第104話 蜘蛛を操る魔法使い

 俺たちがこの国に来た時と同じように弓を片手に門の両側を固めて森を見張っていた双子の門番は、俺たちの姿を見るなり明らかに害虫でも見つけたような顔をしたが、アヴネラが話しかけると俺たちの様子を気にしながらも普通に質問には答えてくれた。

 因みに、どちらがどちらなのか尋ねたら、黄緑色の目をした方がクレイラで、空色の目をした方がアカシアであるとアヴネラが教えてくれた。

 双子たちの話によると、こうだ。

 巨大蜘蛛を連れた人間は、門の前までやって来るなり、エルフ族に対して宣戦布告をしてきたという。エルフ族は反抗的で生かしておいても何の得もないから、滅びてもらう、と。

 一方的にそれだけを言い放ち、巨大蜘蛛をけしかけてきたらしい。

 双子たちは近くにいた森の精霊たちに呼びかけ、国から応援を呼び、精霊たちと協力して巨大蜘蛛と一晩中戦い続けて、何とか巨大蜘蛛を撃退することに成功した。

 しかし巨大蜘蛛に致命傷を与えられたわけではないので、近いうちにまた奴らは此処に来るだろうと懸念しているという。

「あの蜘蛛は、あの人間の命令に従って動いていました。あの人間さえ仕留めれば蜘蛛も無力化すると思うのですが、あの人間、見た目によらずかなりの精霊魔法の使い手で……我々の弓は全く通用しませんでした。やむを得ず蜘蛛の方を狙ったのですが、やはりただの弓では、脚を落とすことすらできず……トレントたちの協力がなければ、今頃我々はあの蜘蛛の腹の中だったと思います」

「姫様、あれはもはや猛獣の域を超えています! あの蜘蛛も、あれを操っている人間も得体が知れなさすぎます! あれらは一体何なのでしょうか!」

 猛獣、と聞くと俺みたいな地球の人間はライオンとか虎のような凶暴な肉食獣を連想するだろうが、この世界での『猛獣』の定義は少々異なっていて、普通の動物とは比べ物にならないほどの能力を備えた凶暴な生き物のことを指すらしい。哺乳類に限らず、鳥や虫でも今述べた定義が当てはまればそれは猛獣として認定されるのだそうだ。猛獣の一言で括れる存在にはとても思えないが、竜も、一応俺たちからすると猛獣扱いになるらしい。

 アヴネラは腰に手を当てて神妙な顔をして考え込んだ後、二人に問いかけた。

「その人間って、どんな奴だったの? 精霊魔法を使ってたって言ってたけど、調教師じゃないってこと?」

 ……そうか。アヴネラは、巨大蜘蛛を使役しているのは調教師が使う契約魔法の効果によるものだって考えていたわけか。

 この世界で複数の種類の魔法を同時に扱えるのは円卓の賢者だけだと言われている。その人間が円卓の賢者でもない限りは、契約魔法と精霊魔法を同時に操れるのはありえないということだ。

 クレイラはアヴネラの質問に少しの沈黙を挟んだ後、答えた。

「何とも、奇妙な格好をしていました。花のように派手な色を服を着て、帽子を被り、面を着けて顔を隠しておりました。声の雰囲気からして、女……だとは、思うのですが。格好が怪しすぎるせいで、確証が持てません」

「…………」

 派手な色の服。帽子。仮面。女のような声。

 精霊魔法を操る魔法技術。生き物を思いのままに操る能力。

 俺の脳裏に、ひとつの姿が浮かび上がった。

「……何か、どっかで見たことあるような特徴の奴だねぇ。それ」

 ふうむとシキが唸っている。

 俺は確証を持って、そいつの正体を口にした。

「……あいつだ。唐繰道化のジークオウル──ラルガの宮廷魔道士と名乗ってた、魔帝の下僕だ」

 あいつなら精霊魔法が使えるし、魔帝に授かったというソウル・ストリンガーという生き物を支配下に置く能力もある。派手な服装で仮面を被っているという外見的な特徴も一致する。

 アバンディラで俺たちに計画を潰されて逃げた後、こんな近い場所にいたとは思わなかったが……

「……どういうことなの? ハル」

「……そんなのは俺にだって分からんよ。魔帝の下僕の考えることなんぞ、俺からしたら宇宙だ」

 俺の顔を覗き込んで問いかけてくるフォルテに、俺は眉間に皺を寄せながら答えた。

 はあ、と息を吐き、次第に暗がりの中に落ちつつある森の風景を見つめて、呟く。

「何にせよ……あいつがエルフを滅ぼすことを未だに諦めてないってことだけは、確かだな」


 双子たちに話を聞き終えて国内に戻ってきた時には、空はすっかり真っ暗になっていた。

 しかし、辺りは比較的明るい。昼間と比較すると確かに暗いが、建物から柔らかい色の光が漏れていてそれが辺りを照らしてくれているお陰で、ものを見る分には不自由しなかった。

 花の蕾を逆さに置いたような形の建物が内側から淡く発光している様子は、まるで灯籠を見ているような気分になる。形だけで言えば灯籠と言うよりも提灯に近いのだろうが、光が透けて見える様子が何とも幻想的で、それが灯籠を連想させるのである。

 昔、一度だけ灯籠流しを見に行ったことがある。あの時は天気も良く、風も穏やかで、川を流れていくたくさんの灯籠の光が水面に反射して──その光景は、まるで星の海を見ているようだった。今目の前に存在している場景は、それと何処となく似ているような気がした。

 思わず歩みを遅くして、目の前に広がる街並みに見入っていると、それを怪訝に思ったのかフォルテが声を掛けてきた。

「どうしたの?」

「ああ……いや」

 俺は微苦笑して、小さくかぶりを振った。

「昔のことをちょっと思い出してたんだ。俺のいた国では灯籠流しっていう行事があってな、その時に見られる光景とこの風景が何だか似てるなって思ったんだよ」

「ふうん」

「灯籠流しかぁ、懐かしいね。俺の地元でも、毎年夏になったらやってたっけなぁ」

 同じ日本人であるシキが話題に入ってきた。

「灯籠が密集して火が燃え移ってさ。川の上で大火事になったのを見てキャンプファイヤーって言って友達と大爆笑してさ。あれは楽しかったなー」

 ……灯籠流しってそういう楽しみ方をするものだったっけか?

 何か、俺が知ってる灯籠流しとは別物のような気が……

「……あんた、何処の出身だ?」

「俺? 新潟だけど」

「新潟っていうと……柿川灯籠流しか。そこそこ有名だが……そんな過激だったっけか? あれ……」

「んー。ファイヤーしたのはたまたまじゃないかなぁ? あ、おっさんは何処出身? 福島? 広島?」

 年上相手でも遠慮なしにぐいぐい訊いてくる奴だな。その辺が同じ若者でもリュウガとは違うと思う。

 まあ、誰とでも仲良く話せるのは悪いことじゃないと思うが。

「俺は東京だよ。地元では灯籠流しはやってない。まず川がないしな」

「あれ、それじゃあ何で灯籠流し知ってんの?」

「若い頃に旅行先で見たんだよ。俺だって旅行くらいすることはある」

「ふーん。男一人で、旅行ねぇ。その顔で……ひょっとして、失恋旅行ってやつ?」

「旅行に顔は関係ないだろうが。失礼だな、あんた」

「あっはは、だっておっさん、如何にもフラれそうな顔してるし! 綿密にデートの計画立ててお洒落なレストランまで予約してばっちり決めてって、そこまでしたのに相手からごめんなさいって言われちゃうような? そういうオーラが漂ってるんだよねー。何だろうねぇ?」

「…………」

 こいつ、本当は千里眼の能力を持ってる魔法使いなんじゃなかろうか。

 思わず半眼になる俺。シキはそんな俺を観察するような目で見ながらけらけらと笑っている。

 そんな俺たちの方を微妙に呆れた様子で振り返りながら、アヴネラが嗜めてきた。

「……君たち、いくら母上が国内滞在の許可を出したっていっても、歓迎されてるわけじゃないんだよ。少し緊張感がなさすぎじゃないかな。蜘蛛の問題だって片付いてないっていうのに」

「……あ、ああ。すまん」

「ごめんごめーん、おっさんをイジるのが楽しくってさ。もち、蜘蛛のことはちゃんと覚えてるから! 次に出てきたら、俺がきっちり退治してあげるからさ!」

「……まあ、ボクはいいけど。ほら、着いたよ。シルフの止まり木」

 と、彼女が立ち止まって顎で指し示したのは、他の建物よりも少しだけ大きく色鮮やかな光を点した建物だった。

 通りに面して観音開き状の大きな扉があり、扉の脇に蝶の羽を模したステンドグラスっぽい札が掛けられている。どうやら店の看板らしく、透けた群青色の板の中央に文字が書かれていた。何だか渦巻き状の模様のように見える、人間の国では見かけたことのない字だが……俺に備わっている翻訳能力がきっちりと仕事をしてくれたお陰で、そこに書かれているのが店の名前であることは読み取れた。

 扉は閉ざされているが、鍵は掛かっていないようだ。軽く扉の片面を押すと、茂みを掻き分けた時のような音を立てて、扉が動いた。

「……勝手に入っちゃっていいのかな」

「大丈夫だろ。此処は客商売をしてる店なんだし、そもそも俺たちは店から招待されてる身なんだ。入った瞬間に殴られるなんてことはないだろ」

 心配そうな顔をするフォルテに、俺は肩を竦めた。

 中からは、物音が全く聞こえてこない。客がいないのか、それとも扉が動いたからそれに気付いて喋るのをやめたのか──

「……こんばんは……」

 小さく挨拶しながら、俺は扉を大きく押し開く。

 その瞬間。

 がつっ!

 俺の顔のすぐ横に正面から飛んできた真っ白な刃のナイフが突き刺さったので、俺は思わず腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。

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