第105話 火のない料理店

 扉に突き刺さったナイフは、天井から吊り下がった花の形をしたランプの白い光を浴びて虹色に輝いていた。金属を忌避している種族が金属のナイフを使うとは思えないので、おそらくオパールのような色合いをした石か、貝殻のような素材を加工して作ったものだろう。

 そんなものでも、物を貫通する程度の切れ味はあるようで。顔に命中しなくて良かったと、俺は背筋に冷や汗の存在を感じながら安堵の息を吐いた。

「ハル、大丈夫!?」

「ん……ああ、大丈夫だ」

 俺の隣で膝をつくフォルテに、俺は動じていない風に装って頷いた。

 扉に刺さったナイフを無造作に引き抜いて、シキが店内のある一点へと視線を向ける。

「急にこんなものを投げてくるなんて、危ないねぇ。俺たちは此処の人に招待されたお客さんだよ? それともこれが、エルフ流の挨拶ってわけ? 流石にそれはないんじゃないかなぁ」

「……あんたたちを招待したのは妹だ。あたしはあんたたちを招待した覚えはないよ」

 シキの挑発めいた言葉に静かに答える女の声があった。

 しいたけみたいな茶色の巨大茸をそのまま利用しているかのようなテーブルと椅子が並んだ空間の中に、客の姿はない。奥の方に厨房と思わしきカウンターで仕切られたスペースがあり、そこにベージュ色の貫頭衣を着た一人の女エルフが立っている。

 癖の強い金の髪をショートカットにした、鋭い目つきの女である。だが単にきつそうというよりも、剛健といった言葉の方が似合いそうな雰囲気の人物だ。体つきもがっしりとしており、線の細い美女ばかりの種族であるエルフにしては珍しいタイプだという印象を受けた。

 彼女は俺たちをじろりと見つめながら、言った。

「さっさと中に入って扉を閉めな。他の連中に見られると困るんだよ」

「……あ、ああ」

 俺は立ち上がって、皆が店内に入ったのを確認してそっと扉を閉めた。

「そこの席に座りな」

 そう言いながら彼女が指差したのは、厨房から最も近い位置にあるテーブル席。他のテーブル席よりも一回り大きく、椅子の数も多い。他のテーブル席に備えられている椅子が四つなのに対し、彼女が指定したテーブル席には椅子が六つもある。

 何の花なのかは分からないが、テーブルの中央に小さな白い花を植えた鉢植えが置かれている。花から白い粉のような光がふわふわと零れており、何とも幻想的だ。

 俺たちが椅子に座ると、彼女は木でできた大きなトレーを持ってこちらへとやって来た。トレーの上には朝顔の花をそのまま食器にしたかのようなカップが人数分載っており、中には淡い黄緑色をした飲み物が注がれている。

「……あたしはこの店の店主、ルイーゼだ。妹から聞いたが、あの子が世話になったらしいね。あたしは人間は嫌いだが、妹の命を救ってくれた恩人を無下に扱うほど恩知らずなつもりもない。じきにあの子も帰ってくるだろうから……せいぜいそれまで、ゆっくりして行きな」

 言いながら、俺たちの前にカップを置いていく。

 これは……果物のジュースか何かか? 南国系のフルーツって感じの匂いをほんのりと感じる。

「これは何の飲み物なんだ?」

「それはワーグの実を搾ったものだよ」

 ワーグの実……アバンディラの特産品だった果物か。フォルテが食べたそうにしてたから少し買ったけど、そういえばまだ食べてなかったな。

 早速ジュースを一口飲む。味は、ちょっと爽やかさがあるマンゴーって感じだ。濃厚で甘味が強い分少しくどく感じるが、そんなに悪くはない。

 これは、バナナとかパイナップルとかのフルーツと一緒に搾ってミックスジュースにしたら美味そうだな。氷を入れて一緒に砕いてスムージーにしてもいいかもしれない。

 後で色々試してみるかと考えながらジュースを味わっていると、続けてルイーゼが大きな花の器に盛った料理を厨房から運んできた。

 大粒の穀物に似た実と、何かの花を細かく刻んだものと、角切りにした果物っぽいものと、木苺に似た赤い小粒の実を混ぜ合わせた料理だ。ぱっと見た雰囲気はドライフルーツ入りのシリアルに似ている。この国では火を使わないから煮たり蒸したりといった調理法はないだろうから、おそらくは生の食材だろう。

「それはフリュイ・モンターニュっていうグルーヴローブの郷土料理だ。エルフは掟で火を使った料理は作らないんでね、料理は基本的に素材をそのまま生で使ったものしか出さない。ドワーフたちには生野菜なんて食えたもんじゃないって不評なんだが、此処じゃこれが一般的な料理なんだ。口に合わなくても我慢するんだね」

 やはり、この国では基本的に食材を生のまま食べる習慣が根付いてるみたいだな。

 火を使えば肉も魚も野菜も何倍も美味い料理にできるっていうのに、勿体無いものだ。

「んー……これはこれでエルフの料理って感じはするんだけどさ、やっぱ料理には火がないと物足りなくない? 火を使わないってことはさ、お湯もないってことでしょ? スープも飲めないってことじゃん、それってさ」

 料理を手掴みでぱくつきながら、シキが微妙に不服を述べている。

 そうだよな、それが人間の一般的な感想だ。俺はドワーフが日頃どんな食生活を送っているのかは知らないが、生野菜を嫌がる辺り、人間のそれとそうかけ離れてはいない食文化を持っていると予想している。

 ジュースを飲みながら、フォルテが俺の方を見て何かを期待したような言葉を掛けてくる。

「ハルなら、火を使わなくても美味しい料理が作れそうよね。今までの料理だってすっごい美味しかったし!」

 ……あんたは俺のことを何でもできる魔法使いだとでも思ってるのか? あ、魔法使いか、俺。

 火を全然使わないでなおかつ舌の肥えた日本人すら満足させる料理なんて、そんな無茶苦茶なレシピ……

 ……まあ、日本の食材を使えば、不可能だとは言わんけど。

 俺は肩を微妙に竦めながら、呟いた。

「……まあ、できないこともないけどな……でも、此処で作るわけにゃいかんだろ。此処は料理屋だぞ。食事を提供する店に食事を持ち込むのはマナー違反だろうが」

「……知っているだろうけど、グルーヴローブではサービスの対価は相応の価値を持ったもので支払ってもらうことになってるんだ」

 俺の呟きを拾ったルイーゼが、横から言葉を挟んでくる。

「それは別に物品じゃなきゃいけないって決まりはないよ。知識や技術で支払ってくれても構いやしないのさ。もしもあんたが外からの来訪者をも満足させることができる料理のレシピを知っているって言うんなら、それをあたしに教えてくれたらそれを対価として受け取ろうじゃないか」

「……俺たちは招待客だろ。金取るのかよ」

「言っただろ。あんたたちを招待したのは妹だって。あたしはあんたたちがこの店にいることを認めはしたけど、食事を無料で奢るなんてことは一言も言ってないよ。あたしが出した食事の分はきっちりと対価を支払ってもらう。異論は認めないからね」

「何だよ、それ」

 何だか騙されたような気分だが……法外な値段を吹っかけられたり店から追い出されたりしないだけ扱いはマシだと思うべきか。

 まあ、構わないけどな。料理のレシピを教えるくらい。

 しかし、そうなると……日本の食材を使ったレシピは使えないな。ルイーゼがこの店で作ることができる、この世界にある食材だけで作れる料理のレシピじゃなければ披露する意味がない。

 となると、チーズを使うイタリアン系レシピや酢を使うマリネなんかは作れない。チーズも酢もこの世界には存在しない食材だからだ。

 肉や魚を食べる習慣はあるみたいだから、生野菜、生肉、生魚がメインになった料理か……

 ……そうだな。これなんてどうだろう。

 あるレシピを候補に思い浮かべた俺は、ワーグのジュースを飲み干して席を立った。

「フォルテ。召喚してほしいものがある」

「……うん、何?」

 小首を傾げるフォルテに、召喚してもらいたい食材の名前を挙げていく。

 早速召喚の準備を始めるフォルテをそこに残して、俺は厨房へと足を踏み入れた。

「悪いが、少しばかり厨房を借りるぞ。ついでにさっき投げつけてくれたナイフもな」

「ああ、好きに使いな。でもあまり引っ掻き回すんじゃないよ。壊されたらたまったものじゃないからね」

「……安心しろ、そんなに必要な道具はないから」

 ルイーゼに厨房を使う許可を取って、フォルテが日本から召喚してくれた品を作業台の上へと並べる。

 さあ、火を全く使わない、この世界の食材だけで作れる簡単料理、披露してやろうじゃないか。

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