているのか、その理由は分からないらしい。

 ダンジョンの封印を解くには時間がかかるという。仮に虚無ホロウに発見されずに入口に近付けたとしても、封印を解いている最中にほぼ間違いなく見つかってしまうだろうとのことだった。

 つまり、ダンジョン周辺を徘徊している虚無ホロウを排除しない限り、ダンジョンの封印を解くことは不可能に近い。そういうことらしい。

「……あれらがこの海にいる限り、わたしたちも落ち着いて暮らすことができません……お願いです。あの黒き悪魔たちを討滅して頂けないでしょうか。滅ぼされてしまったわたしたちの国を再建するためにも、平和だった頃の海を何とか取り戻したいのです。わたしたちをお救い下さい、勇者様」

 ダンジョンの封印を解く時にほぼ間違いなく邪魔になることが確定しているのなら、虚無ホロウの駆除は必須作業となる。

 虚無ホロウなんて存在していても百害あって一利なしだし、駆除作業に関しては引き受けることに異論はない。

 何より魚人族が国を再建させるために必要なことだと言われたら、スルーする気にはなれない。

 しかし。此処が地上ならばいざ知らず、此処は海底である。

 水中では、物理的な効果を生む魔法は基本的に発動しないか効果が鈍るかして役に立たなくなる。相手が水中にいる限り、こちらが魔法で相手を仕留めることは難しいのだ。

 雷魔法は逆に水中では地上よりも強力になるが、虚無ホロウは人造生命体のため、生物ならば備わっているはずの神経が存在していない。いわば無機物が勝手に動いているようなものなので、神経にダメージを与える雷魔法は通用しないのだ。それどころか水中でそんな魔法をぶっ放そうものなら、逆に俺たちの方が危なくなる。

 物理的な実体を持たない光魔法や闇魔法ならば水中でも普通に使えるだろうが、光魔法に虚無ホロウの核を砕くほどの破壊力を持った魔法はないし、闇魔法は制御が難しく不安定なものが多いため、水中を縦横無尽に動き回る相手に狙って命中させるのは難しいと思う。例え当てられたとしても、それで致命傷を与えられるかどうかと問われると、難しいところだ。

 俺の魔法に頼らない方法……となると、他に頼れるのはシキの刀かアヴネラの弓。後は、ヴァイスの能力だ。

 しかし水中で武器を振るうのは水の抵抗が邪魔をして勢いが殺されてしまうだろうし、アヴネラの弓は空気中の魔素を利用して力を発揮しているものだって言ってたから、水中では取り込む魔素を確保できずに沈黙してしまう可能性がある。ヴァイスの能力は強力ではあるが、あれも物理的な力を持った魔法だった場合、俺の魔法同様に威力が落ちることになるだろう。

 ゼファルトは障壁の維持で手一杯だろうし、俺が持っている神の能力はほぼ役には立たない。

 ……待てよ。神の能力を持ってるのは俺だけじゃないんだった。

 俺は隣でのんびりと寛いでいるシキに尋ねた。

「シキ、あんたの能力で直接虚無ホロウを消したり、虚無ホロウが無理でも周囲の海水を消してでかい空間を作ることってできないか?」

「流石にそれは無理だって、おっさん。俺、言ったじゃん。ロスト・ユニヴァースは命があるものは基本的に消せないし消せる量に限界があるってさ。虚無ホロウは一応生き物だし、海の水なんて莫大な量だよ? そもそも一部を消したってすぐに周りの水が落ちてくるからやる意味がないって。能力を使うのもタダじゃないんだからさぁ、気楽なこと言わないでよ」

 やっぱり無理か。

「……ゼファルト、風の障壁の範囲を拡大して、障壁の中に虚無ホロウを引っ張り込むことはできるか?」

「……難しいな。あの大きさの虚無ホロウを丸ごと包めるだけの結界を生み出すとなると、どうしても範囲を広げる代わりとして障壁の厚さに影響が出てしまう。あまり薄く引き伸ばしてしまうと、水圧に耐え切れなくなって結界自体が崩壊してしまうだろう。そうなれば我々は全員溺れるしかなくなる。発声ができないと、魔法も使えないからな」

「そうか……」

 もしも風の障壁の内側に虚無ホロウを引っ張り込めるなら、地上で戦うのと同じ要領で魔法で吹っ飛ばせたのだが。

 残る手段は、虚無ホロウを海上におびき寄せて引き摺り出し、狙撃する方法だ。要は釣りである。

 以前ゼファルトは此処の調査をしていた時に虚無ホロウに見つかって追い回されたと言っていたから、多分おびき寄せること自体は容易いと思う。

 問題は、その手段を取った場合、誰が囮になるのかということと、虚無ホロウを残らず釣り上げるためにどれくらい同じ作業を繰り返す必要があるのかということだ。

 下手をしたら海中を移動中に囮役の体力が尽きる。そこを攻撃されたらひとたまりもない。

「……せめて、即席でいいから海底に広い水上フィールドが作れれば多少は楽なんだが」

「海底に水上って言葉おかしくない? おっさん」

「悪かったな、言葉の知識なくて。でも、言いたいことは分かるだろ。水の中にいる限り、人間はほぼ無力なんだよ。魚にはどうしたって敵わない。何とかして水の外に引っ張り出さないとまともな勝負にならん」

「……まあ、分からないこともないけどさぁ……」

 ううむ、と眉間に皺を寄せて唸り始める俺たち。

 それに、横から控え目に声を掛けてきた者がいた。

「……あの……宜しいでしょうか」

 ナナルリの侍女の一人だ。

「要は……あの悪魔たちを水の外に追い立てられれば良いのですよね? わざわざ海上にまで誘導しなくても」

「……まあ、そういうことだな。俺たちは地上の生き物だから、何をするにも空気がある環境が必要なんだよ」

「そうですか」

 彼女は周囲の仲間たちに意味深な目配せをして、頷き合うと、言葉を続けた。

「……それでしたら、私に考えがあります。あの悪魔たちとの戦い、私たちにも協力させて下さい」

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