第110話 守る者たちの決意
周囲の木々を強引にへし折りながら、それは門の前に立ち塞がるアカシアたちとの距離をゆっくりと詰めていく。
彼女の周囲には、ばらばらに砕かれて事切れたトレントたちが何体も転がっている。
この場に立っているのは、アカシアとクレイラ、もはやその二人だけ。
必死に弓を構える彼女たちを悠然と見下ろしながら、道化師の少女はくすくすと肩を上下させていた。
「もういい加減に諦めた方がいいんじゃなァい? そんな粗末な玩具なんてアタシやこの子には全然通用しないって、散々試したんだから分かるでしょ? ……それとも、殺されないと分からないのかしら? そこに転がってる木偶共みたいにさァ」
「我々は……誇り高きアルヴァンデュースの戦士だ! この国を、この森を守るために最後まで戦い抜く! それが我々の使命だ!」
クレイラの言葉に、ジークオウルはわざとらしい溜め息をつきながら肩を竦めた。
「それじゃあ、仕方ないわねェ。お望み通りにしてあげる」
自分が腰掛けている巨大蜘蛛の頭をぽんと叩く。
それを合図に、巨大蜘蛛が体を丸めた。腹に付いている突起を二人へと向けて、腹全体を大きく波打つように動かし始める。
ぶぁああっ!
突起から勢い良く発射した白いものが、クレイラの下半身に絡み付いて彼女を引き倒す! 全身を地面に打ち付けたクレイラは持っていた弓こそ手離さなかったものの、衝撃で背負っている矢筒から矢が全て零れ落ちてしまったため、結果として弓を使い物にならなくしてしまった。
巨大蜘蛛が、クレイラを捕らえた己の糸を脚二本で器用に手繰り寄せ始めた。
ずるずると巨大蜘蛛の方へと引き寄せられていくクレイラ。彼女は懸命に地面に指を立てて抗おうとしているが、巨大蜘蛛の方が力が明らかに強い。抵抗空しく、彼女は巨大蜘蛛の前まで引き寄せられて、脚でがっちりと捕まえられてしまった。
巨大蜘蛛が、口から覗く牙を蠢かせながら頭を彼女へと近付けていく。
「……い、嫌……助けて……来ないで」
恐怖ですっかり固まってしまった顔を巨大蜘蛛へと向けながら、クレイラは小さく懇願する。
しかし、その願いが巨大蜘蛛に通じるはずもなく。巨大蜘蛛は、糸で雁字搦めになったクレイラの足先に迷わず牙を突き立てた。
「いやああああ! 痛い痛い痛い痛い! やめてっ、食べないでぇぇぇ!」
彼女は暴れるが、全身をしっかりと押さえ込んだ巨大蜘蛛の脚はびくともしない。目の前で叩き付けられる絶叫も我関せずといった様子で、彼女を咀嚼していく。
ばりっ、ぶちゃっ、べきんと汚らしい音が夜の森に響く。クレイラの体は足の先から膝、腿、腰、腹、胸と順番に骨ごと丸齧りにされていき、遂には髪一本すら残さずに、食べ尽くされてしまった。
一人残されたアカシアが涙目でその場にぺたんと座り込む。あの巨大蜘蛛には何をやっても通用しない、次にああなるのは自分なのだという絶望が、彼女の心を完全に満たしていた。
「さあ、まだ一匹残ってるわよォ? さっさと片付けなさい。それが済んだら、次はこの国の番よ。一人残らず皆殺しにしてあげるわァ」
「ひ……!」
恐怖で固まった体で必死に地面を這いずるアカシア。
ジークオウルの命令を受けた巨大蜘蛛が、アカシアに狙いを定めてゆっくりと彼女へと近付いていく。
「アルテマ!」
その顔面に、アカシアの斜め後ろから飛来した青白い光が直撃する!
激しい爆発音を立てて光が散る。衝撃を受けた巨大蜘蛛はキィィと金属を引っ掻いたような不快な叫び声を上げて、その場を数歩後ずさった。
アカシアが震えながらも光が飛んできた方向に目を向けると、そこには巨大蜘蛛に向かって掌を翳した俺と、弓を携えたアヴネラの姿がある。
アヴネラは急いでアカシアの元へ駆け寄ると、彼女を庇うようにその前に立ち塞がった。
「遅くなってごめん……もう大丈夫だから。ボクたちが、助けるから!」
「姫様!」
アカシアの青い双眸から、涙がぼろぼろと溢れ出す。
「申し訳っ、ありません! 国を守るのが、我々の使命なのに、それを果たせなくて……クレイラも、殺されて……!」
「……そう」
それだけ返事を返して、アヴネラはきっと巨大蜘蛛を睨む。
弓を構えて、すっと深く息を吸って、
「もう逃がさないよ、魔帝の下僕! 此処で、ボクたちがお前を仕留めてみせる!」
「……ああんもぅ、何でこんなところにまでおっさんがいるのよォ? ほんっと、しつこいったらありゃしないわァ。変態な上にストーカーって信じられないくらいに最低ねェ。けど、いいわ。アタシも、いい加減付き纏われるのは面倒だから。此処で、この国ごと消し去ってあげるわよォ!」
俺の方をじろりと一瞥して、右手の指先をこちらへと突きつけて、叫ぶ。
「さあ、行きなさい。アタシの可愛い下僕たち! こいつらを何が何でも殺すのよ!」
ざわっ、と森全体が揺れた。
そこの木の上から。向こうの茂みの陰から。道の彼方から。
今までは気配すら感じなかった大量の蜘蛛たちが、ぞろぞろと這い出して俺たちの方へと迫ってきた。
それは例えるならば赤い闇。悪夢の塊。
それが、俺たちごと背後の国を飲み込もうとしていた。
「くそ、流石に数が多すぎだ! こんなのいちいち狙撃してられんぞ!」
「君、凄腕の魔法使いなんでしょ! 何とかできないの!?」
「馬鹿を言え、此処で大魔法なんぞぶっ放したら確実に森まで吹っ飛ぶぞ! 俺は精霊に目をつけられるのは御免だ!」
厳密に言えば、この状況でも何とかできないことはないのだ。
地形すら変えてしまうほどの強力な広範囲型の魔法を一撃放てば、それで小蜘蛛に関しては一掃できるだろう。
だが、そんな魔法を撃てば確実に森もダメージを食らう。下手をしたらその箇所だけが更地と化すだろう。そうなったら確実に森の精霊たちが黙っていない。
魔法でバリケードを作って国への侵入だけでも食い止めるか? いや、駄目だ。壁など立てたところで蜘蛛は平気でそれをよじ登るだろう。逆に国の入口を塞いだら森から応援に来た精霊たちが入ることができなくなる。精霊たちの協力が得られないと、エルフたちだけでは国を守りきれないだろう。
蜘蛛を初めとする昆虫(厳密には蜘蛛は虫ではないのだが)の類は火に弱いから、炎を撒けば蜘蛛たちは火を恐れて近寄ってこなくなるかもしれないが、こんな可燃物だらけの場所で火なんぞ使えばあっという間に火事になる。そもそもエルフの国の掟で火を使うことが許されていない以上は、この手を使うわけにはいかない。
どうする……どうすればいい? この状況を切り抜ける方法は……
悩んでいる間に、巨大蜘蛛が俺の目の前へと迫ってきていた。
五メートルを超える巨体に付いた、八個の赤い目。それに、俺の姿が映り込んでいる。
「あらあら、アタシの下僕の多さに怖気づいたかしら? ぼーっと突っ立ってるなんて、案山子じゃないんだからァ。ま、その方がアタシとしては手間が省けて楽だからいいけどォ」
巨大蜘蛛がゆっくりと鉤爪の付いた脚を振り上げる。
「そのまま潰されて食べられちゃってねェ。バイバァイ」
我に返った俺は咄嗟にその場を動こうとするが、急激な脳の指令を、体の方はすぐには受け入れてくれなかった。
意志に反して体が全く動かない俺。その頭上に、振り下ろされた鉤爪が迫る。
駄目だ、やられる!
反射的に顔を腕で庇った俺の視界が暗くなった。
そして、
がぎっと耳障りな音を立てて振り下ろされた鉤爪の動きが止まる。
ぎりぎりと巨大蜘蛛相手に真っ向から力比べを挑みながら、彼女は俺に背を向けたまま冷たく言い放った。
「……貴様の力はその程度か。もしも貴様が本当に姫様と共にアルヴァンデュースの森を救った人間だと言うのなら、その証拠を我々に見せてみろ」
ウルヴェイルは、相変わらず愛想もへったくれもない、しかし敵対心もない厳しい眼差しを肩越しに俺へと向けたのだった。
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