第109話 信じたいと願うこと
テーゼが腕によりをかけて作ってくれた料理は、自慢と言うだけあってどれも素材の風味を存分に味わえる一品ばかりだった。
材料に使われた野菜が人間の国で手に入るものとは比較にならないくらいに新鮮なものばかりだったので、生野菜のサラダも人間の国で食べたものよりはずっと美味かった。彩りも豊かで、日本で普通に食べられる野菜サラダに近い感じだ。流石エルフ、自然に身近な場所で暮らしているだけあって野菜の扱いもお手の物だ。
しかし、やはり味付け用の調味料が塩と胡椒しかないので、風味に関しては淋しさを感じる。日本人基準で物申すべきではないのだろうが、せっかく良い素材を使っていて調理の腕前も良いのだから、味付けにもひと工夫した方が料理も喜ぶと思うんだよな。
というわけで、テーゼには俺からのプレゼントということで簡単なドレッシングの作り方を教えてやった。
材料は、オリーブオイル、白ワイン、塩、胡椒、バジル、ローズマリー。
この国では
作り方は、材料をよく混ぜるだけだから、材料さえ揃えれば料理ができない子供でも簡単に作ることができる。その割には結構美味いから、生野菜を手軽に食べたい時なんかにちょこっと作ると家族に喜ばれるぞ。
……そこ、独身だろって突っ込みするな。俺だってそれくらい分かってるんだよ畜生。
いつか家族ができたら振る舞ってやるんだよ! 子供に食べさせて「美味しい」って言わせて野菜大好きにしてやるんだ。もちろん子供だけじゃなくて……
俺はちらりとフォルテに視線を送る。
フォルテは俺の視線に気付くと、小首を傾げた。
「どうしたの? ハル」
「……いや」
「ははっ、フォルテちゃんに見とれちゃってた? フォルテちゃん美人だもんね、スタイルもいいし! フォルテちゃん、彼氏とかいるの? いないんだったら俺、立候補しちゃおうかな~」
ばりばりと輪切りにしたズッキーニを頬張りながらシキが突拍子もないことを言い出す。
えっ、と目を見開いて硬直するフォルテ。
俺は慌てて声を張り上げた。自分でびっくりするほどの、まさに脊椎反射レベルの反応速度だった。
「ばっ……いきなり変なことを言い出すんじゃない! 場所と状況を考えろ!」
「嫌だなぁ、そんなムキにならなくたっていいじゃん。冗談だって、冗談。あ、でもフォルテちゃんが可愛いってのは本当だからね? 俺の故郷だったら、絶対道行く男が放っておかなかったと思うよ!」
「そりゃ、確かにフォルテは可愛いが……って、そうじゃなくてだな! 俺は……」
「……ちょっと、いいかな」
背後から、誰かが俺のローブをくいくいっと引っ張った。
言いかけた言葉を飲み込んで俺が振り向くと、そこにはじっと俺の顔を見上げるアヴネラが。
「話があるんだけど、一緒に来てくれるかな」
彼女に真剣な眼差しを向けられて、俺は片眉を跳ね上げたのだった。
アヴネラと俺は、店の裏手に回った。
周囲を他の建物に囲まれているので、外側からは俺たちが此処にいるとは分からないだろう。今は時間帯のせいか道行く人もいないし、小声でならば会話をしても差し支えはなさそうだ。
「……話って、何だ?」
尋ねる俺に、アヴネラは一瞬だけ何処かへと視線を這わせた後、俺を見つめ直して、言った。
「さっき、君、誰かと話してたよね。あれは一体誰?」
「!……」
いきなり指摘されて、俺は言葉に詰まる。
……確かにさっき俺が神たちと話してた時、アヴネラは俺のことを見ていたが……
何もないように振る舞っていたつもりだったのに、まさか俺がやっていることを見抜かれているとは思わなかった。まあ、現時点ではまだ相手が神であるということにまでは考えが達していないようだが……
「君、この店に来る前と今は違う。母上の言葉から察してるかもしれないけれど、ボクたちエルフ族の中には『ありえないもの』の気配に敏感な人がいるんだ。母上は特にその能力が強いし、ボクも、母上と比べたらかなり弱いけれど気配の存在自体を感じ取ることはできる。……シキって人にも似たようなものは感じるけれど、君はそれとは比較にならないくらいに違和感が強いんだ。さっきまではそれほど差は感じなかったんだけど、今ははっきり違うことが分かるんだよ」
そこで一度言葉を切って。
躊躇いのようなものを見せた後、彼女は再度開口した。
「……ボクは、君たちを信じようって決めたんだ。疑ったり憎んだり、そんなことはもうしたくないんだよ。だから……教えて。君がさっき話していた相手は、誰? 君たちは、本当に魔帝と戦おうとしている人たちなの? ボクたちエルフ族を、この国を……森を、本当に助けてくれるの?」
アヴネラは、短い間ではあるが俺たちと行動を共にしてきて、俺とシキが召喚勇者であることは俺たちの会話などから知っているはずである。
召喚勇者は、異世界から召喚されてきた人間だ。それくらいはこの世界においては常識だろうから、今更改めて俺の口から説明する必要はないだろう。
しかし、召喚勇者がこの世界の神々から何らかの特殊能力を授けられているという事実は、おそらく知らないはずだ。フォルテの言葉によると、召喚勇者が特別な能力を持っているということはあくまで伝承レベルの、言ってしまえば『本当かどうか分からない話』として認識されている程度で、実際に召喚勇者が神の能力を持っていることは知らないのである。
特に俺の場合は、複数の神からそれぞれ異なる能力を授けられている上に、五日に一度という頻度で神たちと接触しているという事実がある。このことは神たちも神の掟とやらで規制しているくらいの違法行為だし、俺だって大っぴらに明かしたくはない事実だ。この世界の住人であるフォルテにはもちろん、同じ日本人であるシキにだって喋るべきではないと思っている。
俺がこの場で俺の秘密を明かしても、アヴネラは誰にも喋らないでいてくれるだろう。しかし、仮にアヴネラが黙っていたとしても、この国には精霊たちの監視の目がある。此処で俺が口にしたことを、もしも精霊たちに聞かれてしまったら?
神と接触している人間がいる、なんて話が国中に広まったら、あの女王が何と言い出すかが分からない。神の信頼を得ている人間として友好的に接してくれるようになれば御の字だが、下手をしたら……
この国にいる間は、迂闊な行動は取れない。少なくともあの女王に、俺たちのことを認めてもらうまでは。
だから、この場は──
「……俺たちは、必ず魔帝を倒す。あんたたちエルフ族も、この国も、全力で守ってやるつもりだ。それは、約束する」
今は、これだけしか答えられない。アヴネラには申し訳ないと思うが、今の俺にはこれで精一杯なのだ。
俺からのそれ以上の回答がないことに、アヴネラの表情が僅かに曇る。
胸元に当てた右手をきゅっと握って、顔を伏せて。
「……ボクにも、話してくれないんだね。うん、分かってる……君にも、事情があるんだってこと。嘘をついていないことは、分かるから。だから、もういいよ」
「……すまないな」
「いいんだよ。ボクの方こそ、ごめん。無神経なことを訊いて。今の質問は……忘れて」
ぱっ、と顔を上げて、店に戻ろうと促す。
俺たちは店に戻ろうと表通りの方に回ろうとして、唐突に目の前に現れたそれに行く手を阻まれて、足を止めた。
全身に蔓草を巻き付けた黄緑の髪の女性だ。以前見たものと同一人物かどうかは分からなかったが、その容姿には見覚えがあった。
あれは……ドライアドだ。森の監視者って言われてる……
「どうしたの? ボクに何か用?」
アヴネラがドライアドに問いかける。
ドライアドは無表情のまま、目線だけを俺へと移した。そこには感情の色など微塵もなかったが、まるで俺がこの場にいると困るとでも言っているかのようだった。
アヴネラはドライアドの視線を辿って俺の方を一瞬だけ見て、言った。
「大丈夫。この人間は、ボクたちの味方だから。この人にも教えてあげて、君の話を」
アヴネラの言葉に、ドライアドはゆっくりと頷いて、口を開いた。
「……国境ノ門ニ……マタ、アノ大蜘蛛ト人間ガ、現レマシタ……」
かなりたどたどしかったが、人の言葉で彼女は喋った。
ひょっとしたら実際に喋っているのはドライアド特有の言語で、俺が持ってる翻訳能力が辛うじて彼女の言葉を通訳しているだけなのかもしれないが。
「……大蜘蛛ハ……小サナ蜘蛛ヲ、大量ニ、呼ビ寄セテ国ヘト送リ込ンデイマス……エルフ族ノ王女ヨ、ドウカ我々ヲ、オ助ケ下サイ……」
「……このタイミングで来るのか、ジークオウル……!」
今は、夜だ。昼間よりも外にいる住人はいないとはいえ、もしも国内に入ってきたという蜘蛛たちが民家に侵入したら、下手をしたら昼間以上の大惨事になる。
ジークオウルと巨大蜘蛛が一緒に現れたというのなら、逆に好都合だ。こっちから出て行って、この場で決着を着けてやる!
アヴネラは俺を見た。
「……きっと、今を逃したら次はいつ会えるか分からないと思う。ボクは、今が戦う時だと思う」
「そうだな。俺も同じ意見だ」
俺はアヴネラの隣に並んだ。
俺に注目しているドライアドに、言葉が通じることを願いながら、頼む。
「俺とアヴネラとでその巨大蜘蛛と人間を何とかする。国に入り込んだ蜘蛛の駆除には俺たちの仲間を向かわせる。あんたはこのことを一刻も早く女王に伝えて、これ以上国の中に蜘蛛が入り込まないように応援を寄越すように頼んでくれ」
「ボクからもお願い。この人の言う通りにして。今すぐ、行って」
「……分カリ、マシタ」
ドライアドは音も立てずに俺たちの前から去っていった。
小さい蜘蛛の方は守護兵たちの方で何とか食い止めてもらおう。一応シキとヴァイスを残していくから、国の防衛に関してはそれで問題ないはずだ。
フォルテも……置いていく。小さい蜘蛛相手ならばシキたちに護衛を頼めばそれほど危険はないだろうが、流石に巨大蜘蛛とジークオウル相手に無傷で守りきる自信はない。手が塞がっているところに他の蜘蛛に狙われて襲われるなんて、そんな状況には陥りたくはない。
「……行こう、アヴネラ。シキたちに今の話を伝えてから現場に向かうぞ」
「分かった」
俺たちは駆け出した。
滅びの危機が目前に迫っている状況にあってもなお、淡い光があちこちに灯ったこの景色はとても幻想的で……未だに平穏の中でまどろんでいる夢の世界のように思えた。
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