第95話 道化師は唐繰の糸を手繰る

 硬く澄んだ音を何度も響かせながら、リュウガとシキが切り結んでいる。

 二人の間で繰り広げられる剣戟はひとつの洗練された舞を見ているように優雅で、俺の目ではその全てを追うことはできなかった。

 リュウガが普段何気なく見せていた剣技が、彼にとっては全然本気のものではなかったことを思い知らされた。

 そして、シキも。

 トレント相手に披露していた居合い切り──あれは別に秘儀でも何でもない、ただの技のひとつにしかすぎないことを知ることになった。

 二人は、強い。俺と同じ日本人だとは思えないくらいに。

 次元の壁を越えて別世界に降り立った人間は、これほどまでに人間離れした力を持つことができるのか。そう思わずにはいられなかった。

「いいぜいいぜぇっ! こんなに手応えのある野郎は初めてだ! ほれ、もっと攻めて来いや勇者さんよぉ! オレをもっと熱くさせてみろや!」

 もはや狂喜と呼んでもおかしくはない笑みを浮かべながら、シキに向けて剣を振るい続けるリュウガ。

 その台詞も態度も、すっかり悪人のそれだ。元不良の彼らしいといえばらしい振る舞いではあるが、自分たちはエルフたちを絶滅の危機から救うために此処に来ているという自覚を少しは持ってもらいたいものである。

 高速で繰り出されるリュウガの剣を、シキは難なく捌いている。そして連撃の合間の僅かな隙を見つけては、刀を繰り出していた。そしてその一撃が防がれても顔には何の反応も示さない。ただまっすぐに、無表情にリュウガを見据えているばかりだ。

 しばらく彼らの剣戟を眺めていたラウルウーヘンだったが、何の変化もない状況に飽きたのか、深く息を吐きながら席を立った。

「ふむ……シキと対等に張り合える剣術士がこの世にいたとはね。賞賛すべきなのだろうが、生憎私も暇ではないのでね」

 先程羽根ペンで突いて血だらけになった掌を二人へと向ける。

「消えてくれたまえ」

 掌の前に生まれる闇色の渦。

 あいつ、シキを巻き込むこともお構いなしに魔法でリュウガを仕留める気か!

 そうはさせるか!

「ダークホール!」

 俺はラウルウーヘンの目の前を狙って魔法を放った。

 放った魔法は、今奴が発動させようとしていたものと同じ、闇魔法だ。

 ダークホール──闇の穴、の名がある通り、全てを飲み込む闇溜まりを生み出す魔法だ。性質はブラックホールに近いもの、と説明すれば分かりやすいだろうか。この闇に接触したものは飲み込まれ、跡形もなく消えてしまう。それは光のような実体のないものだろうが例外ではない。

 制御が難しい魔法で、一歩扱い方を間違えれば自分を消してしまいかねない危険なものなのだ。

 制御が難しい、ということは、発生した魔法の領域が安定していないということに他ならない。もしも横から同じような性質の力が存在に干渉してきたとしたら、その魔法はどうなる?

 ラウルウーヘンが放とうとしていた魔法は、俺が生み出した闇の渦に存在を干渉されて、俺の魔法もろとも完璧に発動せずに消え去った。

 魔法を妨害された奴の注意が俺の方に逸れる。そこを狙って更に魔法を叩き込む!

「フローズンシール!」

 束縛魔法を奴の体めがけて放つ。全身を氷漬けにしてしまえば無力化する、それを狙っての一撃だ。

 奴の体の周囲に氷の粒が生まれ、みるみる大きな氷塊へと成長し、奴を氷の中へと閉じ込めていく。

「む……」

 ラウルウーヘンは微妙に眉を顰めて、床を思い切り蹴った。

 どう見ても体術など苦手そうな肉付きの細い体が、宙を高々と舞う。氷の戒めに囚われる寸前のところでそこから逃れた奴は、くるりと一回転しながら魔法を放ってきた!

「ファイアバレット」

 まさか、此処は屋内だぞ! 木造家屋の中で火魔法を使うなんて、こいつ、自分の屋敷を燃やす気か!?

 十数個もの炎の礫が、弾丸のように俺へと飛んでくる。

 これを下手に払って壁や床に着弾させたら火事になる。迂闊な迎撃手段は使えない。

 となれば──使える手段は、これしかない!

「アンチ・マジック!」

 俺の前に防壁のように展開したアンチ・マジックフィールドが、炎の礫を受け止めて消滅させる。

 しかし領域を展開させるタイミングが少し遅かったらしく、礫の何個かは領域を抜けて俺の体に命中した。

 小さかろうが炎は炎だ。ただの布でできた外套などあっという間に燃えてしまう。

「あちっ!」

 俺は反射的に外套を脱ぎ捨てた。その下には何も着ていないので裸を晒すことになるが、変に我慢して急所に取り返しのつかない火傷をするよりは恥を晒す方が幾分かはマシだ。

 脱いで放り投げた外套が、一瞬で炎に包まれて燃え尽きる。残った炎は床に着く前に消えた。

 アヴネラが微妙に嫌悪感を露わにした顔で俺を見た……が、事情が事情だからか何も言わずにすぐに俺から視線を外す。

 俺は左手で股間を隠しながら、書斎机の前に着地したラウルウーヘンを睨んだ。

 ラウルウーヘンは、目を丸く見開いて俺を凝視していた。全身をぶるぶると震わせて、まるで見てはいけないものを見てしまったとでも言わんばかりの顔をして──


「イヤァァァァァァァ!」


 貧相な男の口から出たものとは思えない、まるで女のもののような甲高い悲鳴を上げたのだった。

 予想外の奴の行動に、現在も斬り合いをしているリュウガとシキ以外の者の動きが止まる。

 ラウルウーヘンは頭を抱えてそれを何度も左右に振りながら、真っ赤な顔をして、叫んだ。

「み、見ちゃったわ……男の、アレを! それも若い子のならまだしも、よりによってこんなおっさんの貧相なモノを! 何で急に見せてくるのよォ! この変態! 信じられなァい! あああ、もうお嫁に行けない……アタシ、汚されちゃったわァァァ!」

 その口調は、今までの貴族然とした男のものではなかった。

 何処か聞き覚えのある、微妙に間延びした感じの少女の声──

 身悶えするラウルウーヘンの全身が淡い光に包まれて、変化していく。

 衣服はカラフルな原色の道化師の装束へと変わり、顔には蔓草の模様が描かれた白い仮面。頭には服と同じ色合いの三つ房の帽子。

 貧相な貴族だった男は、数秒を経て道化師姿の少女へとなっていた。

 その見覚えのある姿に──俺の片眉が、跳ね上がる。

「……あんた、竜を襲おうとしてた、魔帝の……」

「ふん……変態に覚えられてるなんて屈辱の極みよねェ……でも、せっかく覚えてくれていたんだもの、ラルガの宮廷魔道士らしい返事を返してあげなきゃねェ?」

 道化師の少女は首を微妙に傾けた格好でゆらりとその場に立ちながら、言った。

「そうよォ、アタシは魔帝様の忠実な下僕、人呼んで唐繰道化のジークオウル。ラルガの宮廷魔道士一若くて可愛い女の子よっ!」

 女の子だという主張はとりあえず認めるが、可愛いかどうかなど俺の知ったことではない。そもそも仮面被ってて顔なんて見えないしな。

 ただの貧相な貴族にしか見えなかった男が高度な魔法を操ったり見た目によらない高い身体能力を見せていたのは、正体が魔帝の下僕だったからか。確かに化け物揃いの魔帝の直属の下僕ならば、あれくらいのことは朝飯前にやってのけるだろう。

 しかし……となると。この街の領主を名乗るラウルウーヘンという人間は──

 元々そのような人間など存在していないのか、それとも……

「……ラウルウーヘンというのは、偽名なのか? この街の領主というのは……」

「……ラウルウーヘンという人間は、確かに実在する人間よォ? れっきとしたこの街の、領主様。随分と領民思いの人間だったみたいだけどねェ」

 くすくすと笑いながら俺の問いに答えるジークオウル。その様子は、俺たちの反応を何処か楽しんでいるふしがある。

「最期まで、他人の命乞いばかりしてたわねェ。あれは傑作だったわァ、あいつがアタシの目の前で泣きながら焼け焦げていくところ! 君にも見せてあげたかったわァ」

「……!」

 俺の脳裏に、宿で見た悪夢のことが蘇る。

 顔も名前も分からない、誰かが目の前で焼け死んでいく夢。

 てっきりあれは俺が疲れていたから偶然見ただけの何でもない夢だと思っていたのだが──

 そうか。あれは……正夢だったのか。

 この街が森の木を不必要なくらいに伐採するようになったのは、本物のラウルウーヘンを殺してそれに成りすましたジークオウルの企みによるものだったのだ。

 表では街を発展させるための材木を大量に確保するためと謳っていたが、真の狙いは森を弱体化させてエルフたちを絶滅に追い込むことだったのである。

「魔帝の下僕……そうだったんだ。ようやく合点がいったよ。何でエルフを絶滅させようとしてたのか……納得した」

 アヴネラは弓を構えて、その標準をジークオウルの顔へと合わせた。

「君が本物の領主をどうしたのかなんて話には興味はないけど、アルヴァンデュースの森に手出ししたことは許せない。ボクが直々に思い知らせてあげる」

「アハハハ、こんな状況で、アタシがまともに君たちの相手をするはずなんかないじゃない」

 そう言って、ジークオウルは右手の人差し指の先をアヴネラへと向けた。

「アタシがどうして『唐繰道化』なんて名前で呼ばれてると思う? ……特別に、見せてあげるわァ。とくと味わいなさい、ソウル・ストリンガー!」

 指先が真紅に輝き、そこから蜘蛛の糸のように細い赤い光の糸が無数に放たれる。

 それは霞のように実体のない動きをしながら、一瞬でアヴネラの全身に絡み付いた!

「やっ……何、これ……」

 糸を振り払おうとしたアヴネラの動きが、唐突に停止する。

 色素が抜け落ちるように顔から表情が失われ、彼女の首筋に赤く輝く謎の模様が浮かび上がった。

 それは……シキの右頬に浮かんでいるものと同じ形をしていた。

「これが、アタシが魔帝様から授けられたアタシだけの魔法、ソウル・ストリンガー。生き物を支配して操り人形みたいに動かすことができる能力よ。どう、道化師のアタシらしい素敵な能力でしょ?」

 アヴネラがゆっくりとこちらに振り向いて、弓を構え直す。

 その狙いは──俺へと、定められていた。

「さあ、アタシの可愛いお人形。そのおっさんを殺しなさい!」

 ジークオウルが勝ち誇ったようにアヴネラに命令を下す。

 アヴネラは無表情のまま弓の弦を引き絞り、何の躊躇いもなく、矢を放った。

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